賈島

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賈 島(か とう、779年大暦14年) - 843年中和4年))は中国代の詩人。は浪仙、または閬仙。

略伝と逸話[編集]

范陽河北省涿州市)の人。はじめ進士の試験に失敗して、僧となり法号を無本と称した。後に洛陽に出て文を韓愈に学び、その才学を認められ還俗して進士に挙げられた。835年に長江県(四川省)の主簿となり、841年普州司倉参事となり司戸に赴任するところ、命を受けないうちに牛肉を食べすぎて没したという。享年65。

進士の試験を韓愈に薦められて一度は落ち、「宰相が憎んでいるせいだ」と他人にそそのかされて腹を立て、ちょうど新居を建てたばかりの宰相・裴度にあてて詩を作り、「千家を破却して一池を作る、桃李を栽えずして薔薇を種う、薔薇花落ち秋風の後、荊棘満庭君始めて知らん」と誹謗したことがある。これは不評であり、賈島がなかなか出世しない理由となったという。

賈島は苦吟をもって名高く、「李欵の幽居に題す」中の一句で僧は敲くがいいか、僧は推すがよいかと悩みながら歩いているうちに(一説には驢馬に乗っていた、とある)韓愈の行列に突き当たり、賈島が悩みを打ち明けて相談したところ、韓愈は「それはもちろん、僧は敲く、が良い」と言下に答え、それから賈島は韓愈の門下に入ったという話がある。これが「推敲」の故事である。

「獨行潭底影、數息樹影身」の二句を3年かけて練り上げ、自ら注して「一吟双涙流る、知音もし賞せずんば、帰りて故山の秋に臥せん」という。小杉放庵は、「我が事について、ことさら重大に考える癖のある人」と評している。一方、唐代の李洞のように賈島の詩を慕い、ついに賈島の銅像(賈島仏)まで造って仕えた人もいる。

詩風[編集]

宋代の蘇軾の評に「郊寒、島痩」(郊は孟郊で、島は賈島)という語がある。特に五言律詩に長じた。 著書に『長江集』10巻がある。

題李欵幽居
閑居少鄰竝 閑居隣並少なく
草径入荒園 草径荒園に入る
鳥宿池中樹 鳥は宿る 池中の樹
僧敲月下門 僧は敲く 月下の門
過橋分野色 橋を過ぎて野色を分かち
移石動雲根 石を移して雲根を動かす
暫去還來此 暫く去って還た此に来たる
幽期不負言 幽期 言に負(そむ)かず


渡桑乾
客舍并州已十霜 并州に客舍し 已に十霜
歸心日夜憶咸陽 歸心日夜 咸陽を憶う
無端更渡桑乾水 端無くも更に渡る 桑乾の水
卻望并州是故鄕 卻って并州を望めば 是れ故鄕


尋隠者不遇
松下問童子 松下童子に問う
言師採藥去 言う 師は薬を採りに去る
只在此山中 只だ此の山中に在り
雲深不知處 雲深くして處を知らず

関連項目[編集]