釈興然

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釈 興然
人物情報
別名 板垣 興然
生誕 (1849-04-14) 1849年4月14日
日本の旗 日本島根県
死没 1924年3月15日(1924-03-15)(74歳)
学問
研究分野 仏教学言語学
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釈興然(しゃくこうねん、(1849年5月6日)- 大正13年(1924年3月15日)は、出雲国島根県)出身の真言宗及び上座部仏教僧侶。日本人初の上座部仏教徒として知られる。比丘名は「グナラタナ」。俗姓は板垣。

経歴[編集]

嘉永2年4月14日出雲国生まれ。明治15年(1882年横浜三会寺の住職となるも、戒律復興運動を行っていた叔父釈雲照の勧めで[1]明治19年(1886年)にスリランカへ渡ってパーリ語を学ぶ。明治23年1890年)に受戒。帰国後は釈尊正風会を組織し、神奈川を拠点に上座部仏教の普及につとめた。墓所は横浜市三会寺。

研究内容・業績[編集]

鈴木大拙河口慧海パーリ語の師としても知られ、河口慧海の著書である『チベット旅行記』の冒頭では、考えの違いから喧嘩別れする様が描かれている。

家族・親族[編集]

脚注・出典[編集]

関連項目[編集]