青木雅彦
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青木 雅彦(あおき まさひこ、1983年 - )は静岡県静岡市出身の音楽家。演奏活動の傍ら高校の吹奏楽団で指揮をする音楽家。演奏活動は吹奏楽やアンサンブル、ジャズバンド、創造音楽など幅広く活動をしている。また、指導活動を高校時代から始め2009年には10年目を迎える。また、芸能活動も行っており、都内コミュニティーラジオ局でパーソナリティーをおこなっていた他、携帯電話『au』のCM「auの庭で。」シリーズで2回、チューバを持って撮影に参加しており、仲間由紀恵や松本潤などと共演をしている。
経歴[編集]
これまでにチューバを置塩孝裕、草分直樹、足立正、稲川榮一に師事。吹奏楽を西村俊昭、秋山和慶、吉田行地、大木孝雄、伊藤康英、デニス・ジョンソンに師事。ブリティッシュブラスを深石宗太郎、古田賢司に師事。ファンファーレバンドを原博巳に師事。声楽を打田忠義、荒牧小百合に師事。音楽全般を細谷裕和、角田晃に師事。
略歴[編集]
- 中学時代 - 静岡市立東豊田中学校吹奏楽部にてチューバと出会う。
- 高校時代 - 常葉学園橘高等学校音楽科にてチューバを専攻。 静岡市立竜爪中学校にて指導を始める。
- 2002年 - 洗足学園音楽大学に入学。チューバを専攻する。ゼミにて角田晃よりレッスン指導を学ぶ。
- 2003年 - 市民バンドでのエキストラ出演など、演奏活動を開始する。
- 2003年 - 神奈川県に吹奏楽での指揮活動を開始する。
- 2004年 - 大学内でメンバーを集め後の「otobito tokyo」である「Enterna brass」を立ち上げる。
- 2005年 - WASBE 2005 in シンガポール(第12回世界吹奏楽大会)に大学を代表し出場。大盛況を浴びる。
- 2006年 - 大学を卒業し、指導の拠点を千葉県に移す。
- 2007年 - 静岡県に戻り、演奏、指揮、指導活動を開始する。県立清水工業高校にて最後の年を指導する。
- 2007年 - デキシージャズバンド「special source」に加入。
- 2007年 - 音楽集団「音民」を立ち上げる。 2009年-退団。2013年-再入団
- 2008年 - 常葉学園橘高等学校吹奏楽部にて正式にコーチとして就き、静岡県中部吹奏楽コンクールにて指揮を振る。
- 2008年 - 音大卒業者で作るプロ吹奏楽団を目指すomosan wind brass 首席チューバ奏者に着任。2010-解散。同時に退任。
- 2009年 - ディキシーランド・ジャズ・バンド「Muskrat Ramble - ウェイバックマシン(2010年6月23日アーカイブ分)」結成メンバー。
- 2009年 - 清水イルコンパーニョに入団。
- 2009年 - 常葉学園橘高等学校 非常勤講師
- 2009年 - アンサンブル「duda」を結成
- 2009年 - 活動の拠点を山梨県南部の地域まで広げる。2校の吹奏楽部を期間限定で仕切り、合同演奏会を開催。
- 2010年 - ムジーク・トリオ・アテルナを結成
- 2010年 - 藤枝西高等学校ウインドオーケストラ部 講師
- 2011年 - ブラシックウインザ 副指揮
- 2011年 - 清水第六中学校 吹奏楽部指導員
- 2012年 - ぶるうず結成
現在活動中の団体[編集]
【演奏】
- Persone interessanti(デュオ)
- Muskrat Ramble - ウェイバックマシン(2010年6月23日アーカイブ分)(デキシージャズ)
- 音音創造(創作音楽)
- Honey Bakery Ensemble(ヒーリング音楽系アンサンブル)
- Brise de mer(金管アンサンブル) 主宰
- 音民ウインドアンサンブル(吹奏楽)
- ムジーク・トリオ・アテルナ(トリオアンサンブル)
- duda(アンサンブル)
【演出】
- プラチナブラスクインテット
- 劇団「@is」アットイズ
【指揮】
- 藤枝西高等学校 ウインドオーケストラ部
- ブラシックウインザ
- 春日ブラスコミュニケーション
- 音民ウインドアンサンブル
- たけはら吹奏楽団
【プロデュース】
- waist strike (ラジオ番組)
- みんながおもろナイト (ラジオ番組)
トリビア[編集]
幼少期はサッカー少年であり、清水エスパルスが行っていた小学生向けのサッカー教室で当時正ゴールキーパーであった眞田雅則(元清水エスパルスGKコーチ)からPKで点を奪ったことがある。しかし公式戦では1回のオウンゴールでの記録しかなく、トータルがマイナス1という冗談のような記録を残している。