辻芳樹

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つじ よしき

辻 芳樹
生誕 1964年10月(59歳)
日本の旗 日本大阪府
出身校 ロングアイランド大学
職業 料理研究家実業家
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辻 芳樹(つじ よしき、1964年10月 - )は、学校法人辻料理学館理事長辻調理師専門学校校長。辻調グループ代表。一般社団法人全日本・食学会理事[1]

略歴[編集]

1964年大阪府大阪市阿倍野区で生まれる。幼稚園の頃から、父の辻静雄美食学の英才教育を受ける。小学4年生まで大阪市立常盤小学校に通い、5年生の時に暁星小学校へ編入した。11歳でイギリスに渡り、12歳でスコットランドエディンバラのフェティス校に留学。同校は規律や自主性を重んじる名門パブリックスクールで、差別やいじめに喧嘩で反抗しながら、身体を鍛え、ラグビー一軍選手やアジア人初の寮長に選ばれるに至った。静雄から「イギリスに行くか」と尋ねられた時、家族旅行のことだと誤解して喜んでいたが、島流しされたようなものと回想している[2]

アメリカ合衆国のロングアイランド大学を卒業(美術史を専攻)、スコットランドのエディンバラ大学大学院を中退。投資信託ドレイファスコーポレーションに勤務し、1991年、27歳の時に帰国。旧大和銀総合研究所勤務を経て、早世した父の跡を継ぎ、1993年辻調理師専門学校校長、辻調グループ代表に就任する。当時29歳だった芳樹は、ほとんどが自分より年上の職員に遠慮して「最初の5年間は何もしない」と宣言してしまったため、グループに派閥ができ、優秀な人材が去る弊害が起きた。これを反省し、英国仕込みの自主性を重視して学ぶ意欲を引き出す教育に舵を切った[2]

ヨーロッパ、アメリカの食の最前線を調査研究し、その成果をプロの料理人育成に生かしている。

2000年主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)にて首脳晩餐会料理監修。2004年内閣官房長官知的財産戦略本部コンテンツ専門調査委員に就任。

2010年にアメリカで開催された国際料理会議“Worlds of Flavor International Conference & Festival(WOF)”では組織委員を務め、「日本料理における多様性〜伝統と革新〜」について基調講演を行った。

2013年に開催された料理人発掘コンペティション「RED(RYORININ's EMERGING DREAM) U-35」で審査委員長を務めた[3]。「RED U-35」では続く2014年でも審査委員長を務め[4]、2015年~2018年では審査委員を務めた[5][6]

2018年フランス政府国家功労勲章シュヴァリエを受章[7]

2019年、大阪で開かれたG20では、首脳夕食会でエグゼクティヴ・プロデューサーを務めた。

その他にも日本料理アカデミー西日本代表理事や食文化推進懇談会委員、クールジャパン・アンバサダー[8]などを務め、日本の食文化の海外発信にも積極的に取り組んでいる。

人物[編集]

妻の辻(旧姓:松岡)敏子は松岡功千波静の娘で、弟に松岡宏泰松岡修造がいる。

家族[編集]

著書[編集]

  • 『美食のテクノロジー』(文藝春秋)
  • 和食の知られざる世界』(新潮社)
  • 『すごい! 日本の食の底力 新しい料理人像を訪ねて』(光文社新書)

共著[編集]

編著[編集]

  • 『料理の仕事がしたい』(岩波ジュニア新書)

脚注・出典[編集]

  1. ^ 全日本・食学会 組織概要
  2. ^ a b 【My Story】辻調理師専門学校校長 辻芳樹さん/男は闘い紳士になる『日本経済新聞』朝刊2019年6月23日(NIKKEI The STYLE)。
  3. ^ RED U-35 2013”. RED U-35実行委員会. 2021年6月2日閲覧。
  4. ^ RED U-35 2014”. RED U-35実行委員会. 2021年6月2日閲覧。
  5. ^ RED U-35 2015”. RED U-35実行委員会. 2021年6月2日閲覧。
  6. ^ RED U-35 2018”. RED U-35実行委員会. 2021年6月2日閲覧。
  7. ^ 辻芳樹氏が国家功労勲章を受章”. 駐日フランス大使館 (2019年4月3日). 2021年6月2日閲覧。
  8. ^ クールジャパン・アンバサダー一覧”. 内閣府 (2021年1月). 2021年6月2日閲覧。

外部リンク[編集]