野中章弘

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野中 章弘 (のなか あきひろ、1953年8月8日[1] - ) は、日本ジャーナリストプロデューサーアジアプレス・インターナショナル代表。早稲田大学教育・総合科学学術院(大学院教育学研究科)教授。

略歴[編集]

兵庫県出身。関西学院大学経済学部卒業。1978年よりフリーのフォトジャーナリストとして活動を始める。1990年代からはビデオによるドキュメンタリー制作に取り組み、新聞、雑誌からテレビ、ネットまで、さまざまな媒体で仕事を行っている。現在までにインドシナ難民アフガニスタン内戦エチオピアの飢餓、台湾人元日本兵カンボジア紛争ビルマの少数民族問題、タイのエイズ問題、チベット東ティモール独立闘争、朝鮮半島問題、アフガニスタン空爆イラク戦争日系アメリカ人問題などを取材。

第3回「放送人グランプリ特別賞」受賞。200本以上のテレビ番組を製作、発表。最近は「ガーダ〜パレスチナの詩」「ぼくたちは見た〜ガザ・サムニ家の子どもたち」(古居みずえ監督)、「隣る人」(刀川和也監督)などのドキュメンタリー映画をプロデュース。2007年末からはBS11のニュース番組『INsideOUT』内の「Inside ASIA」というコーナーで司会を務めている。

これまで早稲田大学などでジャーナリスト養成教育に力を注ぎ、京都精華大学東京芸術大学東京大学東洋大学日本大学目白大学、などで講師を勤めてきた。2007年に立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2013年からは早稲田大学教育・総合科学学術院(大学院教育学研究科)教授。2024年3月をもって早稲田大学を退職し、再びフリージャーナリストに戻るとしている。ジャーナリスト養成教育の中では、ヤンヨンヒ(映画監督)、大矢英代(映画監督)、房満満(映画監督)、明真南斗(琉球新報記者)、石川陽一(共同通信社記者、後に東洋経済記者)、小倉星羅(フリーアナウンサー)など、多くの若手ジャーナリストを育てた。

ジャーナリストになったきっかけをインタビュアーに問われた際、「自分の目で見たい」と思ったからだという。野中が大学に通っていた頃、カンボジア評論家の鵜戸口哲尚が東南アジアに行く際、「お前も来るか?」と誘ってくれてついて行った時、ジャーナリストしかないと思ったという。

著作[編集]

単著[編集]

  • 『沈黙と微笑』(創樹社、1981年)
  • 『粋と絆 神田っ子の昭和史』(神田ルネッサンス出版部、1989年)
  • 『ビデオジャーナリズム入門―8ミリビデオがメディアをかえる』(はる書房、1996年)

編共著[編集]

  • 『アジアTV革命』(三田出版会、1993年)
  • 『アジア大道曼陀羅―フォト・ジャーナリストたちが歩いて感じたアジア 』(現代書館、1993年)
  • 『アジアのビデオジャーナリストたち』(はる書房、2000年)
  • 『メディアが変えるアジア』(岩波ブックレット、2001年)
  • 『メディア・プラクティス―媒体を創って世界を変える』(せりか書房、2003年)
  • 『アジア新世紀5 市場 』(岩波書店、2003年)
  • 『論争 いま、ジャーナリスト教育』(東京大学出版会、2003年)
  • 『ジャーナリズムの可能性―ジャーナリズムの条件〈4〉』(岩波書店、2005年)

脚注[編集]

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.290

関連項目[編集]