青木富夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あおき とみお
青木 富夫
本名 青木富夫
別名 突貫小僧
生年月日 1923年10月7日
没年月日 2004年1月24日(満80歳没)
出生地 Flag of Japan.svg 日本 神奈川県横浜市
死没地 東京都世田谷区
国籍 日本
職業 俳優
ジャンル 映画
活動期間 1929年 - 2004年
主な作品
突貫小僧
大人の見る繪本 生れてはみたけれど

青木 富夫(あおき とみお、1923年10月7日 - 2004年1月24日)は、日本俳優。戦前の小津安二郎監督の映画で天才子役として一世を風靡した。鎌倉中学校中退。

出演した映画は300本以上に上り、端役で出演する青木富夫を捜すことを「突貫探し」といって楽しみにしている映画ファンも少なくない。

目次

[編集] 経歴

横浜市に生まれ、実家がやっていた酒場に松竹蒲田撮影所の俳優が出入りしていたのが縁で、撮影所によく遊びに行くようになった[1]。ここで小津監督に見いだされ、1929年、小津の『会社員生活』に出演。同年、主演した『突貫小僧』が大ヒットし、松竹蒲田の子役スターとなった。1931年からは、芸名を突貫小僧と改め、小津監督の『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』『浮草物語』、斎藤寅次郎監督の『腰の抜けた女』『この子捨てざれば』などの作品に立て続けに出演し、松竹映画に欠かすことができない存在となった。また、同時期に異父弟も「青木放屁」の芸名で子役として活躍していた。

1942年に招集され、ペリリュー島の前線に送られるが、1946年に復員。本名の青木富夫で松竹に復帰するが、大部屋俳優として端役での出演が続き、1954年日活に移籍する。ここでも端役として数多くの日活映画に出演。

1971年日活がロマンポルノ路線になった後は『恋狂い』等、数本に出演したが、翌年の1972年フリーとなり、山本薩夫監督の『華麗なる一族』などに出演した。晩年には、鈴木清順監督の『ピストルオペラ』、篠崎誠監督『忘れられぬ人々』などに出演し、後者は2000年にフランスのナント三大陸映画祭にて共演の三橋達也大木実とともに主演男優賞を受賞した。回想録『子役になってはみたけれど 小説突貫小僧一代記』(都市出版1998年)がある。

2004年に肺がんのため死去。80歳没。遺作は「犬と歩けば チロリとタムラ」。

[編集] 余談

映画監督の周防正行は、小津作品へのオマージュとして、自らの監督作である『シコふんじゃった。』と『Shall we ダンス?』に青木富夫という役名のキャラクターを登場させている。演じたのはいずれも竹中直人

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 貴田庄『監督小津安二郎入門 40のQ&A』朝日新聞社、238ページ。

[編集] 外部リンク

他の言語