西義一
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西 義一(にし よしかず、明治11年(1878年)1月1日 - 昭和16年(1941年)4月15日)は、日本陸軍の軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級。
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[編集] 経歴
福島県出身。旧会津藩士・西忠義[1]の長男として生れる。栃木中学校を経て、1898年11月、陸軍士官学校(10期)を卒業し、翌年6月、砲兵少尉任官。1902年12月、陸軍砲工学校高等科を卒業。陸士生徒隊付、第7師団弾薬大隊付を歴任。日露戦争では第2師団後備野砲中隊長として出征した。
1909年12月、陸軍大学校(21期)を卒業し、陸軍野戦砲兵射撃学校教官、野砲第11連隊大隊長、東宮武官、侍従武官、野戦砲兵射撃学校教育部長、欧州出張などを経て、1923年8月、陸軍少将に進級した。野戦重砲兵第3旅団長を勤め、1928年8月、陸軍中将となり、陸軍技術本部総務部長、陸軍野戦砲兵学校長を経て、第8師団長となり、1932年4月から1934年1月まで満州で活動した。東京警備司令官を勤め、1934年11月、陸軍大将となり、東部防衛司令官を兼務した。軍事参議官在任中に、二・二六事件が発生。その後の粛軍人事でも現役として残り教育総監に就任したが、病を得1936年8月、予備役に編入された。
[編集] 親族
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
[編集] 外部リンク
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