金山寺

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金山寺
Kinzanji 12.JPG
境内遠望
所在地 岡山県岡山市北区金山寺481
位置 北緯34度44分14.9秒
東経133度56分53.2秒
座標: 北緯34度44分14.9秒 東経133度56分53.2秒
山号 銘金山
宗派 天台宗
本尊 千手観音
創建年 伝・天平勝宝元年(749年
開基 伝・報恩大師
正式名 銘金山観音寺遍照院
別称 金山観音寺
札所等 備前四十八箇寺
文化財 金山寺文書(重要文化財)
護摩堂、三重塔、阿弥陀如来坐像、五鈷杵・五鈷鈴(岡山県重文)
仁王門(岡山市重文)
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本堂(焼失前)

金山寺(きんざんじ、かなやまじ)は岡山県岡山市北区金山寺(かなやまじ)にある天台宗の寺院。山号は銘金山。詳しくは[要説明]銘金山観音寺遍照院と称する。本尊は千手観音

沿革[編集]

寺に伝わる『金山観音寺縁起』(室町時代の成立)によれば、当寺は奈良時代天平勝宝元年(749年)に報恩大師が孝謙天皇の勅命により開創し、後に報恩開創の備前四十八箇寺の根本道場となったという。創建当時は法相宗に属し、裏山の三鈷峰に建てられていた。本尊として報恩大師自作の千手観音が安置されたと伝わっている。

報恩大師(? - 795)は、備前国津富郡波河(岡山市芳賀)の出身という半ば伝説的な僧で、岡山県地方の古寺には報恩の開基伝承をもつものが多い。

寺は延久元年(1069年)焼失し、平安時代末期の康治元年(1142年)に現在地に移された。

嘉応年間(1169年 - 1170年)により帰国した栄西により護摩堂などが建てられ宗派も天台宗に改められた。この時に院号を遍照院とした。鎌倉時代には将軍家の祈祷所となっている。

戦国時代文亀元年(1501年金川城主の松田氏は金山寺に対し自身の信奉する日蓮宗への改宗を迫った。寺院側はこれに応じなかったため、松田氏は寺院を焼き払い堂宇は灰燼に帰した。

その後、伯耆国大山寺より法印円智(豪円)が来山し、松田氏を滅ぼした宇喜多直家の援助を得て、天正3年(1575年)に本堂・護摩堂を再建した。この時に建造された本堂(2012年焼失)は国の重要文化財に指定されていた。宇喜多氏の庇護下、備前国の寺社総管として優遇された。江戸時代になると、岡山藩池田光政により寺社総管から備前国天台宗総管に改められた。なお、光政は仁王門を寄進している。

平成24年(2012年12月24日、本堂が火事で全焼した[1]。 その後平成25年(2013年8月7日付の官報告示で、本堂の重要文化財指定が解除された[2]

文化財[編集]

重要文化財(国指定)
  • 金山寺文書(もんじょ) 附:金山観音寺縁起 - 平安時代から室町時代までの古文書7巻(52通)と縁起書1巻からなる。寺領に関する文書が多数を占める。昭和44年(1969年6月20日、重要文化財指定。
岡山県指定重要文化財
  • 護摩堂 - 天正3年(1575年)宇喜多直家の寄進により建立。
  • 三重塔 - 天明3年(1788年)邑久郡宿毛(現・岡山市宿毛)の大工・田淵繁枚により建立。
  • 五鈷杵・五鈷鈴(ごこしょ・ごこれい) - 密教法具の一種。鎌倉時代後期の作。
岡山市指定重要文化財
  • 仁王門:正保2年(1645年)池田光政の寄進により建造。
焼失した文化財
  • 本堂 - 天正3年(1575年)頃、宇喜多直家の寄進により建造。大正12年(1923年3月28日、旧・古社寺保存法により国宝(当時)に指定され、昭和25年(1950年文化財保護法の制定により重要文化財となる。2012年12月24日に発生した火災で全焼した。
  • 木造阿弥陀如来坐像 - 岡山県指定重要文化財。檜の寄木造りで、総高85cm、平安時代末期の作と推定されていた。護摩堂の改修工事に伴い本堂に移されていたが、上記の火災で本堂と共に焼失したことが炭化した残骸から確認された[3]

祭礼[編集]

  • 金山寺会陽:毎年2月第一土曜日の夜に行われる。600年前より行われている。

アクセス[編集]

参考文献[編集]

  • 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年 25-26ページ
  • 現地説明板

脚注[編集]

  1. ^ 国の重文・金山寺本堂が全焼…桃山時代の様式 読売新聞、2012年12月24日閲覧
  2. ^ 重要文化財(建造物)の指定解除について 文化庁
  3. ^ 岡山県文化財課

外部リンク[編集]