谷応泰

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谷 応泰(こく おうたい、1620年 - 1690年)は、中国明末清初中国史家。は賡虞、号は霖蒼。順天府薊州豊潤県の出身。

生涯[編集]

博聞強記で知られ、順治4年(1647年)に進士となり、戸部郎中に任命される。ついで員外郎に移り順治13年(1656年)には浙江提学僉事となる。西湖に滞在中袁枢の『通鑑紀事本末』の例に従い、『明史紀事本末』を編述し始め順治15年(1658年)には大略を完成する。総合通史としては、後の『明史』に比べて80年も早い出版となる。順治17年(1660年)、御史の黄文驥により書中の記載に疑義があると指弾を受け、朝廷の査閲を経たその箇所は後に『四庫全書』に採用された。

他の著作[編集]

  • 『築益堂集』
  • 『明史紀事本末補遺』

参考文献[編集]

  • 『清史』列伝70
  • 李桓 撰『国朝耆献類徴』巻206
  • 徐世昌 撰『大清畿輔先哲伝』