定性的研究

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質的調査 から転送)

定性的研究(ていせいてきけんきゅう、英:qualitative research、あるいは質的調査とも訳される)とは、対象の質的な側面に注目した研究。そこで扱われるデータは定性データと呼ばれる。対象の量的な側面に注目した定量的研究と対を成す概念である。インタビュー観察結果、文書や映像、歴史的記録などの質的データ定性的データ)を得るために、社会学社会心理学文化人類学などで用いられる方法。狭義の調査だけでなく、実験観察インタビューエスノメソドロジー、文書や映像の内容分析 (content analysis)、会話分析、住み込んでの参与観察 (participant observation)、各種のフィールドワークなど、多様な手法を用いた調査方法を指す概念である。社会調査の一種として考えた場合、社会からデータをとるための一つの方法であるが、その意味で多義的であり、社会調査のみではなく純粋な観察なども含む。観察は必ずしも質問をする必要はなく、言葉の通じない幼児などに対しても可能な場合があり、シンボリック相互作用論以来の研究の伝統もある。社会調査は多くの場合、対象者に何らかの質問をすることになる。グラウンデッド・セオリーのように、適切な分析法を作ろうとする研究もある。ただし現状では標準的な分析法は確立されておらず、分析は直感や個人的印象によるため、信頼性や客観性に乏しいとして批判されることも多い。

この手法は、大規模な社会の全体像の把握を目的とする社会調査としては有効ではない。しかし専門家や特徴ある人物、典型的事例に対してインタビューや観察をするなど、先行研究が少ない分野の研究のために、探索的な予備調査をする目的としては有効とされる。また調査対象の人物歴史について詳しく記述し記録を残す目的の研究としてもよく用いられる。ただし、標準的な分析手法は確立されていない。そのため、調査したとしても、調査結果は文章として記述するだけで、直感や印象批評で分析し記述するのみとの批判も存在する。また、巨大な社会のごく一部しか見ず、社会の中の限られた一部分からデータを取るのみに終わってしまう(しかも研究者が行きやすい場所や、調査に応じる時間や余裕のある恵まれた社会階層の人々になりがち)ことが多く、研究において注意が必要な方法である。

目次

[編集] 方法と対象

定性的研究の手法として様々なものが提唱されている。比較的多くの分野で知られているものに、以下のものがある。

一般に、定性的研究は次のような目的に適しているとされることが多い。

  • 先行研究などが乏しく、詳細が不明な対象を扱う研究
  • 一般化が困難な複雑な事象を対象とする研究
  • 対象の複雑性や詳細を明らかにするための研究

定性的研究において取り扱われる質的側面には、具体的には次のようなものがある。

  1. ある集団組織などの構造や歴史
  2. ある行為慣習などの背景にある心理や動機
  3. ある概念理論の論理的構成や一貫性、他の関連概念、理論との異同
  4. 倫理道徳など規範的な意見の価値
  5. さまざまな制度政策の価値
  6. 芸術作品やその批評など審美的な価値


質的研究の重要な利点の一つは、調査対象者(被験者)の生の言葉行動などをデータ化することが可能な点にある。多くの量的な社会調査(統計的社会調査)に用いられる項目は、調査者側の意図的な内容にとどまり易く、用意された項目内に対象者の実態に見合った項目がない限り、実際の対象者の実態を把握することは出来ない。量的な研究は客観的であるといわれることが多いが、調査項目が調査者の一方的な主観に偏っている限り、どんなに統計的な手法を用いて分析を行ったところで、そこから得られる結果は調査者側の主観の結果でしかない。そのため量的な社会調査では、調査項目を操作することで、調査者側が安易に得たい結果を仕向けることが可能である。一方で、同じ量的調査であっても、質的な研究により得られた内容をもとに、作成された調査項目(測定用具、尺度など)による調査は、調査項目自体が対象者側の言葉や行動などにより直接反映されているため、より被験者の実際に近い結果を得ることができるという考え方もある。ただし、質的研究であっても、質問内容自体が調査者の主観に左右される。また、対象者が自分の本音を語る場合だけではなく、むしろ調査者の意図に沿って答えたり、本音を言わないことも多いし、回答内容を研究者側が誤解することも多い。被験者自身が無意識のうちに、自分の記憶を都合良く再構成(再構築)していることも、実際には非常に多いため、質的研究だからといって調査対象者の本音を引き出しているわけではないため、十分な注意が必要である。また生の言葉を記述するといっても、雑多な情報を単に記述しただけでは、分析した結果としての研究成果ではないことにも注意しなくてはならない。

定性的研究は非常に多くの分野で多用されているが、その中には次のような分野が含まれる。

[編集] 分析手法

質的調査のメリットとして、この方法により問を立て、あたりまえとされる常識に疑問を持つことのおもしろさが主張されることがある。しかし、問を立てるだけで、分析して成果を出すところまで到達しない、的確な分析法が確立されていない、調査結果は文章として記述するだけで、結局のところ、直感印象批評で分析した結果を記述したのみである、などの批判も存在する。多くの質的調査経験者の指摘でも、調査中は楽しくても、調査結果をまとめる段階において、そもそもの研究目的や研究成果として何を書くべきか、研究者自身が迷い分からなくなることがあり、論文としてまとめるのが困難なことが多いという意見はしばしば見られるし、安易に行える方法ではない。

一般的に、質的調査においては、調査法と分析法が分離されていないものが多い。つまり、データを取ることはできても、データを分析するための分析手法は確立されていない、とする批判があることは否定できない。調査はデータを取ること、分析は取ったデータを処理することであり、漁師と料理人が違うのと同様、これらは本来は別々のことである。統計的社会調査において、豊富な分析法が社会統計学の分野で作られてきた。しかし質的調査においては、標準的な分析法が確立されているわけではない。調査法と分析法を分離し、標準的な分析法を作ろうという努力もあるのだが、多くはデータのコード化やデータ整理の工夫である。これは、統計的調査におけるコーディングやデータファイル作成法であり、分析法ではない(以下の、安田・原や、原・海野による文献を参照)。

グラウンデッド・セオリーのような方法は、データをとった上で、データに立脚して仮説や理論を構築することを目指している。これは単に個人的印象でなく、データに基づいた確信に近いものを得ることを重要視する研究法である。この手法の特徴は、得られたデータを文章化して特徴的な単語などをコード化しデータを作ることである。その上で、コードを分類し分析することになる。ただ、得られたデータが少数でもそれはやむを得ないこととしてしまっており、限界があることも否定できない。

その一方、エスノメソドロジー研究や生活史研究ライフコース研究、あるいはフィールドワーク研究は、記述を重視するが、結果の分類や一般化や理論構築に否定的な傾向がある。これは何らかの方法で事実を「記述」しデータを残すことを重視する立場である。つまり質的調査と言われる方法も、分析せず人間や社会について記録を残す(データを作成する)ことのみを重視する立場と、調査結果を分析し研究成果をまとめることを重視する立場(分析の結果として理論構築を目的とする)と、大きく2つの立場に分かれていると言える。またラディカル構築主義のように、分析すること自体を否定する動きもあるが、これは主流派とは言えない。社会構築主義の立場から、分析する行為にそもそも意味がないとする立場もあるが、分析して研究成果を出さないならば、研究としての存在意義がないとする立場が多い。

[編集] 研究対象の問題

研究対象は、研究者と何らかの形でつてやコネがあった人、あるいは、たまたま研究に協力してくれた人となる。そのため、社会全体の中の、ごく一部の人を対象としており、偏ったデータをもとに研究となってしまうことが指摘される。以下の盛山和夫の文献(p.14)では、人類学的な調査とは、白人中産階級の研究者による、非白人や労働者階級下層社会の研究、という批判があり、これは多くの社会調査にも当てはまるとしている。ほとんどの場合、研究者に協力する時間があるような生活に余裕がある社会階層の人や、大学と関係がある人が研究対象となることが多く、得られたデータに偏りが大きい。

また多くの場合、データが数人のインタビュー結果か、せいぜい数十人の観察結果など、少数事例しかないことも事実である。グラウンデッド・セオリーのような方法でデータをコード化し分類したとしても、もともとデータが少数しかないため分類困難であり、的確な分類や分析にはつながらないという批判がある。偏った少数事例という限界が常に存在することに注意すべきであり、短時間の調査では研究成果が出ないことも覚悟しなくてはならない。研究者が数十年かけても適切なデータを得られず成果が出ないこともありうるのであり、リスクのある手法である。安易にこの手法に取り組むことはできないし、短時間の手軽な調査を行い結果を示すことは危険でもある。

教育社会学における学校内の教室観察や、病院患者へのインタビュー、看護学福祉学などにおいて、この手法がよく用いられる傾向があるが、これは、子供病人は均質であり、どの人にインタビューしても結果は同じではないかという、何らかの形の、暗黙の前提があるためである。つまり均質な行為者像という、研究の前提条件がある。しかし日本以外では、社会的地位が低い人ほど平均寿命が短く病気になりやすかったり、成績が悪くなることが非常によく知られているため、一部の人を対象として調査を行うことには批判が強い。そのためアメリカ社会学などでは、現在ではこの手法は必ずしも盛んではない。

また、研究者が一、二度会っただけの相手が、本音を十分に話してくれるわけではない。以下の盛山の文献では、調査対象者にからかわれたか、嘘をきかされて、研究結果としてまったくの勘違いを論文に書いてしまった例について述べている。対象者の本音や、ある地域の本当の実情などについて、真実を知りたければ、数年以上など長期間かけて、相手の信頼を得なくてはならない。

[編集] 分析手法の問題と手法の限界

調査手法はいくつかのものが提案されているが、多くは単に、事実を詳しく記述をしようという方針を示すのみである。実際の調査法は、個人的体験をなるべく多くして、文章を多く書くということのみとなってしまうという批判が存在する。また、調査法だけでなく、確立した分析法はないため、分析結果の分類や解釈は、研究者個人の主観や性格に依存することも問題点とされる。また、結果の一般化が困難であり理論や法則の発見につながらないことが批判される。その他、明らかな誤解や、不適切な解釈、恣意的な結論ができる余地が大きく、研究結果として誤解をまき散らすことになり学問への負の貢献となれば有害であるともされる。以下の盛山の文献 (p.13) では、質的調査の結果として誤解や間違い、また、現地住民など対象者に、からかわれたりだまされた例が指摘されている。しかし、どのみち分析手法はないのだから、個人的印象を記述するしかない、という立場の研究者も少なからず存在することも事実である。

この手法では対象は限られている上、調査対象の把握は研究者の主観に依存するため、社会の全体像を把握した研究とは言えないが、対象の人物や生活史、あるいは歴史について、詳細を多面的に記述することこそが全体像の把握だと主張する研究者も一部に存在し論争となっている。ただし、探索的な調査と理論構築の往復は、理論と実証の往復の一つの形であり、重要な方法である。だがこの手法では、研究者自身の誤解や勘違い、また研究対象の偏りについて、常に注意する必要がある。分析手法の大きな原則は、研究者による誤解や勘違いの排除であり、的確な分析結果を得るために努力することが極めて重要である。

[編集] 定性的研究と定量的研究

定性的研究は、定量的研究と比べて科学的でない、と評される場合がある。比較的よく見られる定性的研究への批判には以下のようなものがある。

  1. 古典や理論などを解釈し続けるばかりで実用性、応用性、実証性に欠ける。
  2. 研究対象となる異文化などに研究者自ら参加してしまうため、客観性があるかどうかが疑わしい(参与観察など)。
  3. 研究者自身の経験を題材にしており客観性があるかどうかが疑わしい(アクション・リサーチなど)。
  4. 客観的な研究が望める事実判断だけに研究を限定せず、善悪や美醜をめぐる価値判断も扱っている。
  5. 言語身振り表情の意味の解釈などを含んでおり、判断の恣意性、主観性が高い。
  6. 研究を通じて特定の価値判断や物の見方を広めようとしており、中立性を欠く(文化研究など)。
  7. 結論に辿り着くプロセスとして、仮説の選定、調査のデザイン、データ収集、分析、結論という順序に従っていない。このため、他の研究者が同じ研究を行っていた場合には結論が異なっていたのではないかと疑われる(グラウンデッド・セオリーなど)。
  8. 研究を発表するスタイルとして、事前に採択した仮説、調査のデザイン、分析結果、解釈、結論という体裁をとっておらず、結論が主張され、それを支持する証拠や主な反証に対する反駁が示されるという形をとる。この場合、調査のデザインや分析結果が示されている体裁をとっている場合と比べて、結論を出す際の元になったデータの全容が第三者にはわかりづらい。結論に説得力を持たせるために切り捨てている部分などがあったとしても、第三者はそれに気づかない可能性が高い。

これに対して、定性的研究に従事する者や定性的研究を擁護する立場からの反論や、定量的研究に対する批判も数多く存在している。これらの意見は、認識論的な前提や研究者の社会的役割についての考え方が多様であり、簡単にまとめることが難しいが、以下のようなものが含まれる。

  1. 理論研究や古典の研究は、他の研究者への影響や学生への教育などを通じて一定の貢献を果たしている。
  2. 研究対象が未知であったり、複雑であったりする場合には、定量的研究では適切に扱うことができない。
  3. 要素還元主義的な学問には限界があり、複雑な物事に関する総合的判断を行うためには恣意性とつきあっていかなければならない。
  4. 定量的研究にも、研究者が意識していないだけで様々な恣意性がある。定量研究ではそれらを意識化し、考察の対象にしていないために、かえってそうした恣意性に束縛されやすい面もある。
  5. 研究対象に対する恣意的な解釈が研究からどうしても除外できない場合があるので、その場合には恣意性との付合い方を考えるべきで、恣意性の徹底排除だけが望ましいアプローチではない。
  6. 価値判断を徹底して控えることは、研究者が既存の価値観に対して無批判になることであり、倫理的に望ましいこととは言えない。
  7. 積極的に行うか否かに関わらず、学術出版物は社会的影響を持ってしまうので、出版の結果について考えないことは社会的責任の放棄にあたる。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 参考文献

  • 盛山和夫.2004.『社会調査法入門』有斐閣.
  • 原純輔・海野道郎.2004.『社会調査演習 第2版』東京大学出版会.
  • 今田高俊編.2000.『社会学研究法 -リアリティの捉え方』有斐閣 ISBN 978-4641121157.
  • 木村邦博.2006.『日常生活のクリティカル・シンキング』河出書房新社.
  • 北澤毅・古賀正義編. 1997. 『社会を読み解く技法 -質的調査法への招待』 福村出版.
  • 大谷信介他編.2005.『社会調査へのアプローチ 第2版』ミネルヴァ書房.
  • 佐藤郁哉.2002.『組織と経営について知るための実践フィールドワーク入門』有斐閣.
  • 鹿又伸夫・長谷川計二・野宮大志郎.2001.『質的比較分析』ミネルヴァ書房 ISBN 978-4623034741.
  • 鈴木裕久.2006.『臨床心理研究のための質的方法概説』創風社.
  • Flick, Uwe, 1995, Qualitative Forschung, Rowohlt Taschenbuch Verlag GmbH, Reinbek bei Hamburg
  • 小田博志・春日常・山本則子・宮地尚子訳、2002『質的研究入門―「人間の科学」のための方法論』、春秋社 ISBN 978-4393499092
  • Gary King, Robert O. Keohane, Sidney Verba. 1994 =真渕勝監訳.2004.『 社会科学のリサーチ・デザイン―定性的研究における科学的推論』勁草書房 ISBN 978-4326301508.
  • 戈木クレイグヒル滋子.2006.『グラウンデッド・セオリー・アプローチ ―理論を生みだすまで』新曜社 ISBN 978-4788509917.
  • 安田三郎・原純輔.1982.『社会調査ハンドブック(第3版)』有斐閣.
  • Robert K. Yin, 近藤 公彦訳.『ケース・スタディの方法 (第2版)』千倉書房 ISBN 978-4805107324.