陽明文庫

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陽明文庫(ようめいぶんこ)は、京都市右京区宇多野上ノ谷町にある歴史資料保存施設。

公家の名門で「五摂家」の筆頭である近衛家伝来の古文書(こもんじょ)、典籍、記録、日記書状、古美術品など約20万点に及ぶ史料を保管している。昭和13年(1938年)、当時の近衛家の当主で内閣総理大臣であった近衛文麿が京都市街地の北西、仁和寺の近くの現在地に設立した。近衛家の遠祖にあたる藤原道長(966 - 1028)の自筆日記『御堂関白記』から、20世紀の近衛文麿の関係資料まで、1,000年以上にわたる歴史資料を収蔵し、研究者に閲覧の便を図るとともに、影印本の刊行などの事業を行っている。これに匹敵するものに九条流摂関家の一条家の「桃華堂文庫」がある。

近衛家と陽明文庫[編集]

近衛家は藤原北家の流れを汲む家である。藤原氏は、12世紀に摂政関白太政大臣を務めた藤原忠通(1097年 - 1164年)の後、その長男・近衛基実(1143年 - 1166年)を祖とする近衛家と三男・九条兼実(1149年 - 1207年)を祖とする九条家の2家に分かれ、その後近衛家からは鷹司家が、九条家からは二条家一条家が分かれた。後に近衛、鷹司、九条、二条、一条の5家を「五摂家」と呼ぶようになった。近衛家の祖である近衛基実は藤原忠通が40歳を過ぎてから生まれた長男で、若くして氏長者となり、関白に任じられたが、24歳の若さで他界した。

近衛家の歴代当主は、藤原道長の日記『御堂関白記』をはじめ、先祖の日記や朝廷の儀式関係などの重要な文書記録を大切に伝えてきた。

戦国時代の動乱期に関白・太政大臣を務めた13代当主近衛政家(1445年 - 1505年)は、応仁・文明の乱に際し、家伝の古文書(唐櫃50合の分量があったという)を京都の北郊の岩倉に疎開させた。応仁の乱によって近衛家の邸宅は焼失したが、古文書類は難を逃れた。16代当主近衛前久(さきひさ、号は龍山、1536年 - 1612年)は、室町幕府の崩壊、本能寺の変徳川幕府成立という激動の時代に関白を務め、関白の職にありながら、上杉謙信と同盟を結んで越後や関東に赴くなど数奇な生涯を送った人物であるが、彼も家伝文書の保存には意を払い、文書を比叡山の麓の坂本に疎開させたという。

近世の近衛家当主には、詩書画などの諸芸に通じた教養人・風流人が多く、彼らによって伝世の古文書が整理され、新たな書物が収集された。17代当主の近衛信尹(のぶただ、1565年 - 1614年) は三藐院(さんみゃくいん)と号し、「寛永の三筆」の一人に数えられる能書家で教養人であった。信尹には継嗣がなかったため、後陽成天皇の第4皇子であり、信尹には甥にあたる近衛信尋(のぶひろ、号応山、1599年 - 1649年)を養子に迎えた。信尋も書道、茶道、連歌などの芸道に通じた教養人であった。江戸時代中期の人物である21代当主近衛家熙(いえひろ、号予楽院、1667年 - 1736年)も詩書画、茶道等諸芸に優れた教養人であった。家熙は古今の名筆を貼り交ぜたアルバムである「大手鑑」(おおてかがみ、現・国宝)を編纂し、また多くの名筆を臨書した。この中には家熙の臨書によってのみその存在が知られる筆跡も多く、資料的に貴重である。

これら歴代の近衛家当主によって守られてきた古文書類は、近代に入って明治33年(1900年)から数度に分けて京都帝国大学附属図書館に寄託された。その後、昭和期の当主であり、第二次大戦開戦に至る激動の時代に総理大臣を務めた近衛文麿は昭和13年(1938年)に財団法人陽明文庫を設立し、家蔵の資料の永久保存を図ることとした。「陽明」は、近衛家の別名であり、近衛家の屋敷が大内裏の14門の1つである陽明門から発する近衛大路沿いにあったことにちなむものである。

文庫は洛西の仁和寺の近くに位置する。約10,000m²の敷地内には、文庫設立以来の建物である書庫2棟、閲覧事務所のほか、昭和19年(1944年)に建てられた数寄屋造の虎山荘が建つ。これらは昭和期の貴重な建造物として、国の登録有形文化財に登録されている。

蔵書は、藤原道長自筆の日記『御堂関白記』をはじめとする公卿の日記類がまとまって収蔵されており、いずれも一級の歴史資料である。また、天皇や歴史上の著名人の自筆書状、宮廷儀式関係、物語や和歌集の古写本なども多数収蔵し、歴史資料としてのみならず、書道史上の遺品としても貴重なものが多い。第二次大戦後、旧公家・大名家伝来の文化財の多くが散佚した中にあって、近衛家の所蔵品は、早くから財団化されていたため、まとまって伝来している点も貴重である。書庫の階上に陳列室があるが、原則として一般公開はしておらず、閲覧には紹介状が必要である。なお、主要な貴重書の影印は『陽明叢書』として逐次刊行されている。[1]

文化財[編集]

熊野懐紙3幅のうち 後鳥羽天皇筆
類聚歌合(二十巻本歌合)(部分)
歌合巻第六(十巻本歌合)(部分)

国宝[編集]

  • 御堂関白記 26巻(自筆本14巻、写本12巻)附御堂御記抄、御堂御暦記目録 - 藤原道長の日記で、自筆本は33歳の長徳4年(998年)から55歳の寛仁5年(1021年)にわたり、断続的に14巻が残っている。
  • 後二条殿記 30巻(自筆本1巻、古写本29巻) - 関白内大臣藤原師通の日記・・・写本は一条家の伝来本写本
  • 倭漢抄 下巻 2巻 - 11世紀半ば書写と推測される『和漢朗詠集』下巻の零巻。同筆のまたは同系統の遺品として、高野切第三種、粘葉本和漢朗詠集(三の丸尚蔵館蔵)、元暦校本万葉集巻一(東京国立博物館蔵)、伊予切(和漢朗詠集の断簡、諸家分蔵)、蓬莱切(未詳歌集の断簡、諸家分蔵)、法輪寺切(和漢朗詠集写本の断簡、諸家分蔵)などがある。
  • 神楽和琴秘譜 1巻
  • 歌合(十巻本)巻第六 1巻
  • 類聚歌合 19巻
  • 熊野懐紙 3幅 後鳥羽天皇(1201年(建仁元年))、藤原家隆1200年正治)2年)、寂蓮(正治2年(1200年))筆
  • 大手鑑(おおてかがみ)2帖

重要文化財[編集]

日記類
書状類
物語、和歌集など
  • 源氏物語
  • 古今集 冷泉為相筆
  • 後拾遺抄
  • 六条斎院歌合(二条切)
  • 和漢朗詠集断簡(多賀切) - 1116年(永久4年)藤原基俊筆。元は巻子本に和漢朗詠集を書写したもの。本作の奥書によって、作成日と執筆者が分かるが、平安時代の古筆切でこれらが判明するのは極稀であり、日本書道史の基準作として貴重。
  • 四条宮歌合序
  • 論春秋歌合
  • 歌合序
  • 白氏文集新楽府
  • 金泥絵料紙墨書孝明天皇宸翰御製
法制書
音楽書
  • 琴歌譜
  • 古謡集
  • 五絃琴譜
文書記録類
  • 近衛家実摂政辞表文書
  • 雑事要録 
  • 近衛家所領目録 
  • 摂関家旧記目録 
  • 摂関系図
  • 宮城図 - 1319年元応元年)8月書写で、年代が明記されたなかでは現存最古の内裏の図面。平安宮内裏の図面、及び内裏の造営を担当した諸国の国充(内裏造営では、殿舎ごとに諸国が造営を負担する)、内裏焼失に関する文書が付されている。書写したのは鎌倉幕府御家人で、鎌倉武士の平安宮内裏との向き合い方を考察する上で貴重。
  • 車図 
その他
  • 明恵上人夢記
  • 遊仙窟
  • 幼学指南鈔
  • 不空羂索神呪心経
美術工芸品
  • 絹本着色春日鹿曼荼羅図
  • 短刀 銘吉光
  • 太刀 銘秀近
  • 太刀 銘長光
  • 太刀 銘備前国宇甘郷雲生 八幡大菩薩
  • 砧青磁鳳凰耳花生(きぬたせいじほうおうみみはないけ)銘千声 - 中国・南宋

所在地・利用情報[編集]

  • 閲覧には学者・研究者の紹介が必要。
  • 展示 観覧は春・秋各3か月間のみ(予約のあった団体に限る)。10:00~16:00、日・祝休。
  • 住所 京都市右京区宇多野上ノ谷町1-2
  • アクセス 京都駅より京都市営バス・JRバス栂尾方面行き「福王子」下車徒歩数分

脚注[編集]

  1. ^ ちなみに一条家の「桃華堂文庫」は写本が存在するといわれるが、現在は不明である。

参考文献[編集]

展覧会図録
  • 『宮廷のみやび 近衞家1000年の名宝』、東京国立博物館、2008年
  • 『近衛家陽明文庫 王朝和歌文化一千年の伝承』、人間文化研究機構国文学研究資料館、2011年

関連文献[編集]

関連項目[編集]