金剛峯寺

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金剛峯寺
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根本大塔
所在地 和歌山県伊都郡高野町高野山132
位置 北緯34度12分50.69秒
東経135度35分2.73秒
座標: 北緯34度12分50.69秒 東経135度35分2.73秒
山号 高野山
宗派 高野山真言宗
寺格 総本山
本尊 薬師如来阿閦如来とも)[1]
創建年 弘仁7年(816年
開基 空海
中興年 長和5年(1016年
中興 定誉
正式名 高野山真言宗 総本山金剛峯寺
札所等 真言宗十八本山18番
西国三十三所特別札所
神仏霊場巡拝の道 第13番
文化財 不動堂、仏涅槃図ほか(国宝)
大門、絹本著色大日如来像ほか(重要文化財)
世界遺産
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金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院

高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100ヶ寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が宗教活動の拠点とした寺であり、真言密教の聖地、また、弘法大師信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部[2]

「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。本項では「金剛峯寺」を中心に、高野山全体の歴史、信仰、文化財について触れる。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。


歴史[編集]

大門
金堂

空海と高野山[編集]

空海は、最澄天台宗の開祖)と並び、平安仏教を開いた僧である。著作家、書道家としても優れ、灌漑事業などを行った社会事業家、綜藝種智院を開設した教育者としての側面もある。後世には「お大師様」として半ば伝説化・神格化され、信仰の対象ともなっており、日本の仏教、芸術、その他文化全般に与えた影響は大きい。空海宝亀5年(774年)、讃岐国屏風浦(香川県善通寺市)に生まれ、俗姓を佐伯氏といった。十代末から30歳頃までは修行期で、奈良の寺院で仏典の研究に励み、時に山野に分け入って修行した。延暦23年(804年)、留学生(るがくしょう)としてに渡航。長安・青龍寺の恵果に密教の奥義を学び、大同元年(806年)帰国している。空海が時の嵯峨天皇から高野山の地を賜ったのは弘仁7年(816年)のことであった。空海は、高い峰に囲まれた平坦地である高野山を八葉蓮華(八枚の花弁をもつ蓮の花=曼荼羅の象徴)と見なし、山上に曼荼羅世界を現出しようとしたものである。

開創伝承[編集]

既述のように、空海が嵯峨天皇から高野山の地を賜ったのは弘仁7年(816年)のことであり、空海が若い時に修行したことのあるこの山に真言密教の道場を設立することを天皇に願い出たというのが史実とされている。なお、平安中期の成立とされる『金剛峯寺建立修行縁起』にはこれとは異なった開創伝承が残されている。空海が修行に適した土地を探して歩いていたところ、大和国宇智郡(奈良県五條市)で、黒白2匹の犬を連れた狩人(実は、狩場明神という名の神)に出会った。狩人は犬を放ち、それについていくようにと空海に告げた。言われるまま、犬についていくと、今度は紀伊国天野(和歌山県かつらぎ町)というところで土地の神である丹生明神(にうみょうじん)が現れた。空海は丹生明神から高野山を譲り受け、伽藍を建立することになったという。この説話に出てくる丹生明神は山の神であり、狩場明神は山の神を祭る祭祀者であると解釈されている。つまり、神聖な山に異国の宗教である仏教の伽藍を建てるにあたって、地元の山の神の許可を得たということを示しているのだとされている。高野山では狩場明神(高野明神とも称する)と丹生明神とを開創に関わる神として尊崇している。丹生明神と狩場明神は丹生都比売神社に祀られている。金剛峯寺と丹生都比売神社は古くから密接な関係にあり、神仏分離後の今日でも金剛峯寺の僧の丹生都比売神社への参拝が行われている。

平安時代[編集]

弘仁7年(816年)、高野山を賜った空海は、翌年から弟子達に命じて伽藍の建立に取りかかったが、交通不便な山中のことで、工事ははかどらなかった。空海の在世中に完成した堂宇はごくわずかであり、無論、当時の建築物は現存していない。空海の他界後、弟子であり実の甥でもあった真然が約20年をかけて根本大塔などの伽藍を整備した。その後、京都の東寺との確執もあり、正暦5年(994年)には落雷による火災のため、ほとんどの建物を失い、僧はみな山を下りるという、衰亡の時期を迎えた。

荒廃した高野山は、長和5年(1016年)頃から、定誉によって再興された。治安3年(1023年)には藤原道長が参詣。平安末期には白河上皇鳥羽上皇が相次いで参詣するなど、高野山は現世の浄土としての信仰を集めて栄え、寺領も増加した。源平の騒乱期には、高野山で出家する貴族や武士が目立つようになった。彼らは高野山に草庵を建てて住み、仏道に励んだ。また、北条政子が亡夫源頼朝のために建てた金剛三昧院のように、有力者による寺院建立もあり、最盛期には高野山に2,000もの堂舎が立ち並んだという。

中世・近世[編集]

戦国時代、武力を蓄えていた高野山は、比叡山焼き討ち石山合戦を行った織田信長と対立するようになった。天正9年(1581年)、信長に謀反した荒木村重の家臣のうち数名が高野山に逃げ込み、信長は使者を送ってこれらの引き渡しを求めたが、高野山側は信長の使者を殺し要求にも応じなかったため、信長は日本各地にいた高野山の僧を数百名殺害し(1000人強とする説も)、さらに数万の軍勢で高野山攻めが行われた。しかし、ほどなく信長が本能寺の変に倒れたため、高野山は取り敢えず難を免れた。続く豊臣秀吉は、当初は高野山に寺領の返還を迫るなど圧力をかけたが、当時高野山にいた武士出身の僧・木食応其が仲介者となって秀吉に服従を誓ったため、石高は大幅に減らされたものの、高野山はなんとか存続することができた。のちに秀吉は応其に帰依するようになり、寺領を寄進し、また亡母の菩提のため、山内に青巌寺(総本山金剛峯寺の前身)を建てた。

近世に入ると、徳川家が高野山を菩提所と定めたこともあり、諸大名を始め多くの有力者が高野山に霊屋、墓碑、供養塔などを建立するようになった。全長2kmにわたる高野山の奥の院の参道沿いには今も無数の石塔が立ち並び、その中には著名人の墓碑や供養塔も多い。

近代以降[編集]

伽藍[編集]

不動堂(国宝)
西塔
東塔

概要[編集]

高野山は山中に開かれた宗教都市である。山内は西院谷、南谷、谷上、本中院谷、小田原谷、千手院谷、五の室谷、蓮花谷の各地区に分かれ、それぞれに多くの寺院が存在する。これらの地区全体の西端には高野山の正門にあたる大門(重文)があり、地区東端には奥の院への入口である一の橋がある。信仰の中心になるのは、山内の西寄りに位置する「壇上伽藍」と呼ばれる地区で、ここには金堂、根本大塔を中心とする堂塔が立ち並ぶ。その東北方には、高野山真言宗の管長が住む総本山金剛峯寺がある。この他に、「子院」(塔頭)と呼ばれる多くの寺院が立ち並び、高野山大学、霊宝館(各寺院の文化財を収蔵展示する)などもある。弘法大師信仰の中心地である奥の院は、上述の一の橋からさらに2キロほど歩いた山中にある。

壇上伽藍[編集]

「壇場伽藍」とも書く。山内の西寄り、金堂、根本大塔、西塔、御影堂などの立ち並ぶ一画で、総本山金剛峯寺が管理している。ここは、空海が在世中に堂宇を営んだところで、現在の諸堂塔は大部分が江戸時代後期から昭和時代の再建であるが、真言密教の道場としての高野山の中核となる部分である。

  • 金堂 - 昭和元年(1926年)に焼失後、昭和7年(1932年)に再建された鉄筋コンクリート造の建築で、屋根は入母屋造である。本尊薬師如来像は高村光雲の作である。1926年の焼失時、堂内には旧本尊を始め7体の仏像が安置されていたが、堂と共に焼失した。旧本尊像は公開されたことのない秘仏であったため、写真も残されておらず、どのような像であったかは永遠に不明となった。像名についても阿閦如来とする説と、薬師如来とする説があり、両者は同体であるという説もあった[4]。1931年に完成した高村光雲作の本尊は薬師如来像として造立されている[5]。本尊の両脇に安置されていた6体の仏像(不動明王像など)については、焼失以前に撮影された写真が残されており、作風から見て、空海の時代からあまり隔たらない9世紀頃に作られた密教像として、極めて貴重なものであった。
  • 根本大塔 - 金堂の右後方にある多宝塔(1階平面が方形、2階平面が円形の二重塔)。1937年(昭和12年)、空海入定1,100年を記念して再建したもので、鉄筋コンクリート造である。内部正面のには昭和天皇宸筆勅額「弘法」が掲げられている。中央に胎蔵界大日如来像、その四方に金剛界四仏を安置する。塔内の柱などに描かれた仏画は堂本印象の筆である。本来別々の密教経典に説かれている「胎蔵界」の仏像と「金剛界」の仏像を一緒に安置するのは異例であるが、これは、両者は根本的には1つだという、空海の思想を表したものといい、「根本大塔」という建物名もこれに由来するという。(「胎蔵界」、「金剛界」等の密教用語については別項「両界曼荼羅」を参照)
  • 西塔(国の重要文化財) - 上述の根本大塔とは対照的に、金剛界大日如来像と胎蔵界四仏を安置する。887年初代塔建立、現在の塔は5代目で天保5年(1834年)の再建である。
  • 不動堂国宝) - 建久8年(1197年)ないしは建久9年(1198年)の建立。当初は高野山内の五の室院谷にあり、1908年(明治41年)に現在地に移築された。桧皮葺(ひわだぶき)、入母屋造の住宅風仏堂である。国宝の八大童子像はここに安置されていたが、現在は高野山霊宝館に移されている。
  • 山王院本殿(国の重要文化財) - 1522年再建。「御社(みやしろ)」という。819年弘仁10年)山麓の天野社に祀られる地主神を高野山の鎮守として勧請したものという。一宮(丹生明神)、二宮(高野明神〈狩場明神とも〉)、三宮(総社、十二王子・百二十伴神)の三社からなる。
  • 山王院拝殿 - 1594年再建
  • 御影堂 - 弘化4年(1847年)再建
  • 孔雀堂 - 昭和57年(1982年)の再建。快慶作の孔雀明王像安置。
  • 准胝堂 - 明治時代再建
  • 愛染堂 - 嘉永元年(1848年)再建
  • 大会堂 - 1175年建立
  • 三昧堂 - 1816年再建
  • 東塔 - 1984年再建
  • 六角経蔵 - 別名荒川経蔵。1933年建立
  • 大塔の鐘 - 巨大銅鐘「高野四郎」を吊る鐘楼
壇上伽藍の画像

総本山金剛峯寺[編集]

主殿(総本山金剛峯寺)

壇上伽藍の東北方にある。1869年(明治2年)、いずれも豊臣秀吉ゆかりの寺院である青巖寺興山寺を合併し、金剛峯寺と改称した。青巖寺(剃髪寺)は秀吉が亡母の菩提のために建立したもので、豊臣秀次自刃した場所としても知られている。金剛峯寺の主殿は江戸末期文久3年(1863年)に再建された、東西 54 m 南北 63 m の書院造建築である。「金剛峯寺」の寺号は空海が名付けたもので、元来は高野山全体を指す名称であったが、明治期以降は、高野山真言宗の管長が住むこの総本山寺院のことを「金剛峯寺」と称している。

奥の院[編集]

寺院群の東端にある一の橋から二の橋を経て御廟橋まで、約2キロにわたる参道沿いに無数の石塔が立ち並ぶ。御廟橋を渡ると空海入定の地とされる奥の院である。一番奥には空海が今も瞑想されている御廟があり、その手前には信者が供えた無数の灯明がゆらめく燈篭堂がある。空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入り、今も高野山奥の院で生きていると信じている人もいる。「死去」「入寂」「寂滅」などといわず「入定」というのはそのためである。

奥の院参道に沿って並ぶ石塔の数は10万基とも20万基とも言われ、皇族から名もない人々まで、あらゆる階層の人々が競ってここに墓碑を建立した。日本古来の信仰では、山中は「他界」であり、死後の魂の行くところであった。高野山周辺には、人が死ぬとその人の頭髪を奥の院に納める「骨上せ」(こつのぼせ)という風習がある。こうした古来の山岳信仰に、弘法大師の永眠する土地に墓碑を建てたいという人々の願いが加わって、この石塔群が形成されたものと思われる。奥の院には上杉謙信景勝霊屋(たまや)、松平秀康及び同母霊屋、佐竹義重霊屋など、建造物として重要文化財に指定されているものを始め、平敦盛熊谷蓮生房織田信長明智光秀曾我兄弟赤穂四十七士法然親鸞初代 市川團十郎、俳優の鶴田浩二など古今の様々な人物の墓碑や供養塔がある。また芭蕉高浜虚子の句碑もある。

子院[編集]

高野山内の寺院数は総本山金剛峯寺を除いて117か寺とされている。ただし、この中には独立した堂宇としては現存せず、寺名だけが引き継がれているものも含まれる。山内寺院のうち52か寺は「宿坊寺院」で参拝者の宿泊施設となっている。

墓域(奥の院参道)の画像

文化財(金剛峯寺所有)[編集]

この節には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(烏倶婆誐童子の4文字目は言偏に我)が含まれています(詳細)。
八大童子像のうち(左より)制多伽童子、矜羯羅童子、恵光童子、恵喜童子
八大童子像のうち(左より)清浄比丘、烏倶婆誐童子、指徳童子、阿耨達童子
諸尊仏龕
仏涅槃図
八大童子像のうち制多伽童子

国宝[編集]

  • 不動堂 - 既述。
  • 仏涅槃図 - 1951年6月国宝指定
    平安後期の仏涅槃図。画面寸法は縦267.6センチメートル、横271.2センチメートル。伝来経緯は不明だが、諸宗寺院において涅槃図を本尊とした涅槃会が普及した平安後期にあたる応徳3年(1086年)の銘があり、日本における在銘仏画として最古のもの。
  • 善女竜王像(絵画) - 1953年11月国宝指定
    平安後期の絵仏師定智の作。旧裏書や『続宝簡集』によれば久安元年(1145年)の製作で、作者の判明する平安仏画としても類例が少ない。真言密教の雨乞い儀礼である請雨経法に関係し、『御遺告』にも登場する善女竜王を描いた仏画。現在では色彩が剥落しているが、模本の存在からかつては色彩豊かであったと考えられている。
  • 木造八大童子立像 6躯 附:木造阿耨達童子像、指徳童子像 2躯
    もと不動堂に安置されていた。八大童子は不動明王の眷属。8体のうち6体が:鎌倉時代の作で、作風等から運慶一門の作と推定される。残りの2体(阿耨達童子、指徳童子)は時代が下り、附(つけたり)指定となっている。
  • 諸尊仏龕(しょそんぶつがん)附:銅製厨子 - 1964年5月国宝指定
    7世紀(唐代)の仏龕(枕本尊)。木造一基。高さ23センチのビャクダン材に精緻な浮き彫りで多くの仏像を表しており、中国的要素が見られる。空海が唐から持ち帰った文物を記した『御請来目録』には仏龕の記載があり、これを本仏龕に比定する説もある。
  • 聾瞽指帰(ろうこしいき) - 空海青年期の著作で、空海の自筆本である。
  • 金銀字一切経4296巻 - 平泉の中尊寺にあったもの。紺色に染めた紙に、一行おきに金字と銀字で書いた写経。12世紀の作。
  • 法華経巻第六 - 色変わりの華麗な用紙に書かれた写経。12世紀の作。
  • 宝簡集・続宝簡集・又続宝簡集
    高野山の歴史、所領、行事などに関わる古文書を巻物の形に整理したもの。西行(寺域内の草庵で修行した)、源頼朝、源義経を始めとする歴史上の著名人の自筆書状を含む。
  • 沢千鳥蒔絵小唐櫃(さわちどりまきえこからびつ) - 平安後期の漆工芸品。

重要文化財[編集]

建造物[編集]

  • 大門
  • 西塔
  • 山王院本殿(丹生明神社、高野明神社、総社)3棟(附鳥居及び透塀)
  • 徳川家霊台(家康霊屋、秀忠霊屋)2棟(所在五室院谷)
  • 奥院経蔵

絵画[編集]

  • 絹本著色愛染明王像
  • 絹本著色大日如来像
  • 絹本著色如来像(寺伝薬師如来)
  • 絹本著色両界曼荼羅図(血曼荼羅)
  • 絹本著色両頭愛染曼荼羅図
  • 絹本著色山水屏風 六曲屏風
  • 絹本著色丹生明神像・狩場明神像
  • 絹本著色弘法大師・丹生高野両明神像(問答講本尊)

彫刻[編集]

  • 木造大日如来及両脇侍阿弥陀如来・釈迦如来坐像(旧所在谷上大日堂)附:木造天蓋1面
  • 木造大日如来坐像(旧西塔本尊)
  • 木造大日如来坐像(旧所在勧学院)
  • 木造阿弥陀如来坐像(旧所在大会堂)
  • 木造孔雀明王像
  • 木造天弓愛染明王坐像
  • 木造不動明王立像・毘沙門天立像・毘沙門天立像(胎内仏)
  • 木造不動明王坐像(旧所在奥之院護摩堂)
  • 木造不動明王坐像(旧所在不動堂)
  • 木造不動明王立像
  • 木造四天王立像(快慶作)
  • 木造四天王立像
  • 木造執金剛神立像・深沙大将立像
  • 胎蔵界板彫曼荼羅 2枚(金剛界蒔絵箱入)
  • 板彫両界曼荼羅
  • 木造浮彫九尊像(柿木九尊仏)

工芸品[編集]

  • 華形大壇
  • 華形大壇・箱形礼盤(不動堂所在)
  • 飛行三鈷杵(伝弘法大師所持)
  • 金銅仏具(五鈷鈴2、独鈷鈴1、五鈷1、三鈷2、独鈷2)
  • 紙胎花蝶蒔絵念珠箱
  • 蒔絵螺鈿筥 三衣入
  • 厨子入金銅水神像
  • 成身会八葉蒔絵厨子
  • 銅鐘(梵鐘) 永正元年及び元亀三年銘
  • 銅鐘 弘安三年銘
  • 銅仏餉鉢 建久八年銘
  • 舞楽装束類 一括(天野社伝来)(袍1領、蛮絵袍3領、半臂12領、下襲7領、水干小袴2具、小袴1腰、表袴1腰、帯3条、前掛2領、附:唐櫃覆1枚)
  • 太刀 銘国広(附:沃懸地蒔絵太刀拵金具 正阿弥常吉作)
  • 短刀 銘国光
  • 剣 銘真守(備前)
  • 脇指 銘長谷部国重 拵黒糸柄蝋色鞘脇指

書跡典籍、古文書[編集]

  • 金剛峯寺根本縁起 後醍醐天皇手印並跋(絹本)
  • 増壱阿含経 巻第三十二
  • 即身成仏品
  • 紺紙金字一切経(荒川経)3,575巻
  • 紺紙金字法華一品経(開結共)28巻
  • 紺紙金泥般若心経 霊元天皇宸翰
  • 細字金光明最勝王経
  • 雑阿含経 巻第三十九
  • 宋版一切経 3,750帖
  • 高麗版一切経(版本6,027帖、写本258帖)6,285帖
  • 聖観音造立願文
  • 町石建立供養願文

考古資料・歴史資料[編集]

  • 高野山奥之院出土品 一括(比丘尼法薬経塚出土品、御廟及び周辺出土品、灯籠堂及び周辺出土品)(明細は後出)
  • 南保又二郎納骨遺品(金銅宝篋印塔、鋳出銅板三尊仏像)
  • 高野版板木 5,488枚

焼失した重要文化財[編集]

この節には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(薩埵(さった)の2文字目は土偏に垂)が含まれています(詳細)。
  • 木造金剛薩埵坐像、金剛王菩薩坐像、不動明王坐像、降三世明王立像、普賢延命菩薩坐像、虚空蔵菩薩坐像 - もと金堂安置。1926年焼失。

登録有形文化財[編集]

  • 高野山霊宝館紫雲殿
  • 高野山霊宝館放光閣
  • 高野山霊宝館宝蔵
  • 高野山霊宝館玄関・北廊・中廊
  • 高野山霊宝館南廊及び西廊

史跡[編集]

  • 金剛峯寺境内
    史跡指定地は6か所に分かれる。大門地区、伽藍地区(壇上伽藍)、本山地区(総本山金剛峯寺)、奥の院地区は1977年(昭和52年)7月14日指定。2002年(平成14年)9月20日付けで徳川家霊台地区と金剛三昧院境内が追加指定された[6]

文化財(子院所有分)[編集]

五大力菩薩像のうち金剛吼
阿弥陀聖衆来迎図(部分)
伝・船中湧現観音像
  • 以下の子院所有の文化財については、全て財団法人高野山文化財保存会が文化財保護法に定める「管理団体」(同法第32条の2の規定に基づく)に指定されており、大部分は高野山霊宝館に保管されている。
  • 以下の子院のうちには、名跡(寺籍)のみが継がれ、房舎を持たないものも含まれる(蓮華三昧院、蓮上院、西生院、泰雲院、全光院など)。

国宝[編集]

  • 金剛三昧院
    • 金剛三昧院多宝塔 - 貞応2年(1223年)頃の建立。
  • 有志八幡講
    • 絹本著色五大力菩薩像 - 平安後期の仏画
    • 絹本著色阿弥陀聖衆来迎図 - 浄土信仰に基づく平安後期の仏画。もと比叡山にあったが、信長の比叡山焼き討ちの後、高野山に移された。
  • 蓮華三昧院
    • 絹本著色阿弥陀三尊像 - 平安後期の仏画。
  • 普門院
    • 絹本著色勤操僧正像 - 勤操は空海の師。この画像は12世紀の作。
  • 龍光院
    • 絹本著色伝船中湧現観音像 - 平安後期の仏画。
    • 紫紙金字金光明最勝王経 - 聖武天皇が各地の国分寺に安置させた「国分寺経」の遺品。どこの国分寺にあったものかは不明。
    • 大字法華経 - 奈良時代の写経。
    • 細字金光明最勝王経 - 細字(さいじ)は細かい文字の意。9世紀の写経。
  • 三宝院
    • 不空羂索神変真言経 - 奈良時代の写経。
  • 正智院
    • 文館詞林残巻 - 唐時代の詩集を日本で弘仁14年(823年)に書写したもの。この詩集は中国には遺品がなく、日本にだけ伝わる点で貴重。
  • 宝寿院
  • 遍照光院
    • 紙本著色山水人物図 - 江戸時代の文人画家・池大雅が描いた襖絵。

重要文化財[編集]

  • 本中院谷
    • (親王院)銅造阿閦如来立像 木造兜跋毘沙門天立像 金銅蝶形磬 木造不動明王坐像
    • (明王院)絹本著色不動明王二童子像(赤不動)
    • (龍光院)絹本著色狩場明神像 絹本著色両界曼荼羅図 木造屏風本尊 木造兜跋毘沙門天立像 厨子入倶利伽羅竜剣 蓮華形柄香炉 灌頂道具類 諸経要集巻第五 註仁王般若経巻第一 放光般若波羅蜜経巻第九 大毘盧遮那経(白朱両点本)・大毘盧遮那経供養次第法疏巻第二(朱点本)8帖 大毘盧遮那経巻第一
    • (成蓮院)木造地蔵菩薩立像
  • 谷上
    • (西禅院)絹本著色阿弥陀浄土曼荼羅図
    • (正智院)絹本著色紅玻璃阿弥陀像 絹本著色八字文殊曼荼羅図 絹本著色普賢延命像 木造毘沙門天立像 木造不動明王坐像 銅五鈷鈴 仏頂尊勝陀羅尼経
    • (宝城院)絹本墨画弁才天図
    • (宝寿院)絹本著色七髻文殊像 絹本著色尊勝曼荼羅図 絹本著色地蔵菩薩像祐円筆 絹本著色文殊菩薩像 絹本著色六字尊像 金銅三鈷(伝覚鑁所持) 往生瑞応伝 決定往生集本末 日本法花験記上 梵本大般涅槃経断簡
  • 西院谷
    • (西南院)絹本著色五大虚空蔵像 絹本著色大元帥明王像 紙本白描及著色覚禅鈔 紙本墨画五部心観 木造大日如来坐像 和泉往来 後小松天皇宸翰秘調伝授書(永享二年六月廿六日) 西南院文書
    • (桜池院)絹本著色紅頗梨色阿弥陀像 絹本著色薬師十二神将像
    • (宝亀院)紙本著色鶏図(曽我直庵筆) 木造十一面観音立像 崔子玉座右銘断簡 伝弘法大師筆
    • (善集院)絹本著色八宗論大日如来像
    • (成慶院)絹本著色武田信玄像長谷川信春筆)
  • 南谷
    • (釈迦文院)木造大日如来坐像 木造不動明王立像 大和州益田池碑銘並序(絹本)
    • (常喜院)木造地蔵菩薩坐像
  • 小田原谷
    • (如意輪寺)木造如意輪観音坐像
    • (金蔵院)木造愛染明王坐像
    • (蓮花院)孔雀文磬
    • (安養院)木造大日如来坐像
    • (金剛三昧院)経蔵 客殿及び台所 四所明神社本殿 金地著色梅花雉子図(客殿大広間襖) 絹本著色愛染明王像 木造五智如来坐像(多宝塔安置) 木造千手観音立像 木造不動明王立像 刀 銘繁慶2口 銅鐘(承元四年十一月日鋳之の銘あり) 高野版板木
    • (高室院)木造薬師如来坐像
    • (蓮上院)木造不動明王立像(帆不動)
  • 往生院谷
    • (不動院)銅造阿弥陀如来及両脇侍立像
    • (北室院)絹本著色五大力菩薩像
    • (遍照光院)紙本著色商山四皓及虎渓三笑図(曽我直庵筆 六曲屏) 絹本著色一字金輪曼荼羅図 紙本墨画菊図・紙本墨書菊図賛 木造多聞天立像・持国天立像 木造阿弥陀如来立像(快慶作)
    • (三宝院)五行大義巻第五 白氏文集巻第三残巻 文鏡秘府論
    • (地蔵院)紙本著色高野大師行状図絵(第一巻は天保11年(1840年狩野養信による補写) 木造阿弥陀如来坐像
    • (持明院)絹本著色浅井久政像・紙本著色浅井長政像・絹本著色浅井長政夫人
    • (成福院)絹本著色阿弥陀如来像
  • 蓮華谷
    • (大明王院)漢書周勃伝残闕
    • (清浄心院)絹本著色九品曼荼羅図 絹本著色当麻曼荼羅縁起 木造阿弥陀如来立像 花鳥文磬
    • (遍明院)木造文殊菩薩及使者像 1基
    • (円通寺)紙本著色十巻抄 紙本白描不動明王二童子毘沙門天図像 木造釈迦如来坐像
  • 千手院谷
    • (普賢院)四脚門 紙本墨画五大力菩薩像 木造毘沙門天立像
    • (普門院)木造釈迦如来及諸尊像(枕本尊)
    • (五大院)木造薬師如来坐像
    • (西生院)絹本著色恵果阿闍梨像
  • 五室院谷(一心院谷)
    • (竜泉院)絹本著色伝熊野曼荼羅図 木造薬師如来坐像 絹本著色弘法大師像
    • (光台院)絹本著色毘沙門天像 木造阿弥陀如来及両脇侍立像
    • 五坊寂静院)絹本著色不動明王三童子像 木造阿弥陀如来及両脇侍立像
    • (南院)木造不動明王立像(波切不動)
    • (巴陵院)金銅金剛盤
    • (蓮華定院)剣 銘国広
    • (多聞院)木造毘沙門天立像
    • (全光院)花文刺繍打敷
    • (泰雲院)木造竜猛菩薩立像
  • (墓原)
    • 佐竹義重霊屋(清浄心院所有)
    • 上杉謙信霊屋(清浄心院所有)
    • 松平秀康及び同母霊屋2棟(蓮花院所有)

登録記念物(名勝地関係)[編集]

  • 光臺院庭園
  • 西禅院庭園
  • 正智院庭園
  • 本覚院庭園
  • 桜池院庭園

世界遺産[編集]

ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年7月登録)は以下13件の文化財を含む[7]

  • 国宝
    • 金剛峯寺不動堂
    • 金剛三昧院多宝塔
  • 重要文化財
    • 金剛峯寺山王院本殿
    • 金剛峯寺奥院経蔵
    • 佐竹義重霊屋
    • 松平秀康及び同母霊屋史跡
    • 上杉謙信霊屋
    • 金剛峯寺大門
    • 金剛三昧院経蔵
    • 金剛三昧院四所明神社本殿
    • 金剛三昧院客殿及び台所
    • 金剛峯寺徳川家霊台
  • 史跡
    • 金剛峯寺境内

脚注[編集]

  1. ^ 本尊名称については本記事の「壇上伽藍」の節を参照。
  2. ^ 世界遺産登録推進三県協議会、2005、『世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道』、世界遺産登録推進三県協議会(和歌山県・奈良県・三重県)、pp.39,75
  3. ^ 弘法大師坐像、3Dで復元 陶製、質感もそっくり
  4. ^ 高野山霊宝館サイト「金堂焼失諸仏」
  5. ^ 高野山霊宝館サイト「伽藍金堂」および同サイト「本尊造立」
  6. ^ 金剛峯寺境内1977年〈昭和52年〉7月14日指定、2002年〈平成14年〉9月20日追加、史跡)、国指定文化財等データベース文化庁) 2011年1月21日閲覧。
  7. ^ 文化庁 (2006年9月26日). “条約上の資産種別と登録資産の国内法上の指定状況 (PDF)”. 文化審議会文化財分科会世界文化遺産特別委員会(第1回)議事次第. 文化庁. 2011年1月18日閲覧。

参考文献[編集]

  • 井上靖、佐和隆研監修、司馬遼太郎、阿部野竜正、和多秀乗著『古寺巡礼西国1 高野山金剛峯寺』、淡交社、1981
  • 山本智教監修『高野山のすべて』講談社、1984
  • 山田耕二『高野山』(日本の古寺美術9)、保育社、1986
  • 『週刊朝日百科 日本の国宝』37号(金剛峯寺)、朝日新聞社、1997
  • 大阪市立美術館編『祈りの道 - 吉野・熊野・高野の名宝 - 』(特別展図録)、毎日新聞社、2004
  • 日本歴史地名大系 和歌山県の地名』、平凡社
  • 『角川日本地名大辞典 和歌山県』、角川書店
  • 『国史大辞典』、吉川弘文館

関連項目[編集]

外部リンク[編集]