難波橋
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| 難波橋 | |
|---|---|
南側(土佐堀川) 北側(堂島川) |
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| 所在地 | 日本 大阪市北区西天満-中央区北浜間 旧淀川 |
| 長さ | 189.65m |
| 幅 | 21.8m |
| 建築家 技術者 |
意匠:宗兵蔵、彫刻:天岡均一 |
| 形式 | 2ヒンジアーチおよび合成桁RCアーチほか |
| 建設 | 1915年 |
| 橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 | |
難波橋(なにわばし)は、大阪市の旧淀川に架かる橋。浪速の名橋50選選定橋。大阪弁では「ナンニャバシ[1] 」と発音する。
大阪市中央区北浜~北区西天満の堺筋にかかる、全長189.7m、幅21.8mの橋である。途中の中之島を挟み、土佐堀川と堂島川の2つの川を渡る。
目次 |
[編集] 歴史・概要
難波橋辺りの最初の橋は、元をたどると704年ごろに行基によって架けられたといわれている。
江戸時代には天神橋、天満橋と共に浪花三大橋と呼ばれ、表記は「浪華橋」が一般的であった。堺筋の西隣にある難波橋筋に架かっており、橋の長さが108間(約207m)もの大型の反り橋だったという。1661年(寛文元年)天神橋とともに公儀橋とされた。
明治9年(1876年)に鉄橋に架け替えられたが、このときに中之島自体が上流へ拡張されたため、橋は中之島をはさんで南北に分けられた。
1912年(明治45年)に大阪市電が北浜以北、天神橋筋六丁目まで延伸された際に現在の位置に架け替えられた。その後の老朽化により1975年(昭和50年)に大阪市により大改修された。
橋の南詰めおよび北詰めには、天岡均一作のライオンの石像が左右両側にあるため、「ライオン橋」とも呼ばれている。このライオン像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっており、文字通り狛犬の片方である獅子=ライオンであると言える。
中之島水上公園計画の一環として設計された事により、石橋風の外観、公園と一体となった階段、高欄の獅子像、親柱にはペディメントやメダリオンをあしらい、市章である「みおつくし」をアレンジした意匠が親柱や欄干に模られている。1975年には3年間に及ぶ補修工事により戦時中に金属供出で失われた欄干や橋上灯が復元され、近代大阪を彩った美しい外観を保っている。
[編集] 周辺情報
[編集] 地図
[編集] 脚注
- ^ 牧村 史陽「大阪ことば辞典」講談社 2004/11
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 大阪橋ものがたり: 難波橋(大阪市都市工学情報センター)
- 難波橋 歴史のある橋(歩いて大阪八百八橋)
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