関氏盛

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関氏盛
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 延宝2年4月12日1674年5月17日
別名 兵助(通称)、自閑(号)
戒名 紹由
墓所 東京都台東区下谷の広徳寺
官位 従五位下安芸守兵部少輔
幕府 江戸幕府旗本寄合蒲生郡5,000石)
主君 徳川家光家綱
伯耆黒坂藩
氏族 関氏
父母 関盛吉森本氏
養父関一政
正室本多正純の養女
長盛大河内重綱正室、横田由松
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関 氏盛(せき うじもり)は、江戸時代前期の旗本寄合伯耆国黒坂藩の嫡子だった人物。

関盛吉関盛信3男)の長男。母は森本氏。正室は本多正純の養女。子に関長盛、娘(大河内重綱室)、娘(横田由松[1]室)がいる。

伯父で黒坂藩主の関一政の養子となった。通称は兵助。号は自閑。官位従五位下安芸守兵部少輔

略歴[編集]

養父の一政は、家中騒動のため元和4年(1618年)に改易されたが、嫡子だった氏盛には近江国蒲生郡で5,000石が与えられ、寄合に列する。

寛永17年(1640年)に久能山東照宮の造営奉行を務め、その後正保2年(1645年)に輪王寺三仏堂・新宮拝殿の造営、万治元年(1658年)に天樹院の館の普請、安宅丸の修補奉行などに携わる。

寛文8年(1668年)に致仕して家督を子の長盛に譲る。延宝2年(1674年)、死去。法名は紹由、墓所は東京都台東区下谷の広徳寺。

系譜[編集]


氏盛の娘は大河内重綱の正室となって大河内信久を産んでいる。

脚注[編集]

  1. ^ 横田高松の子孫