長居の悲劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長居の悲劇(ながいのひげき)とは、Jリーグ・セレッソ大阪がホームスタジアムの長居公園陸上競技場で行われた試合でリーグ優勝を目前で逃したことを指す。過去に2度起こっている。
最初は2000年5月27日の川崎フロンターレ戦で延長Vゴール負けによりファーストステージ優勝を逃し、2度目は2005年12月3日のFC東京の試合で後半ロスタイムに同点ゴールを決められてリーグ優勝を逃した。
共に前々節で2位だったセレッソが最終節を前に首位に立ち、その最終節で勝てば優勝という条件で、さらにその最終節では下位チームを相手に有利に進めながらも勝利できなかったところが共通している。また、川崎フロンターレ、ジェフ千葉が共に関係しているのは興味深いといえる。さらに、セレッソはこの優勝争いをした翌年(2001年、2006年)には、いずれもJ2に降格してしまっている。これらの優勝争いの年の年間順位が共に5位であり、セレッソにとってこの順位は呪われているのかもしれない。さらに奇しくもJ1昇格を逃した2007年のJ2での最終順位も5位であった。
目次 |
[編集] 2000年Jリーグ ディビジョン1 ファーストステージ
[編集] 試合概要
- 開催日: 2000年5月27日
- 開催地: 長居公園陸上競技場(大阪市)
- 結果: セレッソ大阪 1 - 2v 川崎フロンターレ
- 得点: 49分 我那覇和樹(川崎) 60分 西澤明訓(C大阪) 106分 浦田尚希(川崎)
16チーム1回戦総当たり2ステージ制で行われたこのシーズン、セレッソ大阪は5月20日に行われた第14節の横浜F・マリノス戦(三ツ沢公園球技場)で3-2と勝利し首位に立った(「雨の三ツ沢」)。この試合、対戦相手の横浜F・マリノスは90分以内で勝てばファーストステージ優勝が決まるところであったが、雨のなか行われたこの試合で勝利したセレッソ大阪は、5月27日の第15節(最終節)川崎フロンターレ戦で勝利すれば無条件で初優勝が決まる状況となった。
対戦相手の川崎フロンターレは、ファーストステージ15位であり、セレッソ大阪の勝利は確実視されていた。43193人の大観衆を前に行われたこの一戦を前半は両チームとも無得点で終えると、後半4分に先制点が川崎フロンターレの我那覇和樹により生まれた。対するセレッソ大阪は後半15分、西澤明訓が同点ゴールを決め、その後も攻勢に出たがゴールをあげることが出来ず、試合はVゴール方式の延長戦に突入した。
同じ時間、国立霞ヶ丘競技場(東京都)でジェフユナイテッド市原と対戦していた横浜F・マリノスは2-0で勝利をあげ、勝ち点30、得失点差+11、総得点32となった。前節まででセレッソは勝ち点29、得失点差+10、総得点34であったため、引き分けでは勝ち点30で並ぶものの得失点差で1及ばないため、優勝するためにはVゴール勝ち(勝ち点31)するしかなくなった。
しかし、対戦相手のフロンターレはJ1初昇格にして早くも降格の危機に陥っており、どの試合も落とせない状況であったため、延長に入っても攻め続け、延長後半1分、川崎フロンターレは右サイドから我那覇和樹のあげたクロスボールをゴール左サイドに滑り込んだ浦田尚希がダイレクトボレーで決め、1-2でセレッソ大阪はVゴール負けとなった。
これにより国立競技場の大型ビジョンでサポーターとともに戦況を見ていた横浜F・マリノスに2000年ファーストステージ優勝が転がり込み、セレッソ大阪は2位に終わった(その後のセカンドステージでは波に乗れず、9位に沈み年間順位は5位となった。また、川崎フロンターレはファースト、セカンドステージで15位、年間順位は16位となりJ2に降格した)。
[編集] メンバー
セレッソ大阪
- 監督: 副島博志
- 選手
川崎フロンターレ
- 監督: 今井敏明
- 選手
[編集] セレッソにとって有利だった点
この2000年の長居の悲劇には、セレッソにとって有利だった点がいくつか挙げられる。
- セレッソにとっては長居というホームでの多くのサポーターの声援があった。
- 前節までの順位はセレッソが首位で、一方のフロンターレは15位と低迷していた。
- この最終節までセレッソは4連勝と勢いに乗っており、対するフロンターレは連敗を重ねていた。さらに、その連勝の中には前述のアウェーでの当時首位だった横浜Fマリノスを敗った試合があった。
- フロンターレのチームの総得点がセレッソの当時の得点王の森島寛晃と同得点であった(12点)。
- セレッソには森島寛晃、西沢明訓という日本代表、尹晶煥、盧廷潤という韓国代表がいたのに対し、フロンターレには代表選手はいなかった。
- セレッソはこの1stステージホームで負けがなかった。
これだけ揃っていて、セレッソは初優勝を逃しているのだから、セレッソの選手、そして、セレッソファンの悲しみは強烈かつ、筆舌に尽くしがたいものがあったに違いない。
さらになお、フロンターレはこの勝利後の2ndステージも思うように勝ち星を挙げられず、最下位でJ2に降格したのだから、セレッソファンにとっては因縁の相手になったに違いない。だから、フロンターレは一泡吹かす相手を間違えているという解釈もある。
[編集] 2005年Jリーグ ディビジョン1
(詳細は2005年J1最終節参照)
[編集] 試合概要
- 開催日: 2005年12月3日
- 開催地: 長居公園陸上競技場(大阪市)
- 結果: セレッソ大阪 2 - 2 FC東京
- 得点: 3分 西澤明訓(C大阪) 20分 鈴木規郎(FC東京) 48分 西澤明訓(C大阪) 89分 今野泰幸(FC東京)
18チーム1ステージ2回戦総当たり制(全34節)となったこの年、Jリーグは5チームが優勝を競う大混戦となっていた。
第32節まで首位に立っていたガンバ大阪であったが、次の第33節まで3連敗を喫すると、第19節から無敗により勝ち点を重ねたセレッソ大阪が首位に立った。しかし最終節を迎えたこの時点で勝ち点58のセレッソ大阪と、ガンバ大阪(勝ち点57)、浦和レッズ、鹿島アントラーズ、ジェフ千葉(以上、勝ち点56)の5チームに優勝の可能性が残る大混戦となった。そのためセレッソは、最終戦の対戦相手、FC東京に勝たないと優勝は厳しい状況に置かれていた。
43927人の観衆が詰め掛けたこの試合、セレッソは前半3分に西澤明訓のゴールで先制する。前半20分、FC東京の鈴木規郎が同点ゴールを決め1-1の同点となると、その直後にセレッソはPKのチャンスを得る。しかしゼ・カルロスがこれを決められず、前半は同点での折り返しとなった。
この時点でレッズとアントラーズが2-0とリードしており、セレッソはその次に位置していたが、後半3分に西澤明訓が2点目をあげ、その後もリードを保つと、誰もがセレッソの初優勝を信じた。
しかし、後半ロスタイムに悲劇は起きた。ゴール前の混戦からFC東京の今野泰幸に同点ゴールを決められ、2-2の引き分けで試合は終了した。そのためセレッソは勝ち点59となり、川崎フロンターレに4-2で勝利したガンバ大阪が勝ち点60となり逆転で優勝。レッズ(4-0)、アントラーズ(4-0)、ジェフ(2-1)も全て勝利し勝ち点59となったが、得失点差によりセレッソ大阪は前回の時と同じ5位に終わった。
優勝を逃した原因として、PKを土肥洋一に止められたゼ・カルロスに批判が集中するだろうが、セレッソの2点目の西澤のゴールはゼ・カルロスのドリブル突破からによるものだった。また、対戦相手のFC東京も同年9月3日の柏レイソル戦に敗れてから1度も敗戦を喫していなかったため、最後まで果敢に攻めたのであった。またPKを止めた土肥も審判に執拗な抗議をし、キッカーのゼ・カルロスに尋常でないプレッシャーを与えたのである。
さらに、セレッソは2000年の時のように必ずしも有利な状況で臨めたわけではない。対戦相手のFC東京は中位に位置しこの最終節まで10戦負け無しと勢いがあった。代表選手の状況もセレッソにはなしで、FC東京には今野泰幸、土肥洋一と2人いて逆の状況だった。そして、セレッソの直近の2試合はいずれも先制しながら終了間際に追いつかれるという展開であり、楽には勝たせてくれない試合が続いていた。そんな中、ガンバの連敗により何とか首位に立つという状況であり、それは棚ぼたのように舞い降りたチャンスなのであった。
そんな中で迎えた最終節は、これまでの全試合にフル出場した守備の要ブルーノ・クアドロスを累積警告で欠いた状況で試合に臨まなければならず、経験の少ない若手2人を含む最終ラインで守ることとなった。しかしそれでいて、(当時を知る選手は既に西澤、森島の2人だけであったに関わらず)5年前の苦い経験を持つチームは「絶対に勝たなければいけない」という一層強いプレッシャーに押されていた。そんな中で「最少勝ち点差を追われる」立場や、「最少点差を守りきる」という展開、そして何よりホームの大声援の異常な空気の中で、選手の緊張は極限状態に達していたであろうことは言うまでもないだろう。
[編集] メンバー
セレッソ大阪
- 監督: 小林伸二
- 選手
FC東京
- 監督: 原博実
- 選手
[編集] ドーハの悲劇との共通点
2005年の長居の悲劇は、ドーハの悲劇との共通点がいくつか挙げられる。
- この試合に勝利すれば、目標を達成できた(共に初めての目標達成だった)
- 日本代表: ワールドカップ出場
- セレッソ: Jリーグ優勝
- 5チームに目標達成の可能性があった
- 日本代表: 日本、韓国、サウジアラビア、イラン、イラク
- セレッソ: セレッソ、ガンバ、レッズ、アントラーズ、ジェフ
- 先制、同点、勝ち越し、そしてロスタイムに痛恨の同点ゴールで2-2のスコア
- 先制点がともに前半の早い時間帯
- セレッソ: 前半3分
- 日本代表: 前半5分
- ロスタイムでの失点が、ともに右サイドからのコーナーキックを基点とする得点
- ライバルチームが目標を達成した
- 日本代表: 韓国代表がワールドカップ・アメリカ大会出場権を獲得
- セレッソ: ガンバ大阪がJリーグ優勝
- チームの序盤の調子が悪かった
- 日本代表: 序盤の結果 1敗1分
- セレッソ: 序盤の結果 3敗
- チームの守備の要の選手が怪我、累積警告が理由で出場できなかった
- 日本代表: 都並敏史
- セレッソ: ブルーノ・クアドロス
しかし、共通していないところもある。
- 日本代表は4年後にジョホールバルの歓喜でW杯出場の目標を成し遂げ、近年はW杯常連国やアジアカップ2連覇を成し遂げるなどアジアの最強国の一角まで成長しているが、セレッソは目標を成し遂げるばかりか、逆に優勝争いの翌年(2001年、2006年)に低迷し、J2に降格してしまったことであろう(さらに、皮肉にもセレッソ大阪の降格が決定した試合の対戦相手は2001年はFC東京、2006年は川崎フロンターレであった。しかもこれらの試合は共にセレッソは大敗している: 2-5, 1-3)。
もう1つは
- 自力での目標達成の可能性は長居の方はセレッソ1チームのみだが、ドーハの方は日本、サウジアラビアと2チームある。
さらに
- ライバルチームの目標達成が、初めてか達成済みであったかの違いである。
- 長居: ガンバ大阪は13年目にして悲願の初優勝だった。
- ドーハ: 韓国代表はすでに3度W杯に出場していた。
[編集] 関連項目
- 栗田晴行(情報ネットワーク出向 上述2試合の実況を担当した)
- ドーハの悲劇
- 博多の森の悲劇
- 秋天の陽炎
- 1999年J1最終節
- 10.19

