銚子電気鉄道線

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銚子電気鉄道線
郊外の畑の中を走るデハ1000形電車
郊外の畑の中を走るデハ1000形電車
路線総延長 6.4 km
軌間 1067 mm
電圧 600 V 架空電車線方式
(直接吊架式)
直流
STR
JR東: 総武本線
0.0 銚子駅
BHF
0.5 仲ノ町駅
BHF
1.1 観音駅
BHF
1.8 本銚子駅
BHF
2.7 笠上黒生駅
BHF
3.2 西海鹿島駅
BHF
3.6 海鹿島駅
BHF
4.7 君ヶ浜駅
BHF
5.5 犬吠駅 (2)
eBHF
5.9 犬吠駅 (1)
KBHFe
6.4 外川駅
犬吠駅付近を走るデハ800形電車(2006年撮影)

銚子電気鉄道線(ちょうしでんきてつどうせん)は、千葉県銚子駅外川駅とを結ぶ銚子電気鉄道鉄道路線である。全線が銚子市内にあり、関東地方の最東端である犬吠埼の近くを通る。

路線データ[編集]

歴史[編集]

  • 1913年大正2年)12月28日 - 地元の有志などによって設立された銚子遊覧鉄道の手により、銚子 - 犬吠間が開業(1067mm軌間・蒸気動力)。
  • 1917年(大正6年)11月21日 - 経営が赤字続きであり、また第一次世界大戦が勃発して鉄の価格が高騰したことから、銚子遊覧鉄道線としては開業わずか4年目にして廃止となり、レールは鉄材として売却された。
  • 1918年(大正7年)7月15日 - 銚子遊覧鉄道の廃線跡が、地元の旅館送迎バス専用道路となる。
  • 1923年(大正12年)7月5日 - 銚子遊覧鉄道の設立構成員によって再び設立された銚子鉄道が、銚子遊覧鉄道の廃線跡を転用し、銚子 - 犬吠 - 外川間を開業させる(1067mm軌間・非電化、外川まで延長したのは漁港があったため)。
  • 1925年(大正14年)7月1日 - 直流600Vで電化。笠上黒生駅開業。増資75000円を伊那電気鉄道が引受け筆頭株主となる[1]
  • 1931年昭和6年)6月21日 - 君ヶ浜駅開業。
  • 1935年(昭和10年)8月14日 - 灯台前駅開業。
  • 1942年(昭和17年) - 灯台前 - 外川間の犬吠駅廃止。灯台前駅を犬吠駅に改称。
  • 1945年(昭和20年)
  • 1946年(昭和21年)
  • 1948年(昭和23年)8月20日 - 企業再建整備法により銚子電気鉄道(資本金100万円)を設立し資産を譲渡。銚子鉄道は解散[3]
  • 1955年(昭和30年)4月17日 - 国鉄より乗り入れの毎休日運転の快速列車「房総の休日」号(新宿 - 外川間)運転開始(1960年10月末まで)。
  • 1965年(昭和40年)1月6日 - 夜に変電所故障(電動発電機の故障[2])が発生し1か月間運休。2月6日始発から運行再開。
  • 1970年(昭和45年)3月1日 - 西海鹿島駅開業。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 国鉄貨物輸送削減のあおりを受け貨物営業廃止。
  • 1990年平成2年) - この頃より一部駅舎の洋風駅舎への改築や車両の塗装変更による、観光路線への転換策が図られた。
  • 1995年(平成7年)
  • 2010年(平成22年)
    • 3月13日 - ダイヤ改正で30分ヘッドのパターンダイヤを導入。
      平日のみ運転されていた早朝1往復を通年運転化。パターンダイヤ化により、平日36往復/日、土曜・休日35往復/日を通年33往復/日に削減(いずれも仲ノ町駅 - 外川駅間の1往復を含む)。
    • 12月4日 - 銚子駅でのJR線との接続改善のためのダイヤ改正によりパターンダイヤ終了。
  • 2012年(平成24年)12月20日 - 観音駅付近踏切内で軽自動車と電車の衝突事故が発生。乗員・乗客に怪我は無し。[4]
  • 2013年(平成25年)11月21日 - ダイヤ改正により33往復/日から21往復/日に減便。このダイヤ改正により外川発仲ノ町行きが消滅。
  • 2014年(平成26年)
    • 1月11日 - 外川発銚子行きの電車が笠上黒生駅構内のポイント上で脱線。2000形2002編成の2両の連結面寄りの台車がそれぞれ脱線していた。負傷者なし[5]。全線運休となる。
    • 1月26日 - 外川11時5分発銚子行きから運行を再開。なお、事故の影響によりしばらくは、16往復/日と仲ノ町始発外川行きに減便となる。

運行形態[編集]

全列車が各駅停車で、ほぼ全列車が銚子 - 外川間の運転である。2010年3月13日のダイヤ改正より早朝と下り終電をのぞいて1時間につき2本・30分間隔のパターンダイヤとなっていたが、同年12月4日のダイヤ改正により、本数はそのままで不均等な間隔(おおむね1時間あたり2 -3本)で運行されていた。2013年11月21日のダイヤ改正により、朝ラッシュ以外は1時間に1本(上りは10時台、下りは12時台は電車無し)になり、笠上黒生駅での列車交換も朝ラッシュ以外は行われなくなった。仲ノ町駅に車庫がある関係で朝6時台に仲ノ町発外川行き、夜20時台に外川発仲ノ町行きの区間列車が設定されていたが、20時台の外川発仲ノ町行きは2013年11月21日のダイヤ改正で消滅した。

ワンマン運転を行っているが、銚子 - 笠上黒生間では運賃収受のために車掌が乗務することが多い。また、規模の割に駅員配置駅も比較的多いため、ワンマン運転を行っている他の鉄道路線に比べると運賃箱を使用した運賃収受は少ないといえる。

4月下旬 - 10月上旬の日曜・祝日には、国鉄ワム80000形貨車を改造したオープンデッキ車両(ユ101)を用いたトロッコ列車「澪つくし」号が、1日1往復運行されていた。電車牽引で運転されるため、外川駅では機回しが行われていたが、銚子駅ではそれができないため、その手前の仲ノ町駅で列車最後部に回送車両を1両増結し、銚子駅で客扱いを行った後、今度は銚子駅へ来るとき最前部であった車両を回送車とし、仲ノ町駅で切り離していた。なお2005年までは4月下旬 - 10月上旬の土曜は1往復、日祝日は4往復、夏休みシーズン(7月20日前後 - 8月末日)も毎日4往復運行された。さらにお盆の夜には納涼列車「サマーナイト澪つくし」も運行されていた。トロッコ列車への乗車に運賃以外の料金は必要ない。なお名前は、銚子市を舞台にして1985年4月1日 - 10月5日に放送された、NHK朝の連続テレビ小説の『澪つくし』にちなむ。2007年以降は、トロッコ車両の安全面の問題から運行されていない。

また、毎年1月1日にJR東日本初日の出見物客を対象に臨時特急「犬吠初日の出」号や快速「銚子初日の出号」を東京・成田方面から銚子駅まで運転しているが、銚子電気鉄道ではそれに合わせ、犬吠埼へ向かう客のために大晦日の終電の繰り下げ・初電の繰り上げ・朝時間帯の犬吠駅 - 外川駅間運休を伴う特別ダイヤを組んでいる。これは以前は終夜運転であった。

なお、銚子以外の各駅にはコカ・コーラ利根コカ・コーラボトリング)の自動販売機が設置されており、自動販売機に設置されている電光掲示板で電車の運行状況を表示している。

利用状況[編集]

輸送実績[編集]

収入実績[編集]

営業成績[編集]

駅一覧[編集]

  • 全列車普通列車(全駅に停車)
  • 線路(全線単線) … ◇:列車交換可、|:列車交換不可
  • 全駅千葉県銚子市に所在。
駅名 駅間キロ 累計キロ 線路 接続路線 駅周辺
銚子駅 - 0.0 東日本旅客鉄道:総武本線 ヒゲタ醤油
仲ノ町駅 0.5 0.5   ヤマサ醤油
観音駅 0.6 1.1   飯沼観音(円福寺)、前宿町公園
本銚子駅 0.7 1.8   旧市街
笠上黒生駅 0.9 2.7   ハーブガーデンポケット
西海鹿島駅 0.5 3.2   市民センター
海鹿島駅 0.4 3.6   海鹿島海水浴場
君ヶ浜駅 1.1 4.7   君ヶ浜
犬吠駅 0.8 5.5   犬吠埼
長崎海水浴場
外川駅 0.9 6.4   外川漁港
  • 仲ノ町駅は列車交換可能であるが、ホームは片側のみの設置であり、同駅で交換を行う列車は設定されていない。
  • 有人駅は銚子、仲ノ町、観音、笠上黒生、犬吠、外川の6駅で、残りは無人駅である。

運賃・割引乗車券[編集]

運賃[編集]

対キロ区間制。通勤定期最大40%引き、通学定期最大60%引き(1997年改訂)。

キロ程 運賃(円)
初乗り1km 150
2 180
3 210
4 240
5 270
6 - 7 310

※1km未満の端数は切り上げ

弧廻手形(一日乗車券)[編集]

初日の出特別体制時を除き、「弧廻手形」(こまわりてがた。路線が円弧を描く形なのでこの名が付いた)という一日乗車券を最高運賃の往復に相当する620円で販売している(特別体制時も「弧廻手形」に相当する一日乗車券が値段を変更して販売される)。同社が発売する「ぬれ煎餅」の犬吠駅での1枚交換券、「地球の丸く見える丘展望館」の1割割引券、「銚子ポートタワー展望室」の1割割引券が付属している。

車両[編集]

現有車両[編集]

2012年現在、電車7両、電気機関車1両が在籍する。2010年7月24日に2000形2両編成2本が運用を開始した。2000形導入に伴う廃車車両の部品等のオークションも検討中である。

電車[編集]

デハ800形
デハ801
元は1950年に製造された伊予鉄道クハ400形405→モハ100形106。銚子電鉄には1985年に譲渡された[6]。伊予鉄道時代に片運転台化・両運転台化の両方の改造を受けており、前面形状が銚子寄りは3枚窓非貫通形、外川寄りは3枚窓貫通形(ただし、貫通扉は固定されているため実質的に非貫通形)となっている。パンタグラフは既設運転台側の銚子寄りにある。営業運転終了後は動態保存車両となっており、外川駅機回し線に保存されている。時々外川駅構内で小運転を行っている。なお、デハ801のさよなら運転は当初2010年3月下旬に行われる予定であったが、諸般の事情により同年9月23日に行われ営業運転を終えた。2013年3月現在、同車は笠上黒生駅の留置線に保存されている。
デハ1000形
デハ1001・デハ1002
日立電鉄に譲渡される予定だった営団地下鉄2000形のうち、同社の計画見直しで譲渡が中止された[7]2046, 2040の車体に同形2033, 2039の運転台を組み合わせて両運転台化し、営団1500形電車(2代)営団地下鉄3000系の機器・パンタグラフ・富士急行モハ5700形(元小田急2200形)の台車の取り付けを行ったもの。デハ800形同様、前面貫通扉は固定されている。パンタグラフは増設運転台側の外川寄りにある。
デハ1001は2007年4月26日から、ハドソンの支援を受けゲーム『桃太郎電鉄』シリーズ20周年記念のラッピング車両となった。当初3年間の予定であったが、2010年4月8日に継続実施が発表され、2012年5月16日まで続いた[8]。そして整備とともに塗り替えが行われ、今度は山吹色の銀座線カラーに塗装変更され、2012年8月11日のイベントで初公開された。この銀座線塗装は一般向けに募ったアンケートで最も多かった意見として採用されたもの[9]。また方向幕にはイベント用として「渋谷」「上野」「浅草」がコマに入っている。
デハ1002は小学館の支援を受け漫画『鉄子の旅』の原作者菊池直恵考案の特別塗装に変更されたがこの塗装は2011年9月で終了し、その後赤い車体に白帯の丸ノ内線カラーに塗装変更され、2011年11月26日から営業運転に復帰した。方向幕もかつての「中野坂上方南町」を模した「銚子⇔外川」となっている。また方向幕にはイベント用として「中野坂上⇔方南町」「中野富士見町」がコマに入っている。
2000形(デハ2000形・クハ2500形)
デハ2001-クハ2501・デハ2002-クハ2502
在来車を京王3000系電車を種車とする2両編成によって、2008年中に2編成、2009年度と2010年度に各1編成、計4本8両で更新する計画があった[10]。しかし、直流1500Vからの降圧対策工事費を勘案した予算計上が困難なことから頓挫し、代替車両として伊予鉄道から、同じ直流600Vの鉄道線で運行しており京王3000系譲受車での置き換えが決定している800系電車2両編成2本をデハ2000形・クハ2500形として譲り受けた[11]。なお、導入時の工事などで1億4000万程度の予算が見込まれており、そのうち2000万円を債権化して、1口10万円(200口募集)で車両支援オーナーと命名権を募っている。
デハ800形に次ぐ伊予鉄道から2度目の譲渡車両で[6]、2009年度内にこの車両でデハ700形とデハ800形を置き換える予定だったが、諸般の事情により大幅に遅れ、2010年7月24日から営業運転が開始された。銚子電気鉄道では初の冷房車である。ただし、冷房装置の使用は変電所容量の問題から、銚子と外川に停車中のみに制限されている。
デハ2000形が銚子寄り、デハ2500形が外川寄りで、種車の伊予鉄道時代の改造から前面はデハ2000形が非貫通形2枚窓の湘南形、クハ2500形は貫通形3枚窓となっている。パンタグラフはデハ2000形の連結面側(外川寄り)にある。
塗色は2001編成が伊予鉄道800系の前身、京王2010系電車の塗色であるライトグリーン一色となり、2002編成はアイボリー一色の上にイオン銚子ショッピングセンター(現・イオンモール銚子)がスポンサーとなったラッピング広告が貼付されていた。後に正面に赤帯が付され、京王5000系電車を彷彿させるものとなった。2012年12月にイオンモール銚子のラッピング広告は剥がされ、赤帯が側面にまで回っている。

在籍している電車7両全てがワンマン運転対応である。

電気機関車[編集]

デキ3
1922年ドイツアルゲマイネ社(AEG、現在のエレクトロラックス及びボンバルディア・トランスポーテーションの一部)で製造された凸型電気機関車。1067mm軌間の電気機関車としては現存最小である。宇部地方の炭坑(沖ノ山炭坑)から1941年より銚子電鉄に移籍、ヤマサ醤油の工場へ原料などの材料を運んでいた(当初は客車も牽引していた)。1984年に貨物営業廃止に伴い、営業運転から退いた。現在では有志により修理・点検がなされ、仲ノ町車庫で動態保存されており、有料で見学ができる。車籍は存置されているが、法定検査期限が切れており、また手ブレーキとコントローラーによる非常用発電制動のみでいずれも自車のみ作用であり、エアーブレーキによる貫通制動を持たないため、本線運転に就くことができない。
2009年9月22日に旧塗装に塗り替えられた。また2012年4月4日に集電装置がビューゲルからトロリーポールに戻され[12]、同時に再整備の上、4月7・8日のイベントでお披露目された。

過去の車両[編集]

デハ1形
デハ1-3
電化にあたり木製電動客車3両を伊那電気鉄道より譲り受けた。1917年(大正6年)汽車製造製、定員44人。詳細は伊那電気鉄道の電車#昇圧前の車両を参照
デハ100形
デハ101
日本鉄道自動車工業製。台車のみ下野電気鉄道(後の東武鬼怒川線矢板線)の車両から流用。ビューゲル集電の小型車で、デハ700形入線以降予備車となり、1999年の廃車後は笠上黒生駅で物置として使用されていたが、老朽化が激しく2009年9月に解体されている。解体後、台車の一つは上毛電気鉄道に寄贈された後大胡駅に隣接した車両基地に保存され、もう一つは東武博物館に保管保存されている。前記NHK連続テレビ小説「澪つくし」の撮影にも使用され、撮影の際には登場当時の茶色に塗り替える話も持ち上がったが、塗装変更費用が高いためにやむなく側面に社章を入れた。ときには貨車(自社がワフ1という木造貨車を所有していた)の牽引についていたことがある。
デハ200形
デハ201
京成電鉄モニ7の台枠と新造の木造車体、京成手持ち部品の機器を組み合わせた車両。晩年は外板に鋼板を貼付けた「ニセスチールカー」となっていた。デハ700形の入線により1979年廃車。
デハ300形
デハ301
元、日本国有鉄道モハ115で、JR鶴見線の前身鶴見臨港鉄道からの買収車。ドアエンジン電磁弁を介さず運転台から直接、空気コックの開閉で操作されるものであった。内野屋工務店傘下になる前はトロリーポール(後にビューゲル)集電であった。晩年は架線点検車としていたが、2008年末限りで廃車となり、2000形導入準備のためデハ100形に続いて2009年10月に解体されている。この車両が解体されたことにより、現存する鶴見臨港鉄道自社発注の車両は皆無となった。
デハ500形
デハ501
この車両も日本鉄道自動車製。元近江鉄道クハ23(2代)→上田丸子電鉄(現・上田電鉄)モハ2321。銚電初の間接制御車・パンタグラフ集電・蛍光灯照明・暖房装備車。前面は銚子寄りが非貫通形、外川寄りが貫通形。パンタグラフは外川寄りにあった。入線当初はアイボリーに窓回りと雨樋が朱色という塗色であったが他車に波及はせず、その後まもなくデハ201に塗られた西武赤電色に類似したベージュローズピンク1990年までの銚電標準色となった。全長12m弱の車体の割に4個モーターのため消費電力が大きかったためかデハ800形入線以降は予備車となり、1999年の廃車以降は犬吠駅で車体の外川寄り3分の2が、元相鉄モニ2022の車体とともに、当初は直営のレストラン、2007年1月現在はNPO運営の喫茶店として使用されていた。2010年8月現在諸事情により休業中であったが、2012年7月下旬にモニ2022とともに解体処分された[13]
デハ700形
デハ701・デハ702
1928年川崎造船所で製造された近江鉄道の電動貨車デユワ101形を1941年日本鉄道自動車で鋼体化したモハ51形51・52を、1978年に譲り受けたもの。
デハ702は、2010年1月23日に、さよなら運転を行って営業運転を終えた。なお、デハ701のさよなら運転は当初2010年3月下旬に行われる予定であったが、諸般の事情により同年9月23日に行われて営業運転を終え、2011年秋には千葉県いすみ市にある「ポッポの丘」に2両とも移された。
ハフ1形
ハフ1・ハフ2
銚子鉄道が開業した1923年に雨宮製作所で新造された木造2軸の荷物合造緩急客車ハニ1・2が前身。当初はダブルルーフの屋根で、車体の一部が荷物室だった。1939年に台枠を流用し、日本鉄道自動車で半木製車体に載せかえられてハフ1・2になり、荷物室はなくなった。機関車に牽引されていたこともあれば、電車に牽引されていたことも。1978年に老朽化とデハ700形導入のため廃車解体。
ユ101
国鉄ワム80000形貨車[14]国鉄大宮工場新小岩車両センターで1985年に改造したトロッコ客車。銚子を舞台にしたNHK連続テレビ小説澪つくし」にちなみ「澪つくし号」の愛称を持つ。記号の「ユ」は「遊覧」客車のユ。番号の「101」はその「澪つくし」に頻繁に登場したデハ101(前記)から。1985年8月の登場以来、2006年まで休日や夏休み時期を中心に、最後はデハ801・デハ1001・デハ1002のいずれかによって牽引されていたが、2007年以降は保安基準など諸々の事情により休車となり、笠上黒生駅に留置されている。しかし状態が悪く、修繕が難しいため、2012年3月31日に廃車となった[15]
1051
タンク式蒸気機関車。元は中越鉄道の機関車で開業時から使用されており国有化後に払下げを受けた。1926年より1937年まで在籍していたが多客時に年に数回動く程度であったという。同形機の1052が富山県砺波市の砺波チューリップ公園に保存されている。詳細は国鉄1100形蒸気機関車#中越鉄道を参照

脚注[編集]

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  1. ^ 『岬へ行く電車』61-62頁
  2. ^ a b ちばの鉄道一世紀』(p199)
  3. ^ 小川功「京成グループの系譜」『鉄道ピクトリアル』No.632、118頁
  4. ^ TBSニュース 銚子電鉄踏切で衝突事故、2人大けが
  5. ^ 銚子電鉄:電車が脱線、乗客けがなし…笠上黒生駅 - 毎日新聞、2014年01月11日
  6. ^ a b デハ800形は伊予鉄道での800系導入による置き換えで譲渡された経緯がある。
  7. ^ 同社への譲渡車については日立電鉄2000形電車を参照。
  8. ^ ちょうでんのブログ2012年5月16日
  9. ^ ちょうでんのブログ2012年6月6日
  10. ^ 07年度 銚子電気鉄道 安全報告書
  11. ^ 車両支援オーナー募集と車両愛称命名権売却要旨 2009年7月4日 銚子電気鉄道ホームページ
  12. ^ ちょうでんのブログ2012年4月4日
  13. ^ RMニュース「デハ501、元相模鉄道モニ2022 解体」
  14. ^ 旧車号について、運転一周年を記念して発売された記念乗車券の裏側と、鉄道友の会の会誌「RAILFAN」の2010年6月号には「ワム183983」と記されている。
  15. ^ 銚子電鉄のパンフレットより

参考文献[編集]

  • 白土貞夫 『ちばの鉄道一世紀』 崙書房、1996年7月10日 第1刷発行、1996年10月15日 第2刷発行。ISBN 978-4845510276
  • 白土貞夫『岬へ行く電車』東京文献センター、2001年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]