通勤形車両 (鉄道)

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日本国有鉄道キハ35系(2両目は寒冷地仕様の500番台)

通勤形車両(つうきんがたしゃりょう)とは、通勤通学者を主な乗客と想定し、近距離電車のうち大量輸送に最適化された接客設備と走行性能を有する鉄道車両を指す用語である。

日本の鉄道における一般的な特徴として、車内がすべてロングシートで、多数のつり革を設置しており、座席数よりも立席面積の確保を優先してラッシュ輸送に対応している傾向がある。ドア数についても片側3ドアや4ドアを基本とし、なかには5ドアや6ドアのバリエーションもあるが、いずれも乗降性を重視した設計となっている。

本来は日本国有鉄道(国鉄)・JRが定めた車両区分の1つであるが、当項目では国鉄・JR以外の同種の車両についても解説している。

定義[編集]

狭義では通勤用に特化した車両であるが、優等列車(特に特別急行列車)専用以外の車両を指す場合もある[1]

日本国有鉄道・JR[編集]

国鉄では、1944年に登場した63系以降の片側4ドア形電車を「通勤形電車」として規定しており(例外的に3ドア車もあった)、3ドアでクロスシートを装備した近郊形車両とは設備・性能とも区別されていたが、JR移行後は両者の区分が曖昧となり、このカテゴリー分けは崩れつつある。

気動車では片側3ドアでロングシートを装備するキハ35系キハ38形が名目上、通勤形として製作されているが、気動車では名目上は通勤形・近郊形として製作された車両であっても一般形の概念に含まれるものとされている[2]。その他にも元準急用キハ55系の旧一等車や、急行形キハ58系をオールロングシート化した車両も過去に存在した。ちなみに気動車では国鉄時代の液体式気動車は特急形を除いて互換性が重視されており、他の一般形との混結も少なくはなく、使用の区別は明確でなかった。

客車では10系以前の客車(旧型客車)については明確な用途を特に規程していないが[注 1]、戦後の車両不足の時期に対処する形で製作された戦災復旧車である70系は実質的な通勤形客車であり、室内はロングシートで必要最小限の設備を設けた程度であり、その車内設備の悪さから本来の旅客車の増備につれて早い内に荷物車などに改造され、後に救援車などの事業用車に再改造されたりした。後に旧二等車や鋼体化改造車である60系の一部で通勤形化改造と称するロングシート化した車両もあったが[注 2]、日本の客車において通勤形は普及していない。国鉄が最後に製作した客車である50系は通勤輸送を主目的としているが、地方での実情を反映して室内はセミクロスシートとしたため、「通勤形でも近郊形でもない」ことから一般形に定義していた[5]

ちなみに、国鉄の車両規定によれば「客室に出入り口を有し、縦型座席(いわゆるロングシート)を備え、通勤輸送に適した性能を有する車両形式のもの」とされている[6]

広義では通勤輸送のために開発された車両を意味し、新幹線電車であるE1系E4系、ライナー列車向けの近郊形電車である215系といった2階建車両や前述の50系客車も通勤輸送のために開発されており、これらも通勤形に含まれる概念となる[7]

鉄道車両の形式は新性能電車について、国鉄時代は車両形式区分の第2位(十の位)の数字が原則として「0」が通勤形に割り当てられていたが、JR化後はそれ以外の数字も使われている。北海道旅客鉄道(JR北海道)では「3」を通勤形としつつある。西日本旅客鉄道(JR西日本)では2005年(平成17年)度以降に新製された普通列車用の車両については車両形式区分の第2位(十の位)の数字を通勤形・近郊形・一般形を問わず「0~3、5、6」に割り当てているが、2012年(平成24年)時点では321系のみの使用に留まっている[8]

私鉄[編集]

私鉄においても大手・準大手私鉄では通勤形の概念こそあるものの[1]、国鉄・JRのように事業者はもとより日本民営鉄道協会でもそこまで明確な規程はしていないため、必ずしも通勤形=ロングシートとは限らない。

名古屋鉄道6000系は名目上、通勤形と位置づけられているものの、元々は小型固定クロスシートであった[9]。これはロングシートでは閑散時の長距離利用者にとってはサービス低下が懸念されため[10]、通勤車でもクロスシートが必要となったためである[11]

また、近畿日本鉄道5800系のようなデュアルシート車も通勤形に入る[12][注 3]

国鉄・JRが定義した通勤形の区分に近い事例としては、京阪電気鉄道ではロングシート車両をクラス3と位置付け、「シティ・コミューター」と呼称している[13]

通勤形車両の発達[編集]

初期の通勤形車両[編集]

明治時代中期に鉄道が大衆化すると、長距離の移動のみならず、短距離の通勤・通学にも利用されるようになった。東京などの大都市では特にその傾向は顕著であった。その時代の中でも1895年に京都に初登場した電車は、都市部を中心に各地で運転されるようになるが、徐々に大型化し、1910年頃には15m級のボギー車が出現していた。

当時の鉄道車両は(長距離用鉄道車両は現在でも)、車体の一端1か所、もしくは両端の2か所にドアを設置しているのが普通であった。しかし、これではドア付近に乗客が固まりがちで、混雑時には円滑な乗降に困難を来してしまう。

日本でも、明治時代末の大都市ではすでに2ドア電車ではラッシュ時の乗客を捌ききれなくなりつつあった。大正時代の始めから、国鉄(当時鉄道院)や主要私鉄の電車に車体中央にもドアを設けた3ドア電車が出現する。東京市(現・東京都交通局)や大阪市路面電車も、大正中期以降3ドア化が進展した。

そして、電車の大型化(最大17m級)が進んだ大正時代末期以降は、ほとんどの私鉄が通勤輸送向けに3ドア電車を用いるようになった。

自動ドア[編集]

初期の電車のドアは手動式で、駅では駅員がいちいち戸締まりの見回りをしてから発車しなければならなかった。

空気圧で作動する遠隔操作式の自動ドアアメリカなどで早くから導入されていたが、日本でも大正時代末からテストが始まり、1926年に国鉄(当時の鉄道省)が正式採用した。以後、大手私鉄にも普及する。

また、開けっ放しでは電車が走れない仕組みになっていた自動ドアの導入は、安全性向上と客扱いの迅速化に大きく貢献した。

4ドア電車の登場[編集]

初期の電車は木造車体であったが、1923年以降鋼鉄製車体の電車が登場し、電車はより大型化していく。1929年以降、鉄道省南海鉄道大阪電気軌道などには20 - 21m電車が出現するが、電車の客用ドア数は片側3ドアが最大であった。

ドア数を増やせば座席は減少するが、客扱い能力が高まる。戦時体制下において軍需要員の輸送需要が高まると、遂に4ドア電車が登場した。

太平洋戦争中の1942年鶴見臨港鉄道新潟鐵工所に発注したサハ220形・260形各2両が日本初の4ドア電車である。この電車は鶴見臨港鉄道が鉄道省に買収された翌1943年になってから使用開始された。全長17mとそれほど大きくないため、側面はまるでドアばかりであった。同年、鉄道省は関西地区で用いられていた20m級2ドア電車のモハ43形を4ドア化改造して通勤対応型とした。これがモハ64形(後のクモハ31形)で、国鉄初の本格的な4ドア電車となった。

国鉄63系電車

鉄道省は、さらに1944年に徹底して簡素化された設計の戦時形通勤電車63系を開発した。この形式は工作や材質は粗悪であったが、単純化された20m車体に片側4ドアを採用し、ラッシュ時の客扱い能力に卓越した性能を示した。結局、太平洋戦争終結後も量産され、1951年までに700両近くが就役した。

4ドア電車の普及と運輸省規格形電車[編集]

太平洋戦争終結時点で、国鉄・私鉄を問わず戦災被害によって喪失した電車は膨大な両数に達した。また、残存した車両も戦後の混乱した情勢下での恒常的ラッシュ輸送に酷使され、十分な保守を受けられない状態で消耗、多数が使用不能に陥った。この結果、全国の国鉄・私鉄が車両不足に悩むことになった。だが、慢性的な資材不足の情勢では新車投入もままならなかったのが実情であった。

このような危機的情勢下、国鉄は前述の63系を大量生産して急場を凌ぎ、また一部の大手私鉄も同系列を緊急導入して輸送力確保に当たった。この結果、4ドア電車の輸送能力が認識され、後において広く踏襲される根元となった(詳細は国鉄63系電車の項を参照)。しかし、同系列は非常に大型であり、線路規格の低い鉄道では使用不可能であった。また、同系列の性能が条件に合わないという路線も少なくなかった。

そこで、運輸省1947年に電車の標準規格を制定し、この基準に沿った電車について優先的に新規製造を許可するという方針を採った。この結果、製造された電車は「運輸省規格形電車」と呼ばれている。その中でも大量に製造された例としては、東京急行電鉄デハ3700形名古屋鉄道3800系近畿日本鉄道600系などが挙げられる。他にも主要私鉄では京成電鉄、京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄および京阪電気鉄道)、山陽電気鉄道西日本鉄道などが導入しており、地方の中小私鉄でも導入例がある。

運輸省規格形電車は、鉄道会社のニーズに合わせて複数の規格が制定され、製造された。部材の規格化・電装部品や台車の標準化などが図られたものの、実際には各鉄道会社の在来規格に合わせるよう個別に修正の上製造されており、規格統一はあまり実現できなかったと言われる。

この系統に属する電車は、1950年頃まで大量に製造され、輸送力確保の役割を果たした。

高性能通勤電車と通勤形気動車の登場[編集]

国鉄の高性能通勤電車は101系から始まった。同系列は全電動車方式で、高加・減速、高速走行を目指したが、金銭的・技術的な問題から6M4Tの編成を組まざるを得なくなり、挫折した。その後はモーター出力を上げ、MT比1:1を基準とする103系に移行し、この系列が国鉄の標準車両となってゆく。

乗客の乗り心地の向上についても考えられるようになり、101系では車内に扇風機が標準装備され、クハ79後期型にあった乗務員室への通風装置も取り付けられた。多段制御や空気バネ台車も試験され、前者は103系1000番台で、後者は301系で実用化されている。同系列は地下鉄乗り入れ専用の車両で、アルミ車体、シールドビーム窓下2灯、ユニット窓など、当時の国鉄通勤形では初の試みばかりの意欲的な車両だったが、製造コストが高かったため、製造は56両のみで終わり、その後の新造は103系に変更されている。ただし、同系列でも中期車以降は窓上ではあるが、シールドビームが採用され、ユニット窓も取り入れられている。また、踏切障害事故対策として運転台の高さを高くした先頭車も出現している。

同時期、国鉄初の通勤形気動車として外吊りドアを採用したキハ35系も製造された。キハ35系には押し込み式通風器を装備した寒地向けの500番台や、ステンレス車体の試作車900番台なども存在した。

103系の構造は通勤用車両としては上出来なもので、私鉄各社も全電動車方式からMT1:1方式へ転換を進め、その後の主流となっていった。車体も101系や103系と同じような構造の物へ転換していった。ただし、一部の路線では「駅間が極端に短い」や「ダイヤが過密すぎる」などの理由で加速に重点を置いた全電動車方式の車両を製造し続けた。これは、T車を連結しても十分な加速力を発揮できるモーターが開発される1980年代頃まで存在したが、現在では京阪電気鉄道の800系阪神電気鉄道5500系南海電気鉄道2000系など少数が残るのみとなっている。

また、この時期に大手私鉄以外にも一部の中小私鉄が新性能通勤電車を投入している。特筆される車両としては、1958年に登場し、地方私鉄における新性能通勤電車の先達となった伊予鉄道600系や、自社長沼工場で内製された静岡鉄道クモハ100形(1961年登場)、そして20m車体と片側4箇所の乗降扉を持つ本格的な通勤形電車として登場した長野電鉄OSカー(Officemen&Students Car)(1966年登場)が挙げられる。

それまで、通勤電車の冷房化は扉数が多いこと、扉開閉頻度の高さから効果が疑問視され、名古屋鉄道の5500系など、前述の条件がある程度緩い、なおかつ優等列車での使用が中心だった車両に限られていた。しかし、1960年代末期になると、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)の5000系に端を発したロングシート通勤車両の冷房化が首都圏・関西圏の大手私鉄から順次開始され、103系も中期以降になると冷房化されるようになり、室内環境はさらに改善が進むことになる。

新性能第二世代[編集]

国鉄では、車種統一という観点から103系を製造し続けていたが、アコモデーションの陳腐化や、環境への影響(103系は抵抗制御で走行時に大量の熱を発し、エネルギー効率も悪い)を懸念し、1980年前後になるとそれらを解決した201系が製造されることになる。同系列は電機子チョッパ制御が採用され、車内も座席に着席区分が設けられたり、内装を緑系からクリーム系の化粧板にするなど一新された。側面ドアは子供が挟まれるのを防ぐために小型化され、103系高運転台車ではしまりがなかった前面は窓、ライト周りを黒色ジンカート処理にし、窓配置も工夫するなど、外観のイメージアップも図られた車両だった。この車両は好評で、地下鉄千代田線乗り入れ向けの派生型も製造されることとなり、車体をアルミ製に代え、戸袋窓を廃止した203系となって常磐緩行線の103系を置き換えた。

省エネ電車として登場し、中央線快速電車、常磐線各駅停車、さらには京阪神地区の東海道・山陽緩行線においてフラッグシップとなった201系と203系だったが、当時チョッパ制御は高価で、国鉄の財政上、101系と103系をすべて置き換えることができなかった。

また、同時期には地下鉄乗り入れ車両として筑肥線に投入された103系1500番台や、いわゆる旧形国電の代替とした福塩線可部線宇部線小野田線和歌山線桜井線奈良線仙石線などに投入された105系では駅間が東京・大阪の電車区間に比して長く、また輸送量も比較的少ないことから閑散線区とされ、チョッパ制御を採用するには省エネの費用対効果が薄いとされ、抵抗制御を採用している。なお、後者については制御電動車を1両と制御車1両を基本し、片側3扉としているなど、従来の車両とは異なる車内設計を採用している。

1980年代半ばになると、根本的な解決をするために、低コストで経済的な界磁添加励磁制御を採用した205系を作り出し、山手線への大量配置を始めた。同形式の設計は201系を基本としているが、車体はステンレス製、台車はボルスタレス台車、側窓は第5編成以降は一段下降式となるなど、全く別の車両である。また、車体は205系に準ずるVVVFインバータ制御試作車207系も製造され、こちらは常磐緩行線に投入された。一方、通勤形気動車は八高線に投入されたキハ38形が同時期製造されている。国鉄の通勤形気動車として初めて新製時より冷房装置を搭載したが、こちらは普通鋼車体を新製しキハ35形の変速機や台車を流用していた。

国鉄では、イニシャルコストの高さから長年ステンレス車両を量産しなかったが、これらの車両が登場する頃になるとステンレスの価格も下がっており、軽量化、無塗装化による維持費低減を狙う方が、スチール車よりも長期的には有利であると判断されたため、大量増備が可能となった。特に205系はJR化後も主に東日本旅客鉄道(JR東日本)で、側扉部の窓の拡大、前面への種別表示幕設置などのマイナーチェンジを行った車が増備され、一部では前面デザインを根本的に見直したニュータイプも登場している。

新たな通勤形車両と世代交代[編集]

国鉄が解体し、JRとなって再出発すると、国鉄にあった全国統一という概念がなくなったため、会社ごとに違った方向性を持って線区ごとの事情に合わせた車両を投入できるようになった。

真っ先に動きを見せたのは西日本旅客鉄道(JR西日本)で、1990年から207系を作り出している。207という数字を冠した車両は、国鉄時代に207系900番台(10両編成1本・205系の設計をVVVFインバータ制御に変更したもの)を製造したが、JR西日本の207系は完全に脱・国鉄を念頭に置いた車両で、各部分に斬新な設備が取り入れられている。簡単に紹介すると、まず、車体はラッシュ対策として広幅にされ、同社が発注していた205系1000番台の思想を受け継ぎ、低運転台、大型窓で明るい照明と共に明るい車内を演出し、前面展望も良くしている。また、座席も良い材質のものを使用するなど、並走する私鉄への対抗も考えられているほか、編成は時と場合に応じて2両以上が自由に組めるようになっている(現在では試作編成を除いて3両と4両のみ)。

207系は、機器類が何度かマイナーチェンジをされているものの、車体は2003年までほとんど同じものが480両製造され、後継の321系もこれを踏襲したデザインを採用するなど、JR西日本では通勤形の完成系車両と位置付けられている車両になった。また、207系は103系の淘汰も目的としたが、同系列でも状態のいい車両は積極的に延命・リニューアル改造を進め、新車並みの装備に更新された車両も登場している。

一方、関東地区では人口増加に伴う輸送力の増強が急務となっていた。この頃になると、大半の線区で車両・ダイヤともに限界の状況にあったため、以前とは異なる方法が取り入れられることになる。まず「扉数の増加」である。

片面5ドアとした車両は1970年の京阪電気鉄道5000系が最初の導入例であったが、これ以後は長期にわたり導入例がなかった。しかし、1990年帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)が関東で初めて編成中の一部の車両を5ドアとした03系を導入し、これ以降、京王電鉄、東武鉄道でも採用された。京阪5000系ではラッシュ時以外は5か所のうち2か所の扉を締め切りその部分に座席を下ろす機構を備えており、その間は3ドア車として運用される。

一方、1991年からはJR東日本が山手線の11両編成化にあわせて片面6ドアのサハ204形を導入した。これは片面6ドアであることに加え、ラッシュ時は座席を収納しすべて立席とする機構を備える。同様の6ドア車両はその後、横浜線京浜東北線中央・総武線各駅停車埼京川越線、そして東京急行電鉄田園都市線にも導入されている。

「扉のワイド化」により混雑緩和を図る会社も現れた。こちらは扉の数をそのままにしながら開口幅を一般的な1.3 - 1.4m程度から1.6 - 1.8m程度と広くし、乗降をスムーズにしようとしたものである。まず、営団が多扉の03系との比較の意味もあり、05系で導入した。これに続いて小田急電鉄でも導入し、関西でも阪急電鉄が採用している。しかし、こちらは想定したほどの効果は得られなかったため、小田急にて3000形の初期車まで採用していたのを最後に、その後は採用されていない。同社では1000形の一部で開口幅2mという極端な大型扉を採用したものの、着席定員が少なすぎるため、登場の数年後に1.6m幅へ改造している。

以上2つの方法はあくまでもラッシュ対策であったため、並行して通常の車両も導入しなければならなかった。その際、JR東日本ではそれまで常識とされてきたのとは全く異なる車両の導入を始めた。京浜東北線に投入され、後に209系として量産されることになる901系は、車体寿命を10年程度とし、同時に各部の構造も簡素化している。従来、電車は20 - 30年程度の耐用年数を有していたが、JR東日本では発想を変えて「寿命を短く、リサイクルしやすい車両を作ることで、常に最新の設備と機能を持った車両を追い求めることができる」として「寿命半分、価格半分、コスト半分」をコンセプトに開発された。なお、「コスト減少」という点では自社開発の車両製造や大規模修理を行える設備として新津車両製作所の本格的な稼働もこの時期からである。座席もソファー式の長椅子からS字型の特殊な形状の1人分ずつに成型されたバケットシートが採用された。これは着席マナーの向上を狙ったものとされている。また、座席の間にポールを立て、座席間の仕切りとして強制的に定員着席をさせるとともに子供や老人の安全を図っている。1998年までに京浜東北線を209系で統一し、南武線川越線川越 - 高麗川間と八高線八王子 - 高麗川間、中央・総武線各駅停車にもこの車種を導入した。ただし、「寿命半分、価格半分、コスト半分」のうち、「寿命半分」については導入当初に誤解されていた「10年で廃車」ではなく「解体修繕周期の長期化や部品寿命の適正化など信頼性の向上」とされている。しかし、2007年12月から京浜東北線ではE233系の導入を始めたため、2009年度までに209系を順次置き換え、廃車される予定であったが、初期に製造された車両の一部を除いて千葉地区や南武線に改造の上投入された。

209系以降、JR東日本では通勤形電車と近郊形電車の隔たりを少なくすることも進めた。近郊形電車の座席をロングシートにする発想は国鉄時代からあり(415系500番台がその先駆け)、各地で行われていたが、首都圏の殺人的なラッシュ時における混雑緩和を計る必要に迫られていたJR東日本は「片側4扉、一部を除きロングシート」という形態の車両を計画し、E501系E217系となって実現させた。なお、前者は常磐線東京近郊区間での運用を前提とした「交直両用電車として日本初の通勤形電車」とされ、純粋な近郊形電車としては後者とされる。

この流れは最終的に一般形電車と称されるE231系に辿り着くことになる。この系列は試作編成こそ「209系950番台」として東中野衝突事故およびそれ以降経年劣化が進んでいた103系の代替として中央・総武線各駅停車に導入されたが、首都圏の各路線に少しずつ形態を変えながら配備を続けている。なお、「座り心地が悪い」と言われてきた独特の構造の座席も、増備の途中で改良された他、さらに後継車のE233系も登場している。

私鉄(および公営交通)各社でも製造コスト低減のためJRに倣った車両やメーカー標準設計を基にした車両を導入するケースが増加している。帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)、東武鉄道、西武鉄道京成電鉄、小田急電鉄、京王電鉄などは車両メーカー提唱の標準化車両(後述)を、相模鉄道、東京急行電鉄、東京都交通局などではE231系をベースにした車両を採用している。

地方都市圏での導入[編集]

東京・大阪の大都市圏で新たな通勤形車両が登場している傍ら、それまで通勤形車両とは無縁だった北海道旅客鉄道(JR北海道)もロングシート車両の導入を始めた。

1990年代になると、札幌都市圏では通勤ラッシュによる遅れが毎日のように発生していた。元々、電化区間が札幌を中心とした函館本線小樽駅 - 旭川駅間および千歳線室蘭本線室蘭 - 沼ノ端間と限定されており、使用電車も近郊形電車である711系721系が使用されていた。しかし、亜寒帯気候に属する北海道という極寒冷地での車内保温の制約から前者は2扉、デッキ付き、デッキ付近を除きクロスシートであった。当初は711系の3扉への改修も行われたが、経年に伴う車両交代もあり、新車での置き換えを進めることになった。オールロングシート車を導入するあたり、711系のうちの1編成(S112編成)のうちの1両を試験的に改造して乗客の反応を見た後、北海道初のオールロングシート車731系を投入した。単に721系の派生形としなかったのは、小樽駅以西の函館本線学園都市線という非電化路線での使用を前提にキハ201系気動車が平行して開発されており、それと協調運転をするために新設計の車両にせざるを得なかったためである。両者の外観は帯の色とパンタグラフの有無以外は同一にされ、内装も統一化が図られた。また、これらの車両は日本初の完全協調運転可能車両である。2010年には731系に続くオールロングシート車両の735系も完成しており、この概念は733系にも受け継がれた。

JR東日本では、従来急行形電車および客車列車を使用して地域輸送を行ってきた東北・関東北部・甲信越地区にも近郊形電車に近い性能を有するがロングシートを採用した107系[14]701系[15]E127系が導入され、これらは通勤形に分類されている[16]

九州旅客鉄道(JR九州)でも、103系の後継車である303系が導入されているが、これは乗り入れ先の福岡市地下鉄空港線との兼ね合いが大きく、その他の線区は3扉を新造している。

なお、東海旅客鉄道(JR東海)や四国旅客鉄道(JR四国)には2012年時点で通勤形車両が存在しない。ともに線路容量が新型車両などにより増加したことにより混雑が緩和されたことが一因とされる。JR東海の場合、国鉄末期に中央西線名古屋駅 - 中津川駅間での混雑緩和のために103系が導入されていた。同系列の置き換えはともに近郊形車両であるが、3扉ロングシートの211系5000番台および3扉転換クロスシートの313系が使用されている。これは名古屋都市圏での高速化・高規格ダイヤ化に伴うものであるが、103系の運用離脱に伴いJR東海では現在営業車両として正式な「通勤形車両」(4ドアロングシート車)というのは存在していない。JR四国については電化区間が予讃線高松駅 - 伊予市駅間および土讃線多度津駅 - 琴平駅間と想定される都市圏としては高松都市圏および松山都市圏で、電車化による速達化・フリークェンシー化に伴う混雑緩和を行っているが、同社でも4扉ロングシートの車両は存在していない。

例外的なものとしては、JR西日本の場合、広島シティネットワークを中心とした山陽地方および和歌山県の地域輸送で近郊形電車に伍して使用される場面もある。また、播但線加古川線のように103系を改造して使用するなど、新製車両としては通勤形車両を導入しない事例もある。

その他[編集]

東西の違い[編集]

私鉄各社では、戦後の混乱期が終わる頃から次第に各社ごとに違った車両を作り出してきた。その際、少しずつではあるが、関東地方と関西地方では傾向に差が生まれるようになっていった。

違いとしては、以下の点が挙げられる。

  1. 関東では車体規格が20m4扉が主流になっていったのに対し、中京圏京阪神圏では18 - 19m3扉のままの会社が多い。
    • 関東では、東武鉄道や小田急電鉄などで国鉄63系電車の割り当て以来、20m車が入線可能な設備の整備が進められ、西武鉄道や京王帝都電鉄など急激な利用客増加への対策として車両の大型化を選択する会社も多かった。東京急行電鉄の20m車導入は比較的遅く(1969年)、1961年に最初の区間が開通した営団日比谷線の乗り入れ規格を設定する際には、東武が20m車規格を提案したものの、結局東急・営団の主張する18m車規格が採用されたため、東急東横線でも20m車が主流になった現在ではドア位置がずれるなど地下鉄乗り入れ車の規格の違いが禍根を残す結果となっている。日比谷線以後の営団(現:東京メトロ)東西線都営6号線(現:三田線)など東京の地下鉄新線建設ではリニア式である都営大江戸線を除き20m車規格で建設されている。
    • 一方、大阪を中心とした関西では、大阪市大阪市交通局)が長らく市営モンロー主義を採り、既存私鉄の都心部への乗り入れを規制していたことや、大阪市営地下鉄自体も旧軌道法の「特許」による建設であり、大阪市電の地下化・高速化という法律的・技術的な側面もあり、乗り入れに際しては、千里ニュータウンへの輸送手段の一つである阪急千里線に接続する意図で建設された堺筋線とリニア式の2路線を除けばすべて第三軌条方式の路線であり、北大阪急行線近鉄けいはんな線のように「第三軌条方式地下鉄の郊外延長」といった形をとらざるを得なかったことや、近鉄難波線阪神なんば線のように自社で都心に延長する形を取らざるを得なかった(または、それを支援する方法が手っ取り早かった)という事情がある。また、山間部や在来市街地での急カーブを設置せざるを得なかった事情からすでに戦前(昭和初期)から20mクラスの車両を運行していた近鉄(大阪線南大阪線)や南海(現在では高野線の橋本駅以南を除く)を除き、物理的にも20m車の導入が難しかったということが原因となっている。なお、近鉄でも奈良線や南海高野線の河内長野 - 橋本間、阪神でもなんば線開業の際に20m車が走行できるようにするための改良工事が行われた。
  2. 関東では、東京急行電鉄・小田急電鉄・京王電鉄に代表されるようにステンレス車体が、関西では、近畿日本鉄道・阪急電鉄・京阪電気鉄道に代表されるように鋼鉄・アルミ車体が多く採用される傾向がある。ただし、京浜急行電鉄1000形(2代)の6次車以降はステンレス)や営団地下鉄(現:東京地下鉄=東京メトロ)ではアルミニウム車体を、ステンレス車体を導入していた東武鉄道や近年まで鋼製車体を導入していた西武鉄道がアルミニウム車体へと方針を転換し、関西でも南海電気鉄道7000系・7100系および支線用は鋼鉄)や阪神電気鉄道9000系1000系)、大阪市営地下鉄(30系の一部・新20系66系30000系)はステンレス車体を用いており、一概に言い切れない。
  3. 関東では、JRに倣った車両やメーカー標準設計を基にした車両の導入が盛んだが、関西では自社開発が主流である。
    • しかし、これは2000年代に入り関東各社が経年劣化した車両(主に1970年前後=昭和40年代に製造された車両)の交代期にあたることや、1992年のJR東日本の209系の登場をきっかけとした国土交通省経済産業省の主導もあり、車両製造会社が大量生産を可能にして1両あたりの製造コストの削減を目指した施策でもあり、必ずしも鉄道事業者各社が自社開発を放棄した訳ではない。また、相互乗り入れや保守などの理由から、同規格の車両を導入せざるを得ないという場合も多い。
関西でも、経年劣化した車両が首都圏よりも多く存在するが、鉄道事業者の経営事情が厳しいこともあり、そのまま継続して車両を使うことがある。また車両の更新を行って寿命を延ばすことを行っている。
  1. アルミ製車両の場合、関西では全体を塗装することが多い一方、大阪市営地下鉄(10系20系・30系の一部)や関東では銀または白に1 - 3色の帯を巻くことが多い。ただし、例外として京浜急行電鉄のように全体塗装を行っている事業者もある。
  2. 関東では、制御車やユニットM車が多く、関西では、制御電動車や単独M車が多い。
    • これは関東と関西の鉄道の発展の経緯の違いに起因している。関西の場合、短編成で登場したものを増結で現在の長さにしたケースも少なくなく、また、分割・併合運用がある場合も多かったために制御電動車や単独M車が不可欠だったのである。
  3. 中京圏
名古屋を中心に路線を伸ばす名古屋鉄道では、戦後の一時期、運輸省統制によって割り当てられた国鉄63系電車を初代3700系として20両保有していたが、東枇杷島 - 枇杷島橋(現・枇杷島分岐点付近)間の急曲線を通過できず、栄生以東の運用に限られるなど、十分な活用ができなかった。その後、名鉄の車両限界に合わせた新造車の入線により、これらは東武鉄道小田急電鉄へ譲渡されている。
1950年代から初代5000系電車を嚆矢とする高性能車の導入が始まってはいたが、その後もいわゆる通勤形は新造されていなかった。これは、中京圏が東京や大阪ほどの人口集中がないことと、トヨタ自動車のお膝元という事情からで、名鉄も「マイカー通勤」への逸走を食い止めるべく、パノラマカーに代表される冷房完備の2扉転換クロスシート車の大量増備による「着席通勤」を標榜しており、一時期は保有車中の転換クロスシート車率も7割に達していた程である。しかし、その後の乗客数の増加による車内の混雑と長い乗降時間による遅延が看過できない状況となったことから、これらの改善に主眼を置いた東急3700系電車を3880系として東急から購入し、その後6000系の投入に踏み切った。6000系は車体を普通鋼とし、制御方式抵抗制御+発電ブレーキで済ませるかわりに、客席は3扉で小型の固定ロマンスシートによる集団離反式セミクロスシートという設計とした[注 4]。これが当時の名鉄の通勤輸送に対する回答であったが、そのコンセプトが評価され、(あくまでも名鉄内での)通勤形ながらブルーリボン賞を受賞している。車体規格は同社の車両限界を踏襲したため19m級で、全高(床高さと天井高さ)も国電や他の大手私鉄の車両に比べて低くなっている。初期から中期にかけて製造された小型クロスシート装備車は後の車体更新の際、一般的なロングシートに改造され、その後登場した通勤車も、一部に転換クロスシートが見られる他は3扉+ロングシートが主体となっており、他地域との差異は小さくなっている。なお、全高(室内高)は3代目3700系から高くされている。
これとは別に、名古屋市営地下鉄鶴舞線との相互乗り入れ用として1978年に登場した100系は、乗り入れ先との協議によって普通鋼ながらようやく20m[注 5]・4扉の車体とロングシートの客室となった。下回りは6000系と同様の旧弊な抵抗制御+発電ブレーキという構成であったが、客室に大型の1枚固定窓や横引きカーテンを採用し、前面にも装飾を施すなど、走行機器関係の新技術の導入よりもアコモデーションと見栄えの向上に注力されている点が他の大都市圏の通勤形車両と異なる特徴となっている[注 6]1989年導入車から界磁添加励磁制御による回生ブレーキ付きに設計変更され、1993年にはVVVFインバータ制御となった中間車が従来の編成に挿入された。
その後の地下鉄乗り入れ以外の名鉄通勤車は、3扉・ロングシートの2代目3500系、3代目3700系、3100系、3扉セミクロスシートの3代目3300系、3150系(3150系の増備車はロングシート。)、名古屋市営地下鉄上飯田線乗り入れ用4扉・ロングシートの300系(これのみ20m級、他は19m級。)、パノラマスーパーからの改造による3扉・ロングシートの2代目5000系瀬戸線4000系と続いている。
これに対し、同地域の東海旅客鉄道(JR東海)は、東海道本線用の211系(3扉・近郊形)のロングシート車も御殿場線に転属させ、中央西線に残っていた103系を淘汰した後は、名古屋周辺に新製配置される車両は311系キハ25形など全て3扉の転換クロスシート車のみで、前述のとおり純然たる通勤形は含まれておらず、かつての名鉄のお株を奪った感がある。

標準設計への移行[編集]

通勤・近郊用車両では、2000年頃からの動向としては、JR東日本の209系の後継車種であるE231系か車両メーカーの標準設計を基にした車両を導入するケースが増えている。大都市周辺の主要鉄道事業者での基となる設計を大きく分けると次のようになる。

陳腐化への対処[編集]

日々過酷な運用をこなす通勤形電車では、30年程度使用した後に新車と置き換え廃車するのが一般的であるが、事業者のコストに対する考え方は様々である。

新技術搭載の新車導入により運行コストを下げる場合には、廃車が選択されることになる。廃車後はほとんどが解体されるが、新車導入の体力のない地方中小事業者へ譲渡されるケースも見られ、東急5000系7000系、京王5000系3000系は多くの車両が中小私鉄に移って活躍している。国鉄・JRでも101系秩父鉄道へ譲渡するなど数例がある。また、京急1000形(初代)営団5000系のように相互乗り入れを行なっている路線では乗り入れ相手先に譲渡やリースによって移籍するケースもある。

最近では日本国外への譲渡も増えており、営団500形名古屋市交通局300形1200形アルゼンチンブエノスアイレス地下鉄(メトロビアスS.A.)に売却した。インドネシア国鉄へは、東京都交通局6000形やJR東日本の103系などが無償譲渡されている[注 7]

しかし、車両を長期間使用することで導入コストを下げる場合、リニューアルにより30年以上使用される車両も存在する。

大規模な車両リニューアルの例としては、就役後約20年を経過した1986年より開始された、東武8000系の車体修繕が挙げられる。屋根の防水性向上と塗装総剥離の上、腐食部分の張り替え・車内化粧板の変更・床材の変更、そして後には前面形状の変更・表示器のLED化・HIDライト化などが実施された。2008年頃までに在籍する約700両全ての修繕が完了した。

JR西日本でも103系に対してリニューアル改造が進められている。屋根の張り上げ、一部外板のステンレス化、窓の半1枚化と窓枠の取り替えなど根本的な延命が図られた他、座席モケットを207系と同様のものに交換したり、冷房ダクトや貫通扉が新品に交換された。JR東日本でも、4連1本のみだが仙石線用の103系に窓枠の交換・座席のバケットシート化・トイレの設置・パンタグラフのシングルアーム式への交換などの工事が行われた。

その他、私鉄では阪急5000系7000系7300系阪神8000系京成3500形西武2000系東武9000系などが大規模なリニューアルを受けている。その内、阪急5000系は全車完了したが、京成3500形は途中で中止している。

特殊な例としては東急が7000系を、大阪市交通局が10系を、JR東日本が205系の一部を、京王電鉄が7000系を、南海電気鉄道が6200系VVVFインバータ制御に改造した事例がある。しかし、駆動装置を更新する例は他には旧営団で千代田線6000系や有楽町線7000系のVVVFインバータ制御化改造が、大阪市交通局が20系および新20系70系のVVVFインバータ装置のIGBT化がある程度で日本では少ないが、大阪市交通局20系は全車完了している。ちなみに、東急7000系が7700系にインバータ制御化改造された当時、車体は新製時と比べほとんど劣化しておらず、ステンレス車の有効性を世に知らしめることとなった。

日本国外の通勤形車両[編集]

韓国[編集]

韓国においては電車では日本のJRと同じく20m級4ドアの通勤形車両が主流である。

台湾[編集]

台湾の普通列車は電化後も長らく客車が使われていたが、1990年に2ドアながらロングシートとしたEMU400形を導入した。4両編成を基本とし、中間車にはトイレを備える。EMU500形では3ドアとなり、後継車両であるEMU600形にも受け継がれた。区間快車(日本の快速列車に相当)用のEMU700形では8両編成を基本とし、車内もセミクロスシートとなっている。

欧州[編集]

欧州では通勤は着席を基本としているため、2階建車両が主流である。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 国鉄の現場では「一般形客車」「在来形客車」と呼称され、鉄道ファンにも浸透していたが、岡田誠一は旧型客車が製造された時代の規程では存在しない正式な呼称ではないことを言及している[3][4]
  2. ^ それらは車内こそオールロングシートに改造されたものの、和田岬線用に改造された車両を除いては扉の増設や拡幅などは一切行われなかった。
  3. ^ なお、近鉄では特急形車両と団体用車両を除く車両(料金不要列車に充当される車両)は一般車両にカテゴライズしている。
  4. ^ 当時の大手私鉄の新鋭通勤形車では、すでにステンレス車体アルミ車体回生ブレーキが当たり前となっていた。
  5. ^ これは連結面間の値で、車体のみは19.3mと一般的な20m車の19.5mに比べ短い。これは急曲線に対応して隣接する車両との間隔を広く取っているためで、名古屋市交3000系も同寸。
  6. ^ 一方名古屋市交3000系は、アコモデーションはごく一般的な通勤車のそれであったが、軽量なセミステンレス車体にトンネル内の温度上昇を抑える回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御という、最新地下鉄用車両として真っ当な設計であった。
  7. ^ その他の鉄道車両ではキハ58系も廃車後にJR東日本からサハリンJR西日本からタイ国鉄とミャンマーへ、名古屋鉄道が廃線になった三河線に在籍していた気動車をミャンマー国鉄へ譲渡された。

出典[編集]

  1. ^ a b 電気車研究会鉄道ピクトリアル』No.889 p.49
  2. ^ JTBパブリッシング 石井幸孝『キハ47物語』 p.36 - 37
  3. ^ ネコ・パブリッシング『Rail Magazine』No.336 p.9
  4. ^ JTBパブリッシング 岡田誠一『国鉄鋼製客車Ⅰ』 p.239
  5. ^ 誠文堂新光社 岡田直明・谷雅夫『新版 国鉄客車・貨車ガイドブック』 p.28、p.48
  6. ^ ネコ・パブリッシング『JR全車輌ハンドブック2009』 p.15
  7. ^ 成山堂書店 佐藤芳彦『世界の通勤電車ガイド』p.109
  8. ^ データで見るJR西日本 - 西日本旅客鉄道 p.111
  9. ^ 6000系|名古屋鉄道
  10. ^ PHP研究所『名古屋鉄道のひみつ』p.120
  11. ^ 交通新聞社鉄道ダイヤ情報』No.354 p.38
  12. ^ 近畿日本鉄道|鉄路の名優 5800系
  13. ^ 交通新聞社『鉄道ダイヤ情報』No.295 p. 29-30
  14. ^ JR東日本:車両図鑑>在来線 107系
  15. ^ JR東日本:車両図鑑>在来線 701系
  16. ^ JR東日本:車両図鑑>在来線 E127系

参考文献[編集]

  • 成山堂書店 佐藤芳彦 『世界の通勤電車ガイド』ISBN 4425924517
  • 東京堂出版 梅原淳『鉄道・車両の謎と不思議』(2001年) ISBN 9784490204445

関連項目[編集]