許 (姓)

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(きょ)は、漢姓のひとつ。

中国の姓[編集]

各種表記
繁体字
簡体字
拼音
発音転記: シュウ
ラテン字 Hsu
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来源[編集]

許氏古墓[編集]

  • 許由墓
  • 許氏始祖墓
  • 位於:河南登封萁山

堂号[編集]

  • 洗耳堂
  • 得仁堂
  • 訓诂堂
  • 魯斎堂
  • 賜恩堂

郡望[編集]

灯号[編集]

著名な人物[編集]

歴史上の人物
  • 許慎 - 後漢の儒学者・文字学者。
  • 許劭 - 後漢末期の人物批評家。
  • 許褚 - 後漢末期~三国時代魏の武将。
  • 許崇智 - 中華民国の軍人。
香港
台湾

朝鮮の姓[編集]

各種表記
ハングル
漢字
発音:
日本語読み: きょ
英語表記: Heo, Hŏ, Hur, Huh, Her, Hu, Ho, Hoh, Heoh
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(きょ、ホ、: )は、朝鮮人の姓英語版の一つである。2000年の国勢調査による韓国内での人口は

著名な人物[編集]

氏族[編集]

許氏の淵源は遠く駕洛国金首露王許黄玉に遡る。許皇后は本来インドの阿踰陀国の王女だったが、船に乗って今の慶南鎮海市運動沖合に至り、首露王の妻になったという。

許黄玉は息子10人を生み、長男登は金海金氏となり、二人の息子は許氏を賜姓し、残りの七人の息子は仏家に帰依して、河東七仏(慶南河東に七仏寺がある)となった。つまり金海金氏は父姓、許氏は母姓をそれぞれ受け継いだため、現在でも相婚を避ける。

許氏は駕洛国新羅に敗れて、各地方に散らばった。その中の陽川許氏の詩調である許宣文は今のソウル市陽川区である孔岩村に腰を据え定住して、農業を営み、高麗太祖後百済甄萱を征伐する時軍糧を補給した功労で孔岩村を食邑とする下賜を受けて村主になったという伝説がある。

高麗中期に王室の外戚で勢力をふるった李子淵李資謙など仁川李氏も元々は許氏だったが, 高麗時代に邵城伯(邵城は現在の仁川)であった許謙が、唐に使臣に行き、皇帝から姓を下賜され、李氏となった。つまり金海金氏から許氏が、許氏から仁川李氏が輩出されたということで、これら3姓は駕洛宗親会を中心に血族としての紐帯を緊密に結んでいる。

許氏は朝鮮時代文科及第者122人、相臣6人を輩出した。

氏族(地域) 創始者 割合 (%) (2000年)
金海許氏韓国語版
陽川許氏韓国語版
泰仁許氏
河陽許氏
咸昌許氏
水原許氏
梁州許氏
孔岩許氏

人口と割合[編集]

年度 人口 世帯数 順位 割合
1960年   2万8685世帯  258姓29位
1985年 26万4228人  6万3037世帯  274姓中29位
2000年 30万448人   

出典[編集]

ベトナムの姓[編集]

各種表記
クォック・グー Hứa
漢字チュノム
北部発音: ファー
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許(クォック・グー:Hứa)は、ベトナムの姓の一つ。

関連項目[編集]