青森市立新城中学校

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青森市立新城中学校
2013年8月撮影
地図北緯40度49分16.7秒 東経140度40分51.5秒 / 北緯40.821306度 東経140.680972度 / 40.821306; 140.680972座標: 北緯40度49分16.7秒 東経140度40分51.5秒 / 北緯40.821306度 東経140.680972度 / 40.821306; 140.680972
過去の名称 新城村立新城中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 青森市
併合学校 孫内中学校
校訓
設立年月日 1947年4月22日
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード C102210000122 ウィキデータを編集
中学校コード 020013
所在地 038-0042
青森県青森市大字新城字平岡160-10
外部リンク 青森市立新城中学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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青森市立新城中学校(あおもりしりつ しんじょうちゅうがっこう)は、青森県青森市新城にある公立中学校。地域住民や生徒からは「新中」(しんちゅう)と呼ばれている。

概要[編集]

校舎の老朽化に伴い、2007年6月下旬から改築が進められ、2008年11月に新校舎が完成、同年12月8日より完全移行した。校舎に続き、2010年3月8日には新体育館が完成した。

校歌は2代目校長の貝森格正が作詞を行い、学校が丘の上にあるので、「自由の風のかおる丘」「文化の花のにおう丘」「健康の陽のもゆる丘」という歌詞がある。

新城の山の上にあり、登校するには坂を上らなければならない。これは、かつて新城がスキー場であったことを物語っている。ちなみに市内で一番高いところにある学校である。

学区が広く、鶴ヶ坂(青森市浪岡の近隣)~三好までであり、鶴ヶ坂・戸門・孫内・新城(白旗野)地区にはスクールバスでの登校を認められている。

沿革[編集]

校舎・中庭など[編集]

2008年11月末に竣工。 鉄筋コンクリート4階建ての校舎で、青森市で三番目に新しい校舎である。外装・内装ともに白基調である。 1年が4階普通教室、2年が3階普通教室、3年が2階普通教室を使用している。1階は職員室や校長室などの管理棟である。正面玄関は旧校舎の体育館およびテニスコート跡地に面している。 2010年3月には新体育館も完成した。旧体育館跡地は、グラウンドである。

旧校舎[編集]

旧校舎の生徒玄関

かつての校舎は鉄筋プレハブ2階建て(屋上なし)の校舎で、2008年11月に新校舎が完成するまで市内で二番目に古い校舎であった。1年が2階南側の普通教室を、2年が2階北側の普通教室を、3年が1階普通教室を使用していた。1学年7クラスに対応できるように作られていたが、クラス数が多く、教室が不足していたこともあり、図書室がなくなり、2階中央廊下に「図書コーナー」を設けたことや、第二音楽室が2階中央廊下に仮設されたこともあった。

トイレが2つしかなく、かつ1階にしかなかった。これは平成に入るまで汲み取り式であったからである。

暖房は石油ストーブであった。冬にすきま風で廊下が凍結・積雪したり、雨漏りがするなど老朽化が激しかった。毎年春になるとストーブを片付けていたが、2008年にはストーブが教室に放置される事になった。

また、プレハブ小屋の「第1美術室」が存在しており、比較的最近できたものでありながらこちらも老朽化が激しかった。ちなみに「第2美術室」は普通教室を使用。「技術棟」とよばれる比較的新しい校舎には、「電気技術室」(生徒には『電技室』と呼ばれている)、「木工室」、「コンピューター室」があった。

校舎に囲まれる形で中庭が存在しており、池やベンチがあり、木や花が植えられていた。昼休みには中庭が開放され、ブロックの上のみ上履きで歩けた。PTAが造園していた。 環境整備が整っているためか、中庭にハチが巣を作ることがあった。稀に教室にも出入りし、学校側では放送やプリントで注意を呼びかける事があった。 かつて使っていた相撲土俵(四本柱の屋根付き)が校庭の南西にあった。

学区[編集]

アクセス[編集]

周辺[編集]

  • 国立療養所松丘保養園
  • 松丘弥広神社
  • 他は住宅のみだが、やや離れた所に三内霊園がある。 

参考資料[編集]

  • 『新青森市史 別編教育(別巻) 年表・学校教育』(青森市・2000年3月発行)「学校沿革 (二)中学校」241頁~242頁「新城中学校」
  • 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)872頁「学校沿革 中学校 新城中学校」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]