鄭大ヒョン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
本来の表記は「鄭大」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字が含まれています(詳細)。
鄭 大炫
Chong Tae-Hyon
ロッテ・ジャイアンツ #38
基本情報
国籍 韓国の旗 韓国
出身地 全羅北道群山市
生年月日 1978年11月10日(36歳)
身長
体重
185 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 KBO二次ドラフト
初出場 2001年4月7日
年俸 5億ウォン(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 韓国の旗大韓民国
五輪 2000年2008年
WBC 2006年2009年2013年
オリンピック
男子 野球
2008 野球
2000 野球

鄭 大炫チョン・デヒョンハングル정대현1978年11月10日 - )は、大韓民国全羅北道群山市出身のプロ野球選手投手)。右投げ右打ち。韓国プロ野球ロッテ・ジャイアンツに所属している。名前の「ヒョン」は「火へん」に「玄」。

経歴[編集]

プロの参加が認められたため、シドニーオリンピック野球韓国代表に唯一の大学選手として選ばれた。対アメリカ合衆国戦に先発として登板、6回3分の1を投げ被安打5つの無失点に。韓国の思惑通り、アンダースローに不慣れなAAA級のマイナーリーガーを中心に構成されたアメリカの打線を沈黙させた。

オリンピック終了後の2001年SKワイバーンズに入団。主に中継ぎ、抑えで活躍している。2005年は腕を負傷し大部分をリハビリに費やしたが、2007年はSKの抑え投手として活躍。韓国シリーズで同チームの初優勝を決める時に胴上げ投手になった。2008年も韓国シリーズに2試合に登板して2セーブを挙げている。

第1回WBC韓国代表‎北京オリンピック野球韓国代表にも選ばれた。2008年北京オリンピックではリリーフとして活躍し、予選リーグの対日本戦、キューバとの決勝戦で9回のマウンドに上がり、2セーブを挙げて韓国の金メダル獲得に貢献した。その中でも、キューバとの決勝戦では、腰に痛みを抱えながら、9回一死満塁の一打逆転サヨナラ負けの場面で緊急登板して、打者のユリエスキ・グリエルに3球目のスライダー遊撃手ゴロの併殺を誘導、オリンピックでの胴上げ投手になった。

2008年2度目の国際大会となったアジアシリーズ2008に、韓国代表のSKの一員として出場したが、その前の韓国シリーズで腰を痛め登板を回避するなど状態は悪かった。予選リーグの台湾代表の対統一セブンイレブン・ライオンズ戦に7回裏、3-6と3点リードされた場面で登板し、8回表味方が1点を返してくれたため、それ以上失点しなければ決勝進出となった。しかし8回裏、劉芙豪に点差を広げられる3ランを打たれたこともあり、チームは4-10で敗北し、失点率の関係で決勝進出を逃し、北京五輪でのような完璧な火消し役を演じることはできなかった。

第2回WBC韓国代表‎にも選ばれた。しかし、2009年の大会ではラインナップに左打者がずらりと並んでいる日本と5度も対決する仕組みになった影響で、アンダースローが苦手な中南米国家との対決が2度しかなかったこともあり、抑えの座をより速球派の林昌勇に譲って出番が少なくなった。また、同年の韓国プロ野球公式戦では、抑えではなく中継ぎとしての起用が目立ち、チーム最多の13ホールドを記録した。また2009年11月、日本でひざの手術を受けたため、長期間のリハビリ生活に入った。

2010年は、前年通り中継ぎとして活躍。特にロッテ李大浩に対して3年間連続無安打に抑え(通算被打率.050)、彼には「李大浩キラー」と呼ばれるようになった。

2011年11月21日、MLBボルチモア・オリオールズと契約合意に達したと報じられた[1]。しかし正式契約に至らず、12月13日、韓国のロッテ・ジャイアンツと4年契約を結んだ。背番号はSK時代の21ではなく、38。しかし2012年2月、またもや日本でひざの手術を受け、4月の公式戦開幕には間に合わないことになった。

2012年8月、ロッテ移籍後一軍初登板を果たした。同年10月のポストシーズン・準プレーオフでは抑えとして起用され、2セーブを挙げてチームのプレーオフ進出に貢献し、準プレーオフMVPも受賞した。

プレースタイル[編集]

アンダースローから繰り出される130km/h台の速球シンカーを中心とした沈むボールを得意とする。

国際大会ではアンダースローの投球を苦にするアメリカやキューバなどの中南米の打者を相手にするべく、シドニー・オリンピックから2013 WBCまで代表チームに必ずと言っていいほど選ばれている。

ニックネームは蜂の群れによく例えられたSKワイバーンズのブルペン陣の中で、いつも最後に登場してセーブを挙げていたことから「女王蜂」だった。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2001 SK 18 0 0 0 -- 0 0 0 0 ---- 80 16.2 19 2 10 0 1 20 0 0 10 10 5.40 1.74
2002 24 0 0 0 -- 1 0 0 0 1.000 173 42.0 37 3 10 2 1 30 0 0 15 15 3.21 1.12
2003 37 0 0 0 -- 4 3 2 8 .571 203 51.0 33 4 17 3 3 34 0 0 16 13 2.29 0.98
2004 52 0 0 0 -- 2 3 2 16 .400 280 69.1 62 2 14 3 5 50 0 0 22 18 2.34 1.10
2005 20 0 0 0 -- 1 0 3 6 1.000 87 24.1 10 0 6 0 0 18 0 0 1 1 0.37 0.66
2006 59 0 0 0 -- 8 4 15 11 .667 289 74.1 55 3 23 4 3 52 0 0 19 16 1.94 1.05
2007 60 0 0 0 0 3 2 27 3 .600 307 78.1 50 3 24 9 8 65 2 0 12 8 0.92 0.95
2008 49 0 0 0 0 4 3 20 0 .571 250 60.2 51 4 22 5 3 50 1 0 18 18 2.67 1.20
2009 56 0 0 0 0 2 3 10 13 .400 211 52.2 40 1 17 8 4 43 2 0 11 7 1.20 1.08
2010 49 0 0 0 0 4 1 4 8 .800 170 45.0 31 1 7 3 1 47 1 0 7 7 1.20 0.84
2011 53 0 0 0 -- 3 3 16 11 ---- 227 54.2 43 1 25 0 1 39 0 0 12 9 1.48 1.24
2012 ロッテ 24 0 0 0 -- 2 0 1 5 1.000 102 28.1 12 0 7 3 1 26 1 0 2 2 0.64 0.67
2013 58 0 0 0 -- 5 4 1 16 .556 227 51.1 56 3 21 7 8 34 2 0 21 19 3.33 1.50
通算:13年 559 0 0 0 -- 39 26 101 97 .600 2606.0 648.2 499 27 203 47 38 508 9 0 166 143 1.98 1.08
  • 2013年度シーズン終了時

背番号[編集]

  • 21 (2001年 - 2011年)
  • 38 (2012年 - )

脚注[編集]

  1. ^ オリオールズ 韓国代表の下手投げ右腕を獲得”. スポニチ Sponichi Annex (2011年11月23日). 2011年12月2日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]