訓詁学

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論語』の注釈書『論語集解』。画像中央の小さい文字(割注)で書かれた「慍怒也」が訓詁の典型例。

訓詁学(くんこがく)または訓詁とは、主に儒学の下位分野で、儒教の経典(経書)に出てくる難解な語句の意味解釈説明する行為をさす。具体的には、経典の注釈書を著したり、経典の言語(古代漢語)の辞書を編纂したりする行為をさす。

概要[編集]

訓詁という行為は、古代の言語を解釈することである。もともとは「訓」や「詁」「故」とだけ使われていたが、後に「訓詁」「訓故」「詁訓」「故訓」などと使われた。日本語漢字訓読みの「訓」もこれに由来する。

典型的には「A、B也」「A者B也」(AとはBという意味である)という形をとる。また一致する音声で解釈を施すものを「声訓」と呼び、古くから行われていた。「徳、得也」「政、正也」「仁、人也」といったものである。

後漢古文学において特に発展し、から魏晋南北朝時代初において隆盛したので漢唐訓詁学の名がある。漢唐訓詁学は宋明理学と対比される[1]。宋明理学においても解釈は行われたが、漢唐までと異なり、単なる解釈でなく独自の思想体系に当てはめて解釈していた。清代考証学は、そのような宋明理学を否定して、漢唐訓詁学の復興を目指した。

訓詁学は経学小学の下位野にあたる。

注釈書[編集]

訓詁は主に経書の注釈書注疏)を執筆する形で行われた。主な注釈書には『五経正義』『十三経注疏』といったものがある。

辞書[編集]

訓詁学の辞書のことを、「訓詁書」「訓詁の書」という。または広義の「字書」ともいう。20世紀の言語学者河野六郎は「義書」という呼称を提唱した[2]。主な訓詁書(義書)として、漢代前後に編纂された『爾雅』『広雅』『方言』『釈名』といったものがある。

清代の考証学においては、これらの訓詁書が重要視され、訓詁書を研究する書物が多数書かれた。その例として、邵晋涵『爾雅正義』、郝懿行『爾雅義疏』、王念孫『広雅疏証』、戴震『方言疏証』、畢沅『釈名疏証』、王先謙『釈名疏証補』がある。

関連項目[編集]

関連文献[編集]

  • 洪誠 著 / 森賀一恵、橋本秀美 共訳『訓詁学講義―中国古語の読み方』アルヒーフ、すずさわ書店、2004年。ISBN 9784795401792 

脚注[編集]

  1. ^ 堀池信夫鄭玄学の展開」『三國志研究』7、三国志学会、2012年。2頁。
  2. ^ 矢羽野隆男「中学校・高等学校国語科教育における漢和辞典活用の指導法(字形・字音) : 新学習指導要領「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」の観点から」『四天王寺大学紀要』54、四天王寺大学、2012年。249頁。

外部リンク[編集]