田中マルクス闘莉王
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| 田中 マルクス闘莉王 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | トゥーリオ | |
| カタカナ | タナカ マルクス トゥーリオ | |
| ラテン文字 | TANAKA Marcus Tulio | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1981年4月24日(28歳) | |
| 出身地 | ||
| 身長 | 185cm | |
| 体重 | 82kg | |
| 血液型 | B型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 浦和レッドダイヤモンズ | |
| ポジション | DF、MF | |
| 背番号 | 4 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2001-2002 2003-2004 2004- |
サンフレッチェ広島 水戸ホーリーホック 浦和レッドダイヤモンズ |
39(2) 42(10) 137(33) |
| 代表歴2 | ||
| 2006- | 26 (5) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月6日現在。 2. 2009年6月17日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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田中 マルクス闘莉王(たなか マルクストゥーリオ、1981年4月24日 - )は、日本のプロサッカー選手。ブラジルのサンパウロ州、パルメイラ・ド・オエスチ出身。浦和レッドダイヤモンズ所属。基本的なポジションはディフェンダー(センターバック)。
日系人の父親と、イタリア系ブラジル人の母親を持ち、2003年に日本国籍を取得した日系3世で、日本に帰化するまでの旧名は、マルクス・トゥーリオ・ユウジ・ムルザニ・タナカ(Marcus Tulio Lyuji Murzani Tanaka)。
目次 |
[編集] プレースタイル
長身を生かした空中戦の強さが特徴。クロスを放り込まれても高さで対処でき、味方陣内深くの最終局面において体を張って相手選手を止める。 試合では常に声を張り上げ、リーダーシップを発揮している。
攻撃参加の意識も極めて高く、ロングフィード、最終ラインからのドリブル突破による攻撃参加、ポストプレーによるアシスト、ペナルティエリア外から強烈なミドルシュートを叩き込むなど、DFとしては並外れた決定力も相まって超攻撃的なセンターバックとしての評価を確固たるものにしている。 2008年シーズン途中に発足したエンゲルス体制下の浦和レッズではテクニックと得点力を買われ、 本来のポジションであるセンターバックの一列前の位置にあたるボランチ、更にはトップ下でも起用されるなど、ユーティリティー性を発揮している。トップ下で起用された試合では本職のストライカーさながらのプレーを披露し、ハットトリックまでも達成した。
欠点としては、慢性化している両足裏腿肉離れ等の怪我や故障等による欠場が多い点、攻撃参加後の戻りが遅くカウンターでの失点に繋がることが少なくない[1] 点、スピードの欠如などが挙げられる。普段はクリーンでフェアな守備を信条としているが、試合進行とは無関係なところでのラフプレー[2]や、頻繁に行う審判への抗議など、気性の荒さも目立つ。 センターバックとは思えない守備軽視のプレイスタイルも相まって、サポーターからの評価も分かれる選手である。
[編集] 来歴
16歳の時、千葉県の渋谷幕張高校がブラジルで行っていたスポーツ留学生のテストに合格したことがきっかけで日本に留学。トップ下だったが、監督の宗像マルコス望の意向で現在のポジションであるDFへコンバートする。2001年卒業後、祖父が広島県出身という事もあってサンフレッチェ広島に入団した[3][4][5]。
2002年、シーズンにサンフレッチェがJ2に降格。1年での昇格を目指すため、新たに実力のある外国籍選手を獲得することとなり、外国籍選手の保有枠(1チームにA登録選手が3人まで)のため、2003年、J2水戸ホーリーホックにレンタル移籍。同年10月、日本への帰化をきっかけに、登録名をトゥーリオから現在の名前に変更(トゥーリオを漢字に置き換えた)。
2004年、J1浦和レッズに移籍し、U-23代表に選出され[6]、アテネオリンピック本大会にも出場。
2006年、オシムジャパン体制でA代表に初選出され、8月9日のキリンチャレンジカップ・対トリニダード・トバゴ戦で初出場、11月15日のアジアカップ予選・対サウジアラビア戦で代表初得点を挙げる[7]。またチームではリーグ優勝を果たし、Jリーグ最優秀選手を受賞した。
[編集] 人物
- キリスト教徒である。
- サッカー選手以外では獣医になりたいといっている。
- J2水戸時代の2003年や浦和の2008年に2桁得点を挙げチーム得点王となっているが、本人は、「DFが点を取るチームは、FWが決定力不足だ。」と点を決められないFWに不満を述べている。
[編集] エピソード
- 2008年10月下旬に、PRIMA★STELLA RECORDSよりブラジル移民100周年(日伯交流年)を記念し、ブラジル音楽より本人が選曲したコンピレーションアルバム「TRIP IN BRAZIL」が発売される。そのCDには、本人によるポルトガル語のラップが入っている。
- 西武ドームで行われた2008年の日本シリーズ第3戦では、浦和レッズと同じ埼玉に本拠地を置く埼玉西武ライオンズの応援として始球式を務めた。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
プロ経歴
- 2001年 - 2002年 サンフレッチェ広島

- 2003年 - 2004年 水戸ホーリーホック
※レンタル移籍 - 2004年 - 現 在 浦和レッドダイヤモンズ

[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2001 | 広島 | 23 | J1 | 17 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 22 | 1 |
| 2002 | 広島 | 6 | J1 | 22 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 27 | 1 |
| 2003 | 水戸 | 28 | J2 | 42 | 10 | - | 3 | 0 | 45 | 10 | |
| 2004 | 浦和 | 4 | J1 | 21 | 3 | 6 | 1 | 1 | 0 | 28 | 4 |
| 2005 | 浦和 | 4 | J1 | 26 | 9 | 7 | 1 | 2 | 0 | 35 | 10 |
| 2006 | 浦和 | 4 | J1 | 33 | 7 | 7 | 1 | 1 | 0 | 41 | 8 |
| 2007 | 浦和 | 4 | J1 | 26 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 27 | 3 |
| 2008 | 浦和 | 4 | J1 | 31 | 11 | 1 | 0 | 1 | 0 | 33 | 11 |
| 2009 | 浦和 | 4 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 176 | 35 | 31 | 3 | 6 | 0 | 213 | 38 | |
| 日本 | J2 | 42 | 10 | - | 3 | 0 | 45 | 10 | |||
| 総通算 | 218 | 45 | 31 | 3 | 9 | 0 | 258 | 48 | |||
| 国際大会個人成績 | FIFA | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2007 | 浦和 | 4 | 8 | 0 | 2 | 0 |
| 2008 | 浦和 | 4 | 4 | 1 | - | |
| 通算 | AFC | 12 | 1 | 2 | 0 | |
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会
- 2004年 - アテネオリンピック
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 26試合 5得点(2006年 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2006 | 5 | 1 |
| 2007 | 4 | 1 |
| 2008 | 10 | 2 |
| 2009 | 7 | 1 |
| 通算 | 26 | 5 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2006年、11月15日 | 日本 | ○3-1 | AFCアジアカップ2007予選 | |
| 2. | 2007年、8月22日 | 日本 | ○2-0 | 親善試合 | |
| 3. | 2008年、6月14日 | タイ | ○3-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 | |
| 4. | 2008年、11月19日 | カタール | ○3-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 | |
| 5. | 2009年、6月17日 | オーストラリア | ●1-2 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 |
[編集] 個人タイトル
- 2004年 - Jリーグベストイレブン
- 2005年 - Jリーグベストイレブン
- 2006年 - Jリーグ最優秀選手(MVP)、Jリーグベストイレブン
- 2007年 - Jリーグベストイレブン
- 2008年 - Jリーグベストイレブン
[編集] CM
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 劣勢の試合では終盤になるとFWの位置に留まる事が多い。
- ^ 2007年8月11日 J1第19節柏レイソル戦 山根巌に対する肘打ちなど。
- ^ 中国新聞 サンフレ新人素描
- ^ ニッケイ新聞:あるぜんちな丸同船者寄稿集
- ^ プロ同期入団は、林卓人、河野淳吾、西嶋弘之、寺内良太、梅田直哉、李漢宰がいる。
- ^ 初戦となるバーレーン戦では、かねてから違和感を覚えていた左太腿に肉離れが発症しピッチ上に倒れ、交替(チームも0-1で敗北)。本人の意思で残り2試合も松葉杖をついてチームに帯同した(残り2試合を連勝しオリンピック出場を決める)。
- ^ この試合の終了直前、FWの高松大樹が獲得したPKを自分が蹴ると名乗り出て日本代表監督のオシムを笑わせたが、このPKを外してしまい、試合後は「もうPKは蹴らない、こんな落ち込みはない。」と落胆していた。オシムも「今日の収穫は、だれにPKを蹴らせてはいけないかが分かったことだ」と冗談交じりにコメントしている。
[編集] 外部リンク
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