軍鶏

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軍鶏
小軍鶏

軍鶏(シャモ)は、闘鶏用、観賞用、食肉用のニワトリの一品種。

本来は江戸期タイからの輸入種と伝えられるが、伝来以来、日本国内で独自の改良育種を施され、1941年昭和16年)「日本に特有な畜養動物」として国の天然記念物に指定された。日本農林規格における鶏の在来種ともされる。

特徴[編集]

本来は闘鶏専用の品種で、そのため「軍鶏」の字が当てられた。オスは非常に闘争心が強い。

三枚冠もしくは胡桃冠で首が長く、頑強な体躯を持つ。羽色は赤笹、白、黒等多様。身体の大きさにより大型種、中型種、小型種に分類されるが、系統はさらに細分化される。

歴史[編集]

シャモの名は、当時のタイの旧名・シャムに由来する。日本には江戸時代初期にタイから伝わったとされるが、正確な時期は不明。闘鶏の隆盛とともに各地で飼育され、多様な系統が生み出された。闘鶏は多く賭博の手段とされたため、賭博が禁止されるとともに闘鶏としての飼育は下火になったが、食味に優れるためそれ以後も飼育は続けられた。現在は各地で食用として飼育されている[1]

シャモから派生した現存鶏は以下の品種が有名[2]

  • 大軍鶏
  • 中軍鶏
  • 小軍鶏
  • 軍鶏
  • 大和軍鶏
  • 金八軍鶏
  • 南京シャモ
  • チビシャモ
  • 八木戸
  • 信州黄金シャモ

品種改良[編集]

闘鶏、食肉、鑑賞目的に品種改良が行われてきた。本来が闘鶏であるためオスはケージの中に縄張りをつくり、どちらかが死ぬまで喧嘩をするため、大規模飼育が難しい。食肉用には気性の穏やかな他の品種との交配種も作られ、金八鶏など品種として定着したものも存在する。また海外に輸出され、アメリカにおいてはレッドコーニッシュ種の原種ともなった。

その他[編集]

主な飼育地は、東京都茨城県千葉県青森県秋田県高知県など。沖縄方言ではタウチーと呼ぶが、台湾でも同じように呼ばれており、昔から台湾(小琉球)と沖縄(大琉球)の間に交流があったことの裏づけとなっている。

闘鶏には気性の激しい個体ほど好まれ、闘鶏で負けた鶏や、闘争心に欠けると判定された鶏は、ただちに殺されて軍鶏鍋にされた。そのため、江戸時代から食用としても知られ、江戸末期には軍鶏鍋が流行したとされる。また、戦いのために発達した軍鶏の腿や胸の筋肉には、ブロイラーにはない肉本来のうまみがあり愛好者が多く、他の地鶏に比べて大型であるために肉量が多い。他の地鶏とシャモを掛け合わせた一代雑種の「おとし」、「しゃもおとし」が軍鶏鍋に使われるようになると、鶏肉の代名詞として定着するようになった。

激しい気性から、気の短い人、けんかっ早い人の喩え、あだ名につかわれる。

しゃも屋 今金」 今金(店主 長谷川てる)は、神田区鍛冶町にあったしゃも鍋、鳥料理の専門店。神田区連雀町にあった金清楼(店主 長谷川清吉)は同系列の割烹店で、家や庭が広く、官吏や学生の客で繁盛した。しゃも鍋の絵あり。「東京の志やも屋といへは今といふ字を必す冠るが定式の如し其元は今金を以て初めとすされとも今金は金清楼となり又神田の今金は廃業して今金の名絶たり」と記載あり。 — 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「しゃも屋 今金」より抜粋[3]

軍鶏に関わる作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 天然記念物でも、飼育や食肉消費は合法
  2. ^ 佐藤優「地鶏の起源と定義」『鶏病研究会報』第47巻第1号、バイオメカニズム学会、2012年12月、1-11頁。 
  3. ^ 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「しゃも屋 今金」国立国会図書館蔵書、2018年2月9日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]