鎌田政年

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鎌田 政年(かまた まさとし、永正11年(1514年) - 天正11年7月8日1583年8月25日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将島津氏の家臣。政房とも。刑部左衛門のち尾張守。入道名:寛栖。子は鎌田政広

島津忠良島津貴久島津義久の3代に仕え、大隅帖佐薩摩馬越、日向三ツ山、大隅牛根の地頭職を歴任した。

弘治3年(1557年)の薩摩北部の豪族・蒲生範清攻め、永禄11年(1568年)の菱刈隆秋の薩摩・馬越城攻めなど数々の武功のある人物だった。特に馬越城攻めの際は、島津忠良から「永久に島津家はその功を忘れぬ」とその忠功を賞されている。

元亀3年(1572年)5月4日、木崎原の戦いが起こると島津義弘と共に兵150人を率いて出陣、池島川で休憩中の日向国伊東氏の将兵を攻撃、更に義弘に与えられた兵60人を率いて伊東軍の背後に回り、義弘、五代友喜の軍勢と共に3000人の伊東軍を撃退せしめた。

天正8年(1580年)、新納忠元と共に肥後国阿蘇氏領に侵攻、肥後・矢崎城(熊本県宇土郡)の中村惟冬を攻めこれを討ち滅ぼす。

没日には2つの説があり、「天正11年7月8日」説と「天正15年7月10日1587年8月13日)」説がある。姶良郡牛根二川の望海山喜翁院に葬られた。