長崎県立大村高等学校

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長崎県立大村高等学校
Nagasaki Prefectural Omura High School.jpg
過去の名称 【藩校】
集義館
静寿園
五教館
【旧制中学】
長崎県立下等大村中学校
長崎県立初等大村中学校
私立大村中学校
長崎県立中学玖島学館
長崎県立大村中学校
長崎県立大村高等学校
【高等女学校】
大村町立女子手芸学校
東彼杵郡立女子手芸学校
長崎県立大村高等女学校
長崎県立大村女子高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎県
併合学校 長崎県立大村高等学校(男)
長崎県立大村女子高等学校
長崎県立大村農業高等学校
校訓 両道不岐
設立年月日 1670年藩校
1884年11月1日旧制中学校
創立記念日 11月1日
創立者 大村藩4代目藩主、大村純長
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 【全日制課程】
普通科
・数理探求科
家政科
【定時制課程】
・普通科
高校コード 42115E
所在地 856-0835
長崎県大村市久原1-591
外部リンク 公式サイト
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大村高校旧校舎:1933年昭和8年)5月~1988年(昭和63年)12月までの55年間使用された

長崎県立大村高等学校(ながさきけんりつおおむらこうとうがっこう, Nagasaki Prefectural Omura High School)は、長崎県大村市久原にある県立の高等学校。略称は「大高」(だいこう)。

概要[編集]

歴史
大村藩4代目藩主・大村純長が、1670年寛文10年)、玖島城内桜馬場に九州で初めに開学した藩校を前身とする。廃藩置県とともに藩校は廃止され、学制施行により長崎県立下等大村中学校が設置されるも、3年あまりで廃校。その後すぐ、1884年明治17年)に旧藩主の伯爵家により「私立大村中学校」が創立。数回の移管・改称を経て、戦後の学制改革で「長崎県立大村高等学校」(男子校)となる。間もなく旧・高等女学校の「長崎県立大村女子高等学校」を統合し、男女共学の「長崎県立大村高等学校」となり、現在に至る。
「私立大村中学校」の開校した1884年(明治17年)を創立年としており、2009年平成21年)に創立125周年を迎えた。
設置課程・学科
校是
「両道不岐」[1]
校章
大村家より長崎県へ経営移管した1901年(明治34年)に制定。デザインは大村家家紋の一つである替紋をもとに図案化された。
校歌
【旧制大村中学校・校歌】
1928年(昭和3年)11月に制定。作詞は土井晩翠、作曲は山田耕筰[2]による。この旧校歌は学生歌として残り、現在も歌い継がれている。
【大村高等学校・校歌】
1951年(昭和26年)8月に制定。作詞は福田清人、作曲は信時潔による。
施設
  • 「大高坂」- 校門から本館入口に至る、約150mの坂。春の季節にはの並木道となる。
  • 「本館」 - 5階建て。2・3学年教室、職員室、事務局、特別教室など。
  • 「別館」 -4階建て。1学年教室、特別教室、定時制校舎など。
  • 「体育館」 -大体育館と小体育館。
  • 「図書館・体験実習室」 -1階は多目的室。2階は図書館。
  • 「五教寮」- 生活宿舎のための寮ではなく、研修会や合宿等で使用される。
通学手段
徒歩、自転車、路線バス、電車(JR)

沿革[編集]

藩校
  • 1670年(寛文10年)- 四代藩主・大村純長により、玖島城内桜馬場[3]に藩校「集義館」(しゅうぎかん)が設立。
  • 1679年元禄7年) - 「静寿園」(せいじゅえん)と改称。江戸から荻生徂徠学派の学者・本田鉄州を教官として招聘。
  • 1790年寛政2年) - 「五教館」(講学所)と「治振軒」(演武場)を大村城外桜田屋敷に建設。
  • 1872年明治5年)11月 - 五教館を廃校。
長崎県立大村中学校(旧制中学校、男子校)
  • 1880年(明治13年)10月 - 「長崎県立下等大村中学校」(3年制)が設立。54名が入学。
  • 1881年(明治14年)7月 - 「長崎県立初等大村中学校」(4年制)と改称。
  • 1884年(明治17年)(創立年
    • 3月 - 県立中学校一校制[4]に基づき、長崎県立初等大村中学校が廃止。
    • 11月1日 – 旧藩主の大村伯爵家により、「私立大村中学校」(旧制中学校、4年制)が創立。99名が入学。11月1日を創立記念日とする。
  • 1886年(明治19年)9月 – 「私立尋常大村中学校」(5年制)と改称。
  • 1896年(明治29年)5月 - 「私立尋常中学玖島学館」と改称。
  • 1898年(明治31年)4月 – 「長崎県尋常中学玖島学館」と改称。
  • 1901年(明治34年)4月 – 「長崎県立中学玖島学館」と改称。
  • 1919年大正8年) 4月 – 「長崎県立大村中学校」と改称。
  • 1922年(大正11年)4月 - 北高来郡諌早村(現・諫早市)に諌早分校[5]を設置。
  • 1928年(昭和3年)11月 - 校歌を制定。
  • 1933年(昭和8年)5月 - 久原ヶ丘(現在地)に新校舎が完成し、移転。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革の新制中学校発足に伴い、併設中学校[6]を設置し、旧制中学校の2・3年生を収容。旧制中学校の生徒募集を停止。
  • 1948年(昭和23年)4月 – 学制改革により、「長崎県立大村高等学校」(新制高等学校、男子校)と改称。
長崎県立大村高等女学校
  • 1911年(明治44年)8月 – 「東彼杵郡立大村実科高等女学校」を設立。
  • 1919年(大正8年)4月 – 「東彼杵郡立大村高等女学校」と改称。
  • 1922年(大正11年)4月 – 「長崎県立大村高等女学校」と改称。
  • 1934年(昭和9年)4月 - 長崎県女子師範学校[7]と併設。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革の新制中学校発足に伴い、併設中学校[6]を設置し、高等女学校の2・3年生を収容。高等女学校の生徒募集を停止。
  • 1948年(昭和23年)4月 – 学制改革により、「長崎県立大村女子高等学校」と改称。
長崎県立大村高等学校(男女共学)
  • 1948年(昭和23年)
    • 11月 - 長崎県立大村高等学校、大村女子高等学校、および大村農業高等学校を統合し、「長崎県立大村高等学校」(男女共学、総合高等学校)と改称。
  • 1949年(昭和24年)
    • 4月 - 被服科および別科を設置。(定員各40名)
    • 5月 - 定時制普通科(夜間)1学級を設置。(定員40名)
    • 5月25日 - 昭和天皇が来校。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月 – 別科を廃止。
    • 4月 - 農業部が分離独立し、長崎県立大村農業高等学校(現長崎県立大村城南高等学校)となる。
    • 8月 - 新校歌を制定。旧制中学校校歌を学生歌とする。
  • 1953年(昭和28年)
    • 4月 - 被服科に代わり、家庭課程を設置(定員80名)、定時制普通科(夜間)2学級となる。(定員80名)
    • 5月 - 補習科を1学級附設する。
  • 1956年(昭和31年)8月 – 補習科を廃止。
  • 1984年(昭和59年)
    • 2月 – 創立100周年記念館「五教寮」が完成。
    • 10月 – 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1985年(昭和60年)3月 – 「大村高校百年史」を刊行。
  • 1988年(昭和63年)4月 - 定員を全日制普通科8クラスとする。
  • 1989年(平成元年)1月 - 新校舎(本館)が完成。
  • 1990年(平成 2年)1月 - 中庭「語らいの広場」と校門が完成。
  • 1992年(平成 4年)9月 - 体育館が完成。
  • 1993年(平成 5年)3月 - グラウンド整備を完了。
  • 1994年(平成 6年)
    • 3月 - 南館・東館の改修工事を完了。
    • 4月 - 長崎県内で初めて、全日制理数科を設置。(1学級定員40名)全日制普通科7クラスとする。
    • 10月 - 創立110周年記念庭園が完成し、創立110周年記念式典を挙行。
  • 1997年(平成 9年)
    • 1月 -「魅力ある図書館づくり」で図書館を改修。
    • 3月 - 南館(家政科実習室棟)を改修。語らいの広場の環境整備工事が完了。
  • 1998年(平成10年)3月 - 第2体育館が完成。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月 - ハンドボールコート・パソコン室・テニスコートを整備。
    • 4月 - 全日制家政科の定員を1学級とする。
  • 2001年(平成13年)12月 - 校内LANを整備。
  • 2004年(平成16年)10月 - 創立120周年記念式典を挙行。
  • 2006年(平成18年)3月 - グラウンドを改修。
  • 2010年(平成22年)3月 - クライミングウォールが完成。
  • 2011年(平成23年)4月 - 理数科の募集を停止し、数理探究科の募集を開始[8]
  • 2013年(平成25年)3月31日 - 理数科を廃止。

分離・独立した学校[編集]

  • 長崎県立諫早高等学校
    • 1922年(大正11年)- 長崎県立大村中学諫早分校として設立。
    • 1923年(大正12年)- 長崎県立諫早中学校と改称。
    • 1948年(昭和23年)
      • 4月 - 学制改革により長崎県立諫早高等学校(男子校)が発足。
      • 11月 - 長崎県立諫早女子高等学校と統合し、男女共学となる。
  • 長崎県立大村城南高等学校
    • 1941年(昭和16年)- 「大村市立竹松実業学校」として設立。
    • 1948年(昭和23年)11月30日 - 長崎県立大村高等学校と統合し、「長崎県立大村高等学校農業部」となる。
    • 1951年(昭和26年)3月31日 - 長崎県立大村高等学校より分離し、「長崎県立大村農業高等学校」として独立。
    • 1955年(昭和30年)4月1日 - 「長崎県立大村園芸高等学校」に改称。
    • 1998年(平成10年)4月1日 - 学科改編により、「長崎県立大村城南高等学校」に改称。総合学科校となる。
  • 長崎県立西彼農業高等学校
    • 1949年(昭和24年)4月30日 - 「長崎県立大村高等学校農業部 亀岳分校」(昼間定時制)が亀岳村立亀岳中学校に併設される。
    • 1951年(昭和26年)4月1日 - 「長崎県立大村農業高等学校 亀岳分校」と改称。
    • 1955年(昭和30年)4月1日 - 「長崎県立大村園芸高等学校 琴海分校 亀岳教室」と改称。
    • 1956年(昭和31年)4月1日 - 「長崎県立西彼農業高等学校」として分離・独立。
  • 長崎県立長崎明誠高等学校
    • 1949年(昭和24年)4月30日 - 「長崎県立大村高等学校農業部 村松分校」(昼間定時制)が村松村立村松中学校に併設される。
    • 1951年(昭和26年)3月31日 - 「長崎県立大村農業高等学校 村松分校」と改称。
    • 1955年(昭和30年)4月1日 - 「長崎県立大村園芸高等学校 琴海分校 村松教室」と改称。
    • 1956年(昭和31年)4月1日 - 「長崎県立西彼農業高等学校 村松分校」に改称。
    • 1968年(昭和43年)4月1日 - 移管により、「長崎県立長崎西高等学校 琴海分校」と改称。
    • 1974年(昭和49年)4月1日 - 「長崎県立琴海高等学校」として分離独立。
    • 1998年(平成10年)4月1日 - 学科改編により、「長崎県立長崎明誠高等学校」に改称。総合学科校となる。

部活動[編集]

  • 19体育部と15文化部
クラブに入部する生徒は、例年半数を超えている。中には漕艇部、弓道部、山岳部、コーラス部、吹奏楽部等のように、全国大会や九州大会で活躍する部もある。
体育部 文化部

著名な出身者[編集]

卒年順(項目別)

財界
企業創業者
  • 澤山精八郎 - 第十八銀行設立者、澤山商会創業者 / 貴族院議員(多額納税)
  • 黒板伝作 - 月島機械創業者
  • 田崎俊作 - 田崎真珠創業者 現社長、勲三等受章
  • 貞松隆弥 - ビジュソフィア創業者 現社長
大学学長・学者等
防衛
芸術
  • 荒木十畝 - 日本画家、文展および帝展審査員 / 米国セントルイス万博で銀賞受賞。
  • 堀池清 - 映画監督
  • 村嶋寿深子 - 声楽家、演出家 ミュージカル俳優
  • 大塚勇造 - スタイリスト
  • 長岡和弘
文学
  • 福田清人 - 文学者、勲四等受章、創立80周年記念式典講演者
  • 松本正氣(本名 正喜(まさき)) - 俳人
  • 川副国基 - 文学者、早稲田大学文学部 元学部長
  • 蒲池勘一 - 詩人、國學院大學文学部 元教授
  • 伊東静雄 - 詩人
政界
その他

縁のある人物[編集]

- セオドア・ルーズベルトアメリカ合衆国大統領)の娘。軍艦オハイオ(BB-12)で日本を訪問。1906年(明治39年)に大村に立ち寄った際、彼女の案内役を旧制大村中学校校長(第14代・米沢武平)および職員が務めた[11]
- トヨタ自動車会長。第二次大戦前、技術士官として大村市に赴任。旧制大村中学近郊の大村市片町に下宿。旧制大村中学生徒と交流し、影響を与えた[12]
- ローマ教皇。日本訪問期間中(1981年(昭和56年)2月23日から26日まで)に、大村高校校舎建設時に出土したメダリオン[14]を見るために来校[13]
  • 竹下景子 - 日本の女優。父親が旧制大村中学卒業生。その縁で1993年(平成5年)に大村高校同窓会総会の司会を務めた[13]

交通アクセス[編集]

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
  • 長崎県営バス 大村市内線 「(大村)公園入口」バス停下車後、徒歩3分。
最寄りの道路
その他

周辺[編集]

参考文献[編集]

  • 「秋の目玉」 (1966年講談社) - 福田清人著 大正期の旧制大村中学 / 野間児童文芸賞受賞
  • 「野口山荘随筆」(1967年 同窓会刊) - 明治17年・私立大村中学一期生(朝永三十郎など)から第二次大戦後まで
  • 「不帰春」(1984年 同窓会刊) - 第二次大戦中の旧制大村中学
  • 「大村高校百年史」 (1985年 同窓会刊) - 1670年から1984年までの大村高校史
  • ルワンダ中央銀行総裁日記」(1972年、増補版2009年)、「援助する国される国」(2001年)(中央公論社中央公論新社)- 服部正也(元世界銀行副総裁)著 昭和初期の旧制大村中学
  • 「ゴーイング マイ ウェイ」(2003年財界研究所) - 田崎真珠創業者 田崎俊作著 第二次大戦前の旧制大村中学
  • 「もう一つの維新史」 (新潮社)- 外山幹夫著 幕末から明治の五教館、第二次大戦直前から戦中
  • 「大村史 琴湖の日月」(国書刊行会) - 久田松和則著 五教館の歴史、人物
  • 「大村史談」(定期刊行物)- 五教館、旧制大村中学 明治、大正、昭和の歴史、人物

脚注[編集]

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  1. ^ 読みは「りょうどうふき」。「文武(学問と武道)、あるいは心身など、全ては分かれるものでなく、一つの道につながっている」という意味。
  2. ^ 山田耕筰の自筆の楽譜が、大村高校図書館に所蔵されている。
  3. ^ 現・大村公園長崎県教育センター
  4. ^ 文部省令により、長崎県内の大村・諫早島原福江(五島)厳原(対馬)壱岐の中学校が廃止され、長崎県立長崎中学校1校のみとなった。
  5. ^ 1923年(大正12年)1月に長崎県立諌早中学校となる。現在の長崎県立諫早高等学校の前身。
  6. ^ a b 旧制から新制への移行期における特別措置として設置され、旧制中等教育学校(旧制中学校・高等女学校)の2・3年生(1945年(昭和20年)4月と1946年(昭和21年)4月の入学生)を収容し、1949年(昭和24年)3月に最後の卒業生を送り出し、廃止された。
  7. ^ 1938年(昭和13年)4月に官立(国立)移管に伴い、長崎師範学校女子部となる。長崎大学教育学部の前身。
  8. ^ 平成23年度 ハイスクールガイダンス 長崎県教育委員会
  9. ^ 漕艇(ボート)部は、明治期、長崎に寄港した英国海軍の軍人たちが、ボートの楽しさを教えたことが、旧制大村中学ボートの始まり。なお、歴史的旧跡が艇庫となっている点に特長がある。所在地は、御船蔵(おふなぐら)跡とよばれる。大村純長の時代に、構築された。ほぼ当時のまま現存している。練習には寺島おもいで漕艇場(東浦漁港)を使用している。
  10. ^ 参考文献:「もう一つの維新史」
  11. ^ 参考文献:「野口山荘随筆」
  12. ^ 参考文献:「不帰春春」
  13. ^ a b c 参考文献:「大村高校百年史」
  14. ^ マドリッド王室造幣局製。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]