金森頼直

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金森 頼直
金森頼直
時代 江戸時代前期
生誕 元和7年(1621年
死没 寛文5年7月18日1665年8月28日
改名 五郎八・右門(幼名)、頼直
諡号 立軒素白
戒名 大隆院殿立軒素白居士
墓所 京都府京都市北区紫野大徳寺町の龍源院
岐阜県高山市の大隆寺
官位 従五位下、長門
幕府 江戸幕府
飛騨高山藩
氏族 金森氏
父母 父:金森重頼、母:小沢彦八郎の娘(異説あり)
兄弟 頼直重光照蓮寺従純重照重行重直範明
正室:本多忠義の娘
頼業近供、権之助、直清(四男)、重矩(五男)
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金森 頼直(かなもり よりなお)は、飛騨高山藩の第4代藩主。

元和7年(1621年)、第3代藩主・金森重頼の長男として生まれる(生年には元和5年(1619年)説もある)。慶安3年(1650年)、父の死去により家督を継いだ。藩政においては神社の修復、特に千光寺の再興に尽力した。寛文3年(1663年)、病により剃髪し、立軒素白と号した。

寛文5年(1665年)7月18日、江戸の藩邸で病死。禁止令が出ていたため、殉死者(追腹)はいなかった。享年45または47。

跡を長男の頼業が継いだ。