許世楷
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許 世楷(こー・せかい、Koh Sekai、1934年7月7日 - )は台湾人の法学者、台北駐日経済文化代表処代表、津田塾大学名誉教授、台湾亜東関係協会理事。台湾独立運動の中心的人物の1人。夫人の盧千恵とは日本留学中に知り合い、ともに台湾独立運動に関わってきた。
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人物
台湾彰化市生まれ。郷紳・名望家階級出身。父親の許乃邦は京都帝国大学法学部、東京帝国大学経済学部で学んだ法律家、母親は東京女子医学専門学校卒の医者。祖父の許嘉種は台湾文化協会調査部長時代に台湾議会設置運動を行い日本警察に逮捕拘留、伯父の許乃昌は陳独秀の推薦をうけソビエト連邦モスクワ中山大学で学んだ台湾でも相当有名な左派の政治運動家というサラブレッドの家系。1947年の二・二八事件では上記、祖父、父、伯父が左翼分子として国民党から指名手配されている。
1957年に国立台湾大学卒業後、日本に留学し早稲田大学、東京大学で学ぶ。その後、津田塾大学で助教授、教授として約30年の教員生活を送った。
一方、日本留学直後から台湾独立運動・台湾青年社に身を投じ機関紙「台湾青年」にペンネーム十心、高見信、で数多くの論文を執筆したため、台湾政府により旅券は剥奪、在外反政府分子としてブラックリストにその名が掲載された結果、約30年の間、日本で事実上の亡命生活を余儀なくされる。1989年には台湾の月刊誌『自由時代』に、「台湾共和国憲法草案」を寄稿。このため同誌は発禁処分を受け、発行人の鄭南榕(てい・なんよう)は反乱罪に問われるも、連行される事を拒否して抗議の焼身自殺を遂げるという事態に発展した。
1992年の台湾民主化によりブラックリストが解除となり帰国。台湾文化学院院長、台湾建国党主席に就任。民進党政権が誕生すると、呂秀蓮副総統の求め応じて台湾総統府人権諮問小組の召集人(委員長)および呂副総統主宰の「台湾心会」台中分会々長に就任。
1995年立法院(日本の国会に相当)選挙に出馬するも大敗。1998年また落選。2004年7月5日に、台湾の駐日代表である台北駐日経済文化代表処代表に就任した。
台湾駐日代表就任以降の主な活動
日本政府に対して、台湾人観光客の査証(ビザ)免除を求め、各方面に働きかけていたが、2005年の愛知万博を機に、観光目的の台湾人の短期滞在(90日以内)の場合、万博開催中(3月25日~9月25日)限定ながら査証を免除する法案が、2005年2月9日国会を通過した。続いて2005年8月5日には、「出入国管理及び難民認定法の特例法案」が国会で成立(8月15日公布)、台湾人観光客の査証免除の恒久化が実現した。
日本に対するスタンスの変遷
許は日本での第一作に見られるように大日本帝国による台湾統治に批判的な研究を行う一方、反共リベラルな立場から台湾の民主化・独立を志向していた。この頃のサンケイ新聞や岸信介に代表される自民党右派などは中華民国・国民党・蒋介石政権と親密な関係にあり、岸以降の自民党政権は台湾民主化運動家の強制送還に協力していた(送還されたもの達に待っているのは拷問と投獄)。そのような困難な状況の中で許世楷らは日本の左派からの支援を期待していたが、朝日新聞が中国共産党・中華人民共和国支持を明確に打ち出したことにより、中華民国と中華人民共和国との狭間で「台湾人」が見捨てられることの危機感から1971年「「朝日新聞」への質問状-台湾人を犠牲にするのか-」を執筆する。これ以降在日台湾独立運動は日本の左右両派を敵対すことになる。1990年代に台湾の民主化が達成されると、台湾の独立を認めない中国共産党と対抗するため、台湾民主化運動家を認めていなかった日本の保守勢力に急接近し、現在は意識的に大日本帝国による台湾統治の負の側面には言及しなくなっている。一方、2003年、台湾の民主化に貢献した外国人を招待した催しで、台湾人の人権問題にとりくんだ大野正男、大島孝一等に対し感謝の意を述べている。
著作
(単行本)
- 許世楷 『日本統治下の台湾 : 抵抗と弾圧』 東京大学出版会 1972年。
- 許世楷、原彬久、南塚信吾(編著)『国際関係論基礎研究』福村出版、1976年。
- 許世楷、盧千惠 『台湾は台湾人の国 -天になるごとく、地にもなさせたまえ-』はまの出版、2005年。
(論文・エッセイ)
- 「台北駐日経済文化代表処代表 許世楷 もっと台日交流を身近なものに! 例えば、昔は台北と与那国島は自由に人々が行き来していた」『財界』 55(11)(通号1385)2004年、58~61ページ。
- 「台湾共和国誕生の日は近い」『中央公論』 108(5)、1993年、162~169ページ。
- 「台湾独立党 祖国に還る」『文芸春秋』 71(1)、1993年、364~374ページ。
- 「 「朝日新聞」への質問状-台湾人を犠牲にするのか-」『自由』13(5)、1971年 、53~54ページ。
(書評・文献紹介)
- 「「台湾統治と阿片問題」劉明修著」『史学雑誌』93(4)、1984年、521~527ページ。

