関成煥

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関成煥
時代 江戸時代後期
生誕 寛政10年10月18日1798年11月25日
死没 安政2年11月21日1855年12月29日
改名 陽之助(幼名)、長基、成煥、東翁(法号)
戒名 雄岳院旭瑞東翁大居士
墓所 東京都港区白金台瑞聖寺
官位 従五位下備前守大蔵少輔東市正
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
備中新見藩
氏族 関氏
父母 関長輝:不詳
兄弟 成煥長吉
陽之助、長発
養子長道
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関 成煥(せき しげあきら)は、備中国新見藩の第7代藩主。新見藩関家8代。

略歴[編集]

寛政10年(1798年)10月18日、第6代藩主・関長輝の長男として生まれる(次男との説もある)。文化11年(1814年)2月28日、将軍徳川家斉に拝謁する。文政2年(1819年)11月21日、父長輝の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下備前守に叙任する。

天保7年(1836年)7月5日、次男の長発が早世する。そのため、播磨国三日月藩から従弟の長道養子に迎えた。天保12年(1841年)閏1月20日、隠居し、養子の長道に家督を譲った。その後は東翁と名乗って俳諧の研究に専念したといわれている。安政2年(1855年)11月21日に死去した。享年58。

系譜[編集]