都営バス新宿支所

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都営バス新宿分駐所から転送)
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都営バス渋谷自動車営業所 新宿支所
Tokyo Metropolitan bus Sibuya bus office shinjuku branch
Toei Bus Shibuya Office Shinjuku branch.jpg
新宿支所(水道道路側)
所在地 東京都新宿区西新宿3-19-1
所管系統数 4系統 (深夜バス等特殊系統除く)
主な運行担当区域 新宿駅~東京女子医大2系統を主に、
周辺の不採算路線の一部を担当
備考 新宿副都心内。はとバスに運行委託。
新宿分駐所時代(山手通り側)

都営バス新宿支所(とえいバスしんじゅくししょ)は、京王線初台駅近くの新宿区西新宿にあり、新宿駅渋谷駅を発着する一部系統を受け持っている。かつては「新宿自動車営業所」だったが、2000年12月12日大江戸線開業時に渋谷自動車営業所新宿支所、2006年4月1日に新宿分駐所となった[1]

2009年4月1日はとバスへ委託されると同時に組織上は廃止となるが、名称は分駐所から支所に再び昇格、再び渋谷自動車営業所新宿支所に組織変更され、営業所記号のCも復活した。

目次

沿革 [編集]

  • 1982年12月26日:田70を目黒との共同管轄とする。
  • 1997年3月:都営バス初のノンステップバス(C-C200)が登場する。
  • 2000年12月12日大江戸線全線開業に伴い田70と秋76、四80が廃止。営業所から支所へ格下げされる。
  • 2003年4月1日:渋66が杉並から移管され、都01(一部)を新宿が担当する。
  • 2006年4月1日:渋66系統をはとバスへ委託の為に杉並へ再移管、分駐所へ格下げされる。(C→B)
  • 2009年4月1日:はとバスへ委託で組織としては廃止となったが、それと同時に名称は支所(B→C)へ格上げとなった。小滝橋とCH01・早81を交換、渋88を品川から移管する。

1980年代 - 1990年代の最盛期には、新宿駅(新宿車庫)から飯田橋秋葉原方面、六本木田町方面などのドル箱路線が多数運行されていた。しかし、2000年12月12日大江戸線環状部分が開業すると、ほぼ並行する前述2系統と四80(四谷駅前 - 赤坂アークヒルズ)が廃止された。

これにより、2001年時点での所管はC・H01と宿74・75、品97とそれらの出入庫系統のみとなり、営業所自体も支所に格下げされた。

その後、2003年はとバス委託を免れた渋66都01(一部)を新宿が担当することとなり、一時的に以前の活気を取り戻したが、2006年4月1日に渋66を杉並にはとバス委託で再移管され、分駐所に格下げされた。車両数も青梅より少なくなり、乗務員の一部も他の営業所に異動となった。

そしてついに新宿分駐所は2009年4月1日、はとバスの管理委託となり組織上廃止された。同時に乗務員も全員他所に移動となった。(名称上は支所に再昇格) この際に品川から渋88、小滝橋から早81が新宿に移管した。 なお都01の新宿担当便は渋谷に、C・H01は小滝橋に移管された。

現行路線 [編集]

宿74・宿75系統 [編集]

2002年頃まではC・H01専用のスロープ車・リフト車が充当された宿74 (C-W295)
  • 宿74:新宿駅西口 - 東新宿駅前 - 国立国際医療センター前 - 東京女子医大
  • 宿74:新宿車庫前 - 中央公園 - 新宿駅西口(新宿車庫前の停留所は水道道路側の出入り口前にあり京王宿41/宿45系統(新宿駅西口~中野車庫・中野駅南口)の西新宿小学校停留所と同じ場所にあり、ポールも新しくされており表示も新宿車庫前となっている。この宿74出入系統新宿駅西口行きは京王便を待っていたと思われる人の乗車客が見られるが、新宿車庫前行は停留所が高速バスと兼用の27番乗り場の為にめったに乗客は見られない。新宿車庫前停留所の表示は、新宿車庫裏となっていた。古いだるまと呼ばれていた鉄棒に円盤が取り付けられているタイプの停留所ポールが現存し、「新宿車庫裏」の表記が現在も降車所はそのまま存在。またこの経路は、杉並支所や港南支所の品97系統担当車の休憩で、新宿支所が利用される際の通り道となっている為に、回送車が多く見られる)
  • 宿75:新宿駅西口 - 東新宿駅前 - 抜弁天前 - 東京女子医大前
  • 宿75:新宿駅西口 - 東新宿駅前 - 抜弁天前 - 東京女子医大前 - 市谷仲之町交差点 - 合羽坂下 - 三栄町 - 四谷二丁目 - 四谷駅前 - 麹町四丁目 - 半蔵門 - 三宅坂
  • 宿75:新宿車庫 - 東京オペラシティ南 - 西参道 - (←角筈二丁目/新宿郵便局前→)新宿駅西口(※新宿車庫前の停留所は現在の東京オペラシティ南の停留所で、渋66系統、京王、小田急も新宿車庫前の停留所が有った。東京オペラシティ開業時に全社改称した。都バスの新宿車庫停留所は、新宿車庫の山手通り側出入り口にあり京王はロッテ本社前だった。秋76、田70出入当時は新宿車庫~新宿車庫前(初台交差点)と案内されていた)

新宿区東部にある国立国際医療研究センター(元国立病院医療センター←国立第一病院)、東京女子医大病院へのアクセスを主目的として循環74系統として運行されてきた路線で、後の路線名称整理で、元の案内は宿74甲系統東大久保(後の抜弁天前)経由、宿74乙系統国立第一病院前(後の国立病院医療センター前;当時)経由と案内され、新宿駅西口から宿74甲系統で東大久保(抜弁天前)経由で東京女子医大前へ来た車両は宿74乙系統として国立第一病院前(国立病院医療センター前)経由で新宿駅西口へ、新宿駅西口から宿74乙系統として国立第一病院前(国立病院医療センター)経由で東京女子医大前へ来た車両は新宿駅西口へは宿74甲系統として東大久保(抜弁天前)経由で新宿駅西口へ戻り、途中から乗って東京女子医大前を経由し反対方面へ乗る事も可能であった。これは傷病者や、身体障害者などの利用を考慮したものであった。現在は後記の様に別案内となっている。C・H01に次いで低床車の導入が早期に完了している。東大久保(抜弁天前)からは、東大久保一丁目(後の新宿文化センター前。元の大久保電車営業所跡地)を経由し都電の線路跡の道を回って新田裏(現;日清食品前)へ行っていた。現在は新宿駅西口行きも、東新宿駅前を経由し明治通りを通って行く。

現在の宿74系統は、国立国際医療センター前経由で東京女子医大前へ行く宿74乙系統を出自とした路線。1996年までは、甲乙共に東京女子医大前行きが新宿駅西口から靖国通りを経て東新宿駅前(元西大久保一丁目)へ向かう際、現行の明治通り経由ではなく区役所通りを経由し、新宿区役所前、鬼王神社前停留所経由で職安通りから大久保一丁目(現・東新宿駅前。元西大久保一丁目)へ向かっていた。乙の復路は現在と同じだったが、甲は前記の通り、以前は違って新宿文化センター前;元東大久保一丁目経由で走っていた。

宿75は抜弁天前経由で、以前は宿74甲系統として案内されていた路線で抜弁天前経由で東京女子医大前へ向かう。ダイヤによっては駐車場へ入らずそのまま直進し、市谷仲之町交差点 - 合羽坂下 - 三栄町 - 四谷二丁目 - 四谷駅前 - 麹町四丁目 - 半蔵門 - を経由し三宅坂まで運行するがこちらは本数が非常に少ない。かつて杉並自動車営業所が運行していた宿75←東75とは無関係である。設定時は、三宅坂行きを宿75系統としていて、宿74系統の方は循環を維持して甲乙として別運転していたが、乗客案内上紛らわしくなったので、抜弁天前経由をすべて宿75系統にまとめたのである。停留所的には、かつて杉並自動車営業所が担当してきた都03←銀71系統の路線が一見繋がったが、運転本数は少なく、四谷駅前方面からは、東京女子医大を回るなど遠回りで、実際は四谷二丁目と四谷三丁目の間が繋がっておらず、便利になったとは言えない。

2000年12月12日廃止の秋76(新宿車庫 - 飯田橋終点・秋葉原駅東口)の代替として、出入01(新宿車庫 - 西参道 - (←角筈二丁目/新宿郵便局前→) - 新宿駅西口※出入01系統は元々は田70の出入りの為の設定だった。方向幕は[田70西参道経由新宿車庫]、[田70西参道経由新宿駅西口]となっていた)として再設定を宿75出入、出入02(新宿駅西口 - 中央公園 - 新宿車庫)を宿74出入として存続した。また新宿車庫 - 東京女子医大・三宅坂間での通し運転はない。

早81系統 [編集]

  • 早81:早大正門 - 東京女子医大 - 四谷三丁目 - 千駄ヶ谷駅 - 原宿駅 -(←表参道 / 渋谷区役所渋谷駅西口→)- 渋谷駅東口(平日・土曜
  • 早81:早大正門 - 東京女子医大 - 千駄ヶ谷駅 - 原宿駅 -(←表参道 / 神南一丁目・渋谷駅西口→)- 渋谷駅東口(休日
  • 早81:早大正門 - 東京女子医大前 - 千駄ヶ谷駅前 - 表参道 -(神南一丁目→)- 渋谷駅西口 → 渋谷駅東口(正月
  • 早81:小滝橋車庫 - 高田馬場駅 - 早大正門

早大正門 - 千駄ヶ谷駅が44系統として開業されてから、路線延長以外はあまり大きな変更がない。

原宿 - 渋谷間では反時計回りの循環経路をとっている。早大正門発は代々木競技場の南東を回って渋谷公園通り経由で渋谷へ向かい、池86と同様のルートで折り返す。渋谷駅東口の前後では乗り通し可能。2009年4月、長年担当していた小滝橋から新宿に移管、はとバス委託となった。小滝橋車庫への出入便は移管後も存続している。

PS2用ゲームソフト「東京バス案内2」で、この系統が取り上げられた。

渋88系統 [編集]

中型車が使用されることもある渋88系統 (C-E874)
  • 渋88:渋谷駅 - 南青山五丁目 - 南青山七丁目 - 六本木駅 - 虎ノ門五丁目 - 神谷町駅 - 虎ノ門 - 新橋駅
  • 渋88:新宿車庫 → 西参道 →(無停車)→ 新宿四丁目 → 北参道 → 表参道 → 渋谷駅西口(平日・土曜朝1本のみ)
  • 渋88:渋谷駅東口 → 表参道 → 北参道 → 新宿四丁目 →(無停車)→ 角筈二丁目 → 西参道 → 新宿車庫(平日夜1本のみ)

渋谷管轄の都01都06同様、渋谷駅 - 新橋駅間を結ぶ3路線のひとつで、この3路線中唯一都市新バスシステムが導入されていない路線である。全体的な線形は都01と似通っているが、ショートカット的な経路をたどる都01と対照的に、やや冗長的な経路で各地域を結ぶ地域密着型の路線である。渋谷駅付近では青山通り方面に立ち寄り、南青山七丁目で都01の経路に合流した後、六本木駅から再び分岐し、桜田通りなど神谷町駅方面を通って虎ノ門から再び都01と同一経路で新橋駅に向かう。

2000年12月12日の大江戸線全線開業に伴う路線再編以前は、東京タワー構内で折返す支線(歴史的にはこちらが本来の渋88)、新橋駅北口より先は日中のみ銀座や鍛冶橋を経由して東京駅(当初は八重洲口、後に丸の内南口)まで足を延ばす便(旧・東82の残区間)も存在したが、再編時に新橋駅北口折返しに一本化され、2006年4月1日に新橋駅交通広場まで延長された。短縮時の再編では都バス全体でダイヤ改正があり、ほとんどの路線で終日減量ダイヤとなったが、この路線は東京タワー便と新橋便を統合した上で、朝夕を中心に削減されただけであったため、麻布台 - 新橋駅間では日中の運行回数が毎時1、2回から2、3回へ倍増(東京タワー便を実質延長した形)し、この時の再編ではバス路線としては数少ない利便性向上となったが、 2008年4月1日の品川への移管時に若干減少となる。品川担当は僅か1年間で終了し、2009年4月1日にはとバス委託路線となり新宿支所へ移管された。同時に新宿車庫発着の出入便が明治通り経由で設定され、渋谷駅行きは池86・早81が停車する渋谷駅西口バス停が終点となり、到着後は東口バスターミナルまで回送される。その他の担当便は回送される。はとバス委託前の新宿分駐所時代に、都01系統を受け持ったときに、池86系統として、新宿車庫→(新宿伊勢丹前←)- 新宿4丁目 - 北参 - 道表参道 -(←渋谷駅東口)(→渋谷駅西口)で走っていた。※池86参照。

廃止・移管路線 [編集]

C・H01系統 [編集]

  • C・H01:新宿駅西口(地下) - 都庁第一本庁舎 - 都庁第二本庁舎 - 都議会議事堂 - 新宿駅西口
1991年に開業。当初から3扉の都市型超低床バスが専属で充当されていたが、2009年4月1日に当分駐所がはとバス委託の支所になる為に小滝橋営業所へ移管された。

都01系統 [編集]

  • 都01:渋谷駅 - 西麻布 - 六本木駅 - 赤坂アークヒルズ
  • 都01:渋谷駅 - 西麻布 - 六本木駅 - 赤坂アークヒルズ - 溜池 - 西新橋一丁目 - 新橋駅
2004年4月1日 - 2009年3月31日まで一部担当。2009年4月1日より当分駐所がはとバス委託支所化される為に渋谷の単独所管となった。

渋66系統 [編集]

2003年4月1日に杉並から移管されたが、2006年4月1日より先にはとバス委託の為に再び杉並へ再移管された。

田70系統 [編集]

  • 田70甲:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 芝五丁目 - 三ノ橋 -(←鳥居坂下 / 飯倉片町→)- 六本木 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70乙:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 芝五丁目 - 三ノ橋 - 飯倉片町 - 六本木 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70丙:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 芝五丁目 - 赤羽橋 -(←鳥居坂下 / 飯倉片町→)- 六本木 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70丁:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 芝五丁目 - 赤羽橋 - 飯倉片町 - 六本木 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70出入:新宿車庫 - 新宿車庫前(初台交差点) - 西参道 - (←角筈二丁目/新宿郵便局前→) - 新宿駅西口
新宿方面と田町方面で経由が異なっていた。六本木の芋洗坂が20時以降の車両通行を禁止してからは、両方向とも飯倉片町経由となった。

1957年の70系統(田町駅東口 - 赤羽橋 - 信濃町駅前 - 新宿駅西口が、目黒自動車営業所担当として発足)が前身で、1年後には同区間の三ノ橋経由便を新設、赤羽橋経由を甲、三ノ橋経由を乙とする。1970年には両系統とも田町駅 - 田町操車所(現・港区スポーツセンター)を延長開業し、1972年に田70甲・乙と変更した。1982年12月26日から新宿自動車営業所が加入して共管を開始するが、目黒自動車営業所は10年後の1992年に撤退したため新宿自動車営業所単独所管になったものの、都営地下鉄大江戸線が開業したことで路線の多くで重複することから、2000年12月12日に廃止。その後、一部に「ちぃばす」が設定された。

PS用ゲームソフト「東京バス案内」で、中ノ橋 → 新宿駅が収録されている。

東72系統 [編集]

  • 東72:新宿駅西口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 代々木一丁目 - 代々木駅前 - 北参道 - 千駄ヶ谷駅前 - 球場前 - 北青山一丁目 - 赤坂八丁目 - 山王下 - 溜池 - 虎の門 - 新橋 - 数寄屋橋 - 有楽橋 - 東京駅八重洲口
  • 東72:新宿駅西口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 代々木一丁目 - 代々木駅前 - 北参道 - 千駄ヶ谷駅前 - 球場前 - 北青山一丁目 - 赤坂八丁目 - 山王下 - 溜池 - 虎の門 - 新橋
1952年に40系統(新宿駅 - 東京駅南口)として開業した。現在はバス空白地帯となっている青山・神宮球場・日本青年館を経由していた。開業から僅か2ヶ月後には東中野駅 - 新宿駅西口を延長、その1年後には赤坂経由・東京駅八重洲口発着に変更するなど、短期間で大幅な路線改編を見せる。改編はさらに続き、東京方面を千駄ヶ谷八幡から千駄ヶ谷駅前経由に(1962年5月10日)、新宿駅西口 - 代々木駅前を西参道経由に変更(1970年10月15日)した。

1971年には東中野駅 - 新宿駅西口を短縮と同時に新橋折返便を新設、直後に東72と名乗った。12月には新宿駅西口方面も千駄ヶ谷駅前経由となると、5年後の1977年に全線が廃止された。路線廃止まで、経由地変更や短縮などが相次いだ路線だった。赤坂青山周辺で廃止された路線の一部では、港区コミュニティバス「ちぃばす」が運行している。

秋76系統 [編集]

  • 秋76:新宿車庫 - 新宿車庫前(初台交差点) - 西参道 -(←角筈二丁目/新宿郵便局前→)- 新宿駅西口 -(←新田裏 / 新宿区役所前→)- 抜弁天前 - 若松町 - 牛込柳町 - 牛込北町 - 津久戸町 - 飯田橋 - 小石川橋 - 水道橋 - 御茶ノ水駅前 - 万世橋 -(←秋葉原駅西口/岩本町駅→)- 秋葉原駅東口
  • 秋76:新宿車庫 - 新宿車庫前(初台交差点) - 西参道 -(←角筈二丁目/新宿郵便局前→)- 新宿駅西口 -(←新田裏 / 新宿区役所前→)- 抜弁天前 - 若松町 - 牛込柳町 - 牛込北町 - 津久戸町 - 飯田橋 - 飯田橋終点(現;都営飯田橋駅前)
1970年3月27日に新宿駅西口 - 岩本町が513系統として開通し、その後終点が秋葉原駅東口に延長、新宿側が橋78系統の廃止で新宿車庫発着となるが、2000年12月12日の大江戸線開業によって廃止された。しかし、住民の要望などから牛込地区の一部区間を復活する形で現;飯62系統小滝橋車庫~大久保駅前~牛込柳町駅前~牛込神楽坂駅前~飯田橋~都営飯田橋駅前(小滝橋自動車営業所所管)が新設された。[要出典]

橋78系統 [編集]

  • 橋78:新橋駅 - 西新橋一丁目 - 虎の門 - 溜池 - 赤坂見附 - 四谷駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅南口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 新宿車庫前(初台交差点) - 初台 - 幡ヶ谷 - 笹塚 - 明治大学 - 下高井戸
  • 橋78:新橋駅 - 西新橋一丁目 - 虎の門 - 溜池 - 赤坂見附 - 四谷駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅南口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 新宿車庫前(初台交差点) - 新宿車庫
37系統として運転していた物を、橋78系統に改称。改称後まもなく新宿車庫前~下高井戸を廃止する。追って約10年後の1982年12月26日に全線廃止。当路線の廃止で、秋76系統を新宿駅西口から西参道経由で延長。ただし新宿駅西口のバスターミナルの都合上往復角筈二丁目経由にはできず、新宿郵便局前が設置された。当路線は東京都交通局の合理化で廃止されたのではなく、ほぼ全区間にわたって並行路線があったために廃止された。新宿車庫前停留所は、渋66や京王、小田急も停車していた停留所で現在の東京オペラシティ南停留所であり、新宿車庫停留所は新宿自動車営業所の山手通り側出入り口に存在し、京王の停留所名は当時ロッテ本社前だった。現在も宿75出入系統(新宿車庫~西参道~新宿駅西口)が使用している。秋76系統と田70出入系統での車内アナウンスでは「新宿車庫前初台交差点」と案内され、渋66系統や他社のバスでは単に「新宿車庫前」とアナウンスされており、「新宿車庫」は秋76系統と田70出入系統の入庫便のみのアナウンスであった。現在は運転本数は僅かである。

草79系統 [編集]

  • 草79:新宿車庫裏 - 中央公園 - 新宿駅西口 - 厚生年金会館前 - 曙橋 - 市谷見附 - 飯田橋 - 小石川橋 - 妻恋坂 - 鳥越神社 - 厩橋 - 二天門 - 浅草公園
新宿から浅草方面への観光向け路線で、49系統として運転されてきた。新宿車庫は水道道路に面した新宿車庫裏(現在も降車所の停留所ポールに当時の新宿車庫裏の表記が見られる)停留所が起終点。京王の淀橋第六小学校(現;西新宿小学校)停留所で宿41・宿45(新宿駅西口~中野車庫・中野駅南口)と同じ場所。現在の都営バスは、宿74出入系統(新宿車庫前~中央公園~新宿駅西口)がわずかに発着するにすぎない。都営地下鉄新宿線の開業を目前にした改編で、1979年11月23日に廃止された。後継は初代・東42乙。この路線が廃止となる予定なので、練馬営業所所管の、白61系統が1977年12月16日から、市ヶ谷富久町まで新宿通り経由だったのが靖国通り(厚生年金会館前;現新宿一丁目北、花園町)経由へと変更された。

四80系統 [編集]

  • 四80:四谷駅前 - 赤坂見附 - 溜池 - (←赤坂アークヒルズ前) - 赤坂アークヒルズ
現在でこそ、港区には六本木ヒルズ東京ミッドタウンなど大規模再開発により誕生した商業施設が点在するが、最初に開業したのが赤坂アークヒルズである。

この系統の開業時は東京地下鉄南北線がなく、アークヒルズへは国会議事堂前駅赤坂駅、神谷町駅のみで不便だった(溜池山王駅は開業前)。そんな中、アークヒルズの目の前を通る都01(渋谷駅 - 新橋駅)は唯一のアクセス手段として利用客が増え、交通局としても利用客減に悩まされ続けるなかで救世主となった。そんな追い風を受けて新しいアクセス路線を新設することになり、1986年4月17日に誕生した。廃止まで担当した新宿自動車営業所も、再編の度に橋78・草79といった所轄路線を失って収益も下がってきたため、営業所の命運を懸けてのPRを行った。使用車両は、当時廃止されたばかりの立73系統(立川駅北口~日野駅前~八王子駅北口)八王子から来た中型車(1984年度車)で賄った。

こうした努力が報われ、運行開始よりすぐに利用客が定着、混雑も激しくなったため増回し、車両も大型車に変更した。さらに不足する需要の応対には、品川から応援(当時運行されていた四92の区間便を間引きし、四80で運行)に当たっていた。中型車は小滝橋自動車営業所へ転属させ、同所の東71(東京駅北口~大久保駅前)や早81(早大正門~渋谷駅西口)等の閑散路線用に交換した。

しかし、一番恐れていた事態が発生する。南北線の延伸が決まり、営団地下鉄;現東京メトロ銀座線と南北線の交差地点に溜池山王駅を開業させることになり、風向きが一気に不安定になる。溜池山王駅が開業することによって全区間が平行区間になり大打撃を受け、四80は土休日の運行が中止、目黒延伸で六本木一丁目駅が開業した時点で役割を終えた。それに追い打ちをかけるかのように、3ヵ月後の都営地下鉄大江戸線開通で平日便も廃止され、完全に息の根を止められた。四92も反96に統合され、都営バスでも有数の車窓風景の名所であった迎賓館から路線が消えた。現在、四80が使用していたアークヒルズ構内は、都01の折返し便が使用している。

ちなみに四80は、アークヒルズを出ると道路の構造上で溜池方面へ曲がれないため、一旦逆の渋谷方向に走り、首都高谷町JCT下でUターン、六本木通り東行きの「赤坂アークヒルズ前」に停車して四ッ谷駅へ向かっていった。この間の所要時間は約5分で、地下道を通ればアークヒルズ構内で乗り遅れたバスに道路上で乗ることも可能だった。

池86系統 [編集]

  • 池86:新宿車庫 → 西参道→ 新宿四丁目 → 表参道 → 渋谷駅西口(西参道~新宿4丁目間は無停車)
  • 池86:渋谷駅東口 → 表参道 → 新宿四丁目 → 新宿伊勢丹前(新宿伊勢丹前~新宿車庫間は回送)
2009年4月1日の都01撤退により廃止された。池86の本線は都営バス早稲田営業所を参照。

品97系統 [編集]

  • 品97:品川車庫前 - 品川駅前 - 天現寺橋 - 西麻布 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿三丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
杉並・港南に移管された。

302系統 [編集]

  • 302:新宿駅西口 - 新宿車庫前 - 国領 - 調布駅北口 - 府中本町・立川駅北口 - 日野橋交差点 - 日野駅前 - 日野自動車前 - 明神町 - 八王子駅北口
後に短縮されて、立73系統となった物である。当初は八王子支所と共に新宿営業所も担当便があった。新宿駅西口の乗り入れ廃止で、先に撤退した。

備考 [編集]

指定車種いすゞ自動車工業

音声合成レシップ → ネプチューン(現・レゾナント・システムズ

  • 長らくいすゞ自動車工業製が中心(C・H01用の都市型超低床車を除く)だったが、営業所から近い都庁構内のCNGステーション新設によりCNG車も投入された。(三菱ふそう、日産ディーゼル、日野自動車の合計4社製共配置された。3ドアーのリフト付き車も含む)
  • 日産ディーゼル工業製KC-UA460KAM改、富士重工業7Eボディ架装(CNGノンステップバス)が、都庁のCNGステーションを利用するために、北自動車営業所から転属して来て2013年現在もCNG低公害車であるので排出ガス規制を受けない為に長命で、現存配置されている。(C-F445・C-F446・C-F447)同時期に北自動車営業所に配属のF-448は、北車庫構内のCNGスタンド廃止に伴い、以降もCNGスタンドが残る深川自動車営業所(S)に2013年現在転属し使用されている。同形式のディーゼル車は、東京都内、埼玉県、神奈川県、千葉県の都心側では民営のバス会社でも除籍が進んでおり、珍しい車種になったと言える。規制を受けない地域の茨城県、栃木県、群馬県以北や静岡県、山梨県以西では(愛知、三重、大阪近辺を除く)引き続き使用されている。都営バスでは丁寧に使われており状態も良く、この車種は東京ではレアなので現在色々な書籍に発表されている。
  • 一時期、日野自動車工業製(C-F460・C-F461)が配置されたが、2005年に杉並に転出して在籍が無くなるものの、2007年に再配置された。10月にはC・H01・宿74・宿75などにBRCハイブリッドも投入された。
  • 都営初のノンステップバス(C-C200)が投入された営業所。C-C200は2009年11月に除籍されるまで、他営業所に転出することは無かった[2]
  • 渋谷自動車営業所新宿分駐所時代は、記号がBになったと共に標記も(渋谷)となっていた。しかしナンバーのみは新宿分駐所配置を表す練馬であった。

脚注 [編集]

  1. ^ 営業所記号はCだったが、分駐所時代は渋谷のBに変わったが、ナンバーは品川ではなく練馬のまま。
  2. ^ 同時期にC201も登場したが、こちらは試験運行を都営バス管内各地で行うのに伴い、新宿以外に品川・葛西・練馬・小滝橋を経て所属し、2010年除籍。

※参考文献;都営バス系統案内図、都バス担当(系統)営業所一覧表、方面別新旧系統一覧表1972年12月1日現在。東京都交通局発行。都営交通路線案内図1978年現在。東京都交通局発行。

関連項目 [編集]