金森マユ

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金森 マユ(かなもり マユ、1963年 - )は、日本生まれの写真家

経歴[編集]

東京都出身。1965年(2歳)から東京麻布のコミュニティーナーサリースクールに通う。その後調布のアメリカンスクール・イン・ジャパンに転校し、バイリンガルとして育つ。

1981年にオーストラリアメルボルンの日本レストランなどで、ウエイトレスをしながら、ツーラック大学で哲学を学ぶ。

1989年、ジャーナリストのベン・ヒルズと共にシドニーに移住、後結婚する。

1992年オーストラリアの『シドニー・モーニング・ヘラルド』の東京支局リサーチャーとして日本に一時帰国。ベン・ヒルズとともにアシスタント、通訳、報道写真を担当し「阪神・淡路大震災」、「東京地下鉄サリン事件」などに関わった。

シドニーでフリーランスの写真家兼ジャーナリストとして活動。自らのライフワークとして社会問題やアボリジニの写真を撮り続けている。[1]

主な著作[編集]

1996年、写真展『Unseen Faces of Japan』を国際交流基金シドニー支部にて展示。その後東京のコニカプラザにて、オーストラリア在住マイノリティーを題材にした写真展『素顔のオーストラリア』を公開。

ハート・オブ・ジャーニー The Heart of the Journey  アボリジニと日本人の間に生まれたルーシー・ダンを追ったドキュメンタリー。350枚を超える写真と「声」「音」で綴るスライド&サウンド・ドキュメンタリー。アボリジニとして育った女性ルーシー・ダンは、父が日本人であると知らされ、金森マユと共に父親探しの旅にでる。南オーストラリアの美しい海岸から、和歌山県で彼女の父親に会うまでの旅をつづる。虐げられた歴史を持つアボリジニの「個人的」な和解を描いた実話。アデレード・フリンジ・フェスティバル、芸術見本市2002で上演された。日本では2003年3月6日(木)〜3月8日(土)に、渋谷シアター・イメージフォーラムで上演された。(オーストラリア国連マスコミ平和賞他文化推進コメンデーション受賞、2001年ブルーム・ナイドック和解賞非先住民部門受賞)

2005年、いわゆる「メルボルン事件」の当事者達や関係者へのインタビューとオリジナル音楽を合わせ、人権と異文化問題を扱ったラジオドキュメンタリー『チカ』(2004年ウォークリー賞にノミネート)をメルボルンにて公演発表。

2007年、『イン・リポーズ』日本人移民、オーストラリアと日本の戦争史、自然、土地と墓に関する意識を追求したドキュメンタリー写真を含むコラボレーション作品を企画、制作発表。[2]

家族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ [1] 朝子 in sydney
  2. ^ [2]金森マユ

外部リンク[編集]