離石区
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| 中華人民共和国 山西省 離石区 | |
|---|---|
| 中心座標 北緯36度05分 東経111度31分 / 北緯36.083度 東経111.517度 | |
| 簡体字 | 离石 |
| 繁体字 | 離石 |
| 拼音 | Líshí |
| カタカナ転記 | リーシー |
| 国家 | 中華人民共和国 |
| 省 | 山西 |
| 地級市 | 呂梁市 |
| 行政級別 | 市轄区 |
| 建置 | 秦代 |
| 改編 | 2003年 |
| 面積 | |
| - 総面積 | 1,323 km² |
| 人口 | |
| - 総人口(2004) | 24 万人 |
| 経済 | |
| 電話番号 | 0358 |
| 郵便番号 | 033000 |
| 行政区画代碼 | 141102 |
| 公式ウェブサイト: http://www.sxlsjj.com/ | |
離石区(りせき-く)は中華人民共和国山西省呂梁市に位置する市轄区。
歴史 [編集]
戦国時代には趙により離石邑と称されていた。県制としては秦朝が設置した離石県を前身とする。後漢では西河郡の郡治、西晋では西晋国の国治とされた。南北朝時代になると北斉により昌化県として再設置、577年(建徳6年)には北周により離石県と改称された。
隋代になると大業年間以降は離石郡の郡治とされ、唐代には石州の州治とされた。明朝が成立すると離石県は廃止となり、管轄区域は石州の直轄とされた。
1912年(民国元年)、州制廃止にともない石州は永年県と改編、1914年(民国3年)には離石県と改称されている。1954年、方山県と統合され離山県とされたが、1958年に再分割され離石県とされた。1996年、県級市昇格とともに離石市、2003年には地級市・呂梁市の成立とともに離石区と改編され現在に至る。
行政区画 [編集]
- 鎮:城関鎮、田家会鎮、呉城鎮、西属巴鎮、信義鎮、交口鎮
- 郷:陽坡郷、紅眼川郷、坪頭郷、王家溝郷、結縄墕郷、棗窊郷、王営庄郷、棗林郷、小神頭郷
| 中国地名の変遷 | |
| 建置 | 秦代 |
| 使用状況 | 離石区 |
| 戦国 | 離石邑 |
|---|---|
| 秦 | 離石県 |
| 前漢 | 離石県 |
| 後漢 | 離石県 |
| 三国 | 離石県 |
| 西晋 | 廃止 |
| 東晋十六国 | - |
| 南北朝 | 昌化県(北斉)離石県(北周) |
| 隋 | 離石県 |
| 唐 | 離石県 |
| 五代 | 離石県 |
| 北宋/遼 | 離石県 |
| 南宋/金 | 離石県 |
| 元 | 離石県 |
| 明 | 石州 |
| 清 | 石州 |
| 中華民国 | 永寧県 離石県 |
| 現代 | 離石県 離山県 離石県 離石市 離石区 |
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