飯場

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今なお残る昭和時代の飯場(神戸市西区

飯場(はんば)とは、日本において鉱山労働者や大規模な土木工事や建築現場での作業員用の給食および宿泊施設のこと。現在では、町中で行われる建設工事現場の(宿泊を伴わない)休憩所や食堂の意味で使用されることもあるが、清潔感などに欠ける表現であるため、いくぶん否定的な意味でのみ用いられる傾向がある。

日本の法令では寄宿舎といい、労働基準法第10章(第94条〜第96条の3)に寄宿舎に関する一般的規定がある。さらに、土木・建築工事の際の一時的な寄宿舎についての細則が建設業附属寄宿舎規程(昭和42年労働省令第27号)にあり、それ以外の寄宿舎についての細則が事業附属寄宿舎規程(昭和22年労働省令第7号)にある。

過去[編集]

かつては交通が不便な山間奥地の労働現場では、「人夫」や「土方」と呼ばれる出稼ぎなどの労働者が泊まり込みで作業に従事することも珍しくなかった。このような工事現場では、作業員が宿泊し食事と休息を得る施設として飯場が建設された。社会的に肉体労働者が粗略に扱われていた時代は、粗末な建物や備品であることが多かったが、黒部ダムなどの大型工事の現場では複数階の鉄筋コンクリート造りの建物が用いられることもあった(但し、仙人谷ダムの建設にあっては泡雪崩で吹き飛んだケースが二度も起こった)。

第二次世界大戦後は労働基準法の整備に伴い、事業附属寄宿舎規程などが定められ、飯場に泊まり込みで作業に従事する労働者の生活環境の質が向上した[1]

現代[編集]

日本においては鉱山そのものが減少し、出稼ぎによる鉱夫の住み込み労働用宿泊施設の需要は減った。また、建設従事者の待遇は、現場の安全管理にも直結することから、飯場の施設や労働者の待遇は常に見直しが行われ、名称も宿舎やと呼ばれるようになった。1990年代からは、冷暖房設備を備え付けることが義務づけられるなどの改善が進んでいる。近年では、工事終了後の撤収も考慮してプレハブ工法によるものが主流となっている。

脚注[編集]

  1. ^ 事業附属寄宿舎規程”. 厚生労働省 (1947年). 2021年8月28日閲覧。

関連項目[編集]