金山古墳

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金山古墳
Kanayama-kofun.jpg
金山古墳
位置 北緯34度28分9.81秒
東経135度37分49.19秒
所在地 大阪府南河内郡河南町芹生谷
形状 瓢形双円墳
規模 全長85.8m、高さ9.4m
築造年代 6世紀末~7世紀初頭
出土品 銀鐶、瑠璃玉、鉄製帯金具ほか多数
史跡指定 平成3年(1991年)国指定
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金山古墳(かなやまこふん)は、大阪府南河内郡河南町芹生谷(せりゅうたに)に存在する古墳であり、全国的に珍しい双円墳。国の史跡に指定されている。

概要[編集]

墳丘の長さ85.8メートル、周濠を含んだ総長約104メートル、南丘直径55.4メートル・高さ9.4メートル、北丘直径38.6メートル・高さ6.8メートルの双円墳(瓢形双円墳)。

北丘は2段に、南丘は3段に築かれており、周囲には周濠がめぐらされている。また、各段の間と墳頂部の平坦な部分には敷石が敷かれていた。 北丘の横穴式石室内の玄室羨道には、凝灰岩をくり抜いて作られた家形石棺が2個置かれている。合葬では通常、玄室に石棺を並べるが、金山古墳では、玄室に先に納められていた石棺が巨大であったため、合葬する際にもう1個の石棺をやむなく羨道部に置いたと解されている。なお、石棺の実物大模型が大阪府立近つ飛鳥博物館に展示されている。

石室の全長は16メートル、そのうち玄室は長さ3.8メートル・幅2.48メートル・高さ2.84メートル、羨道は長さ6.26メートル・幅1.72メートル・高さは1.94メートルである。

石室や石棺の中は盗掘にあっており、1946年の発掘調査では石室・石棺の内外から、銀環(ぎんかん)2、瑠璃玉(るりだま)1、鉄製帯金具3、鉄刀2振り分の破片、鉄刀子(てつとうす)1、鉄鏃(てつぞく)十数本、馬具、土師器坏(はじきつき)、須恵器高坏(すえきたかつき)、壺などが出土した。また、1993年の発掘調査では、須恵器子持ち器台、壺が出土した。

南丘にも石室の存在が確認されているが、未調査である。

双円墳とは、2基の円墳を連接した形のものをいうが、全国的には珍しく、他には東大阪市の夫婦塚古墳、瓢箪山古墳が知られている。また、朝鮮の新羅の都であった慶州に多く見られることから、渡来人との関係も考えられている。

出土した土器や、石室・石棺の形から、6世紀末から7世紀初頭の築造と考えられている。

1991年2月15日に国の史跡に指定されている。 かつて濠面は水田となり、墳丘には民家が建てられていたが、1995年に「史跡金山古墳公園」として整備された際にそれらは撤去されている。

発掘調査[編集]

  • 1946年 大阪府教育委員会
  • 1993年 河南町教育委員会

関連項目[編集]

外部リンク[編集]