陶冶

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陶冶(とうや)は、「人間形成」のことをいう古い表現。「教育」とほとんど同義。近年は、ほとんど人間形成という言葉で置き換えられる。ドイツ語の「die Bildung」の訳語ともいう。

使われなくなってきた背景には、人を焼き物を作るように、型に合わせて、焼き固めるような行為を連想させるというのが一因となっていると見られる。この熟語の字からして、容易に連想されることだが、実はそれは誤解で、陶冶の「陶」は、人を教え導くの意で、「冶」は立派なものに仕上げることの意。型にはめる、製作者の意のままに教育するといった意味合いではない。一部には、良い材料をしっかり探し出し、吟味して選び出し、それを細心の注意をもって立派なものに仕上げていくという意味だという説明をする人もある。


陶冶(とうや)とは、もとは漢語で陶器や鋳物をつくりあげるという意味である。転じて、人間のもって生まれた素質や能力を理想的な姿にまで形成することをいう。教育と厳密には区別しにくい概念であるが、やはり違いはある。教育が人間の成長に関する包括的な概念であるのに対して、陶冶は、知的・道徳的・美的・技術的諸能力を発展させることによって、よりよい人間を形成しようとすることである[1]

この概念はかなり多様な意味で用いられているが、ドイツ語のビルドゥンクBildungの訳語として使われることが多く、これまで人間の本性の諸力を内部から調和的に発展させることを意味してきた。日本語では「教養」と訳される場合もあるが、教養がいままでの成果の内容をさしているのに対して、陶冶はその形成の過程ないし作用を表すという違いがある。その場合、子供をある目的にまでつくりあげていくという意図的、積極的な作用を意味するのみならず、より広く自然の人間形成の過程をも含めて陶冶という概念が用いられることもある[1]

また旧ソ連および旧東ドイツの教育学の影響を受けて、陶冶は訓育と並列され、知識や技能の形成をおもな目的とする知的教育、つまり「教授」と同じ意味で用いられている。この場合にはかなり限定された意味で、狭義での陶冶概念として用いられている。しかし普通、人間性の陶冶、品性の陶冶といった用法に示されているように、訓育と教授を包括する全体的、統合的な人間形成という広い意味でとらえるのがより一般的である[1]

なお、陶冶に関してさまざまの理論があるが、形式陶冶説と実質陶冶説が有名である。前者は、記憶力、推理力、判断力など人間のもっている諸能力や諸機能の陶冶を重視するのに対して、後者は、教材として提供される科学や文化の実質的な内容の習得を重視する考え方である。この両者の一方だけでは陶冶は成立しない。それゆえ統合論としての範疇(はんちゅう)陶冶説が妥当であるとみなされている[1]

脚注[編集]

関連項目[編集]