近接航空支援

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日本版シュトルモヴィークともいえる存在であった九九式襲撃機
GAU-8で射撃するA-10

近接航空支援英語: Close Air Support, CAS)は、火力支援目的に行われる航空作戦

来歴[編集]

近接航空支援そのものは、空軍力の任務としては古典的なものであるが、航空優勢の獲得競争という本格的な航空戦の開始とともに、その重要性は相対的に低下したものとみなされた。しかし、アメリカ海兵隊海兵隊航空団は、海兵隊の地上部隊の支援が主任務の一つであったことから、近接航空支援任務を依然として重視しており、研究を重ねていた。この結果として開発された攻撃法の一つが急降下爆撃であり、1927年ニカラグアにおけるサンディーノ戦争で実戦投入された。

急降下爆撃法および近接航空支援の運用法は世界各国に影響を与えたが、特にドイツ空軍において影響が大きかった。ドイツ軍は当時、陸軍装甲部隊化を推進していたが、支援火力を提供する砲兵部隊の戦術機動力が不足であることが師団の機動を制約していた。ここで、支援火力を近接航空支援に大きく依存することにより、機甲師団の機動力を大幅に向上させうることから、電撃戦ドクトリンが採択されるに至ったのである。

大祖国戦争にてこのドイツ空軍と対峙したソビエト連邦軍は、シュトゥルモヴィーク(襲撃者)と呼ばれる、重装甲大口径機関砲を装備した近接航空支援を主任務とする攻撃機でドイツの電撃戦戦術に対抗し、成形炸薬弾頭を有するロケット弾を主体とする襲撃戦法でドイツ機甲部隊を打ち破っている。第二次世界大戦後、西側諸国では近接航空支援の任務を対地攻撃用兵装の攻撃機や軽攻撃機が担当し、近接航空支援専用機はほぼ無くなった[1]が、ロシア連邦ではその後もシュトゥルモヴィークと呼ばれる機種区分は存在し続けている。日本陸軍ではシュトゥルモヴィークに相当する任務を行う攻撃機を襲撃機と呼称しており、「軽快な低空運動性・低搭載量・低常用高度・固定機関砲装備・装甲装備」が航空撃滅戦を主任務とする爆撃機との主な違いであった[2]

前線航空管制[編集]

火力支援という性格上、最前線で活動する味方地上部隊との綿密な調整と、攻撃機に対する厳格な統制が必要とされる。これは、射爆撃の効果を最大化するとともに、誤爆を防ぐためのものである。

アメリカ空軍の場合、戦術航空統制センター(TACC)が統制中枢とされ、この隷下に、各地上部隊に随伴する戦術航空統制班(TACP)および観測機に搭乗した統合末端攻撃統制官(JTAC)が前線航空管制業務を実施する。TACPには、必ず一人の統合末端攻撃統制官が含まれるほか、場合により、空軍との連絡将校である航空連絡官(ALO)も加わることになる。これらの手法は、多くが砲兵間接射撃から導入されたものであり、FACは砲兵の観測班(FO)に、TACCは射撃指揮センター(FDC)に相当する。

攻撃機に対する管制は、具体的な進入経路の指示のほか、発煙弾レーザー目標指示装置により攻撃目標をマーキングしたり、地理座標系に基づく座標データを伝達することによっても行われる。

火力投射[編集]

近接航空支援による火力投射は、砲兵による支援射撃と同じカテゴリに属するが、投射可能な火力の量と持続可能な時間において異なっている。すなわち、近接航空支援は、任意の場所に大火力を瞬間的に投射できる一方、特定の場所への持続的な火力投射には不向きという特性を有している。

使用される機体は状況によって様々である。攻撃ヘリコプターは、もっとも手軽な近接航空支援火力であり、また、多くの国では陸軍の管轄であることから、地上部隊との連携にも優れるが、対空兵器に対して脆弱であるという欠点がある。

固定翼機の場合、通常は小回りがきく小型の戦闘機攻撃機であることが多い。速度は必ずしも必要とはされず、A-10Su-25のように近接航空支援を主目的とする機体では速度よりもペイロードと防御装甲が重視されている。現在では誘導兵器の発達により、B-52などの大型機で支援を行うことも可能になってきている。直接の火力投射としては爆弾ロケット弾空対地ミサイルが使用されるが、小型機の場合は機銃掃射も行われる。

脚注[編集]

  1. ^ 青木謙知『ミリタリー選書1現代軍用機入門(軍用機知識の基礎から応用まで)』イカロス出版13頁
  2. ^ 陸軍航空本部第三課 『陸軍航空兵器研究方針ノ件達』 1940年4月、アジア歴史資料センター、Ref:C01005534700

参考文献[編集]

  • 宮本 勲「近接航空支援の今昔」、『航空ファン』第632集、文林堂、2005年8月、 65-68頁。
  • 「99式艦上爆撃機の開発と運用,実績」、『世界の傑作機No.33 99式艦上爆撃機』、文林堂、1992年3月、 14-21頁。

関連項目[編集]