西眞一
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| 西 眞一 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | キング | |
| カタカナ | ニシ シンイチ | |
| ラテン文字 | NISHI Shin-ichi | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1973年2月17日(36歳) | |
| 出身地 | 鹿児島県鹿児島市 | |
| 身長 | 178cm | |
| 体重 | 72kg | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | FW | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
西 眞一(にし しんいち、1973年2月17日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。愛称はキング。
目次 |
[編集] 経歴
鹿児島玉龍高校からサッカー選手として注目され、チームとしての全国大会出場は叶わなかったが、同校3年生だった1990年には国民体育大会に鹿児島県選抜チームの一員として参加した。高校卒業後、地元の鹿児島に残って鹿児島経済大学(現在の鹿児島国際大学)に進学し、九州大学サッカーリーグでプレーした。
1995年に大学を卒業した後、Jリーグチームなどへのプロ入りはせずに鹿児島市近郊の姶良町職員に就職して、同時に九州社会人リーグ(Kyuリーグ)所属の鹿児島サッカー教員団に参加してアマチュア選手としての活動を続けた。教員団は同年にヴォルカ鹿児島に改組された。
西は入団初年度からヴォルカの中心選手として活躍し、初年度はリーグ新人王、翌1996年からは7シーズン連続で得点王に輝き、地域リーグを知る全国のサッカーファンに広く知られた。その後も西は得点を重ね、在籍した13シーズンで266得点を挙げ、合計9度得点王となった。266得点は呂比須ワグナーの206得点をしのぎ、日本の公式サッカーリーグにおける最多通算得点記録である。
しかし、日本フットボールリーグ(JFL)昇格やJリーグ参入を掲げたヴォルカの挑戦は実らず、西が9度目の得点王を獲得した2007年もJFL昇格を逃した。このシーズン終了後に西の引退が発表され、全国リーグでのプレーは遂に果たせないままに終わった。なお、天皇杯全日本サッカー選手権大会の決勝大会(全国大会)には3度出場し、2001年の第81回大会ではJリーグ2部(J2)所属のモンテディオ山形を相手にゴールを決めた。
現役引退の発表後、2008年シーズンからはヴォルカのアシスタントコーチを務める事が発表され、同年3月16日に引退試合を行った。[1]今後は後進の指導に当たり、コーチとしてJFL昇格を目指す事を表明している。
- ^ この試合では参加したヴォルカの現役・OB選手約30人が全員「背番号9」と「NISHI」の名前が入った西の特注ユニフォームを着て、その功績を称えた。また、西自身はこの試合(30分ハーフ)で6得点を記録し、自らに花を添えた。
[編集] プレースタイル
身体能力の高さによって強引にゴールを決めるタイプではなく、DFとの駆け引きや周囲の選手の活用などを通じてゴールを決める判断能力の高い選手。
[編集] エピソード
姶良町役場職員として勤務しながら、現役サッカー選手として活躍を続けた。一部のサッカーファンからは「日本一サッカーの上手い公務員」と呼ばれた。
[編集] 所属クラブ
- 1985年-1987年 - 鹿児島市立桜丘中学校
- 1988年-1990年 - 鹿児島玉龍高等学校サッカー部
- 1990年 - 国民体育大会サッカー競技(高校)鹿児島県選抜
- 1991年-1994年 - 鹿児島経済大学サッカー部
- 1995年-2007年 - 鹿児島サッカー教員団/ヴォルカ鹿児島
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995 | 鹿児島 | 九州 | - | - | |||||||
| 1996 | 鹿児島 | 九州 | - | - | |||||||
| 1997 | 鹿児島 | 九州 | - | - | |||||||
| 1998 | 鹿児島 | 九州 | - | - | |||||||
| 1999 | 鹿児島 | 九州 | - | - | |||||||
| 2000 | 鹿児島 | 九州 | - | - | |||||||
| 2001 | 鹿児島 | 九州 | - | 1 | 1 | ||||||
| 2002 | 鹿児島 | 九州 | - | 1 | 0 | ||||||
| 2003 | 鹿児島 | 九州 | - | 1 | 0 | ||||||
| 2004 | 鹿児島 | 九州 | 13 | - | - | 13 | |||||
| 2005 | 鹿児島 | 九州 | 16 | 13 | - | - | 16 | 13 | |||
| 2006 | 鹿児島 | 九州 | 14 | 16 | - | - | 14 | 16 | |||
| 2007 | 鹿児島 | 九州 | 19 | 23 | - | - | 19 | 23 | |||
| 通算 | 日本 | 九州 | 266 | - | 3 | 1 | |||||
| 総通算 | 266 | - | 3 | 1 | |||||||
[編集] 個人タイトル
- 1995年 - 九州社会人リーグ新人王
- 1996年-2002年, 2006年, 2007年 - 九州社会人リーグ得点王
- 2002年 - 九州社会人リーグアシスト王
- 2007年 - 九州社会人リーグ功労賞
[編集] 出場大会
- 1990年 - 国民体育大会(とびうめ国体)
- 1997年 - 全国社会人サッカー選手権大会
- 2001年 - 第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会
- 2002年 - 全国社会人サッカー選手権大会
- 2002年 - 全国地域リーグ決勝大会2002
- 2002年 - 第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会
- 2003年 - 全国社会人サッカー選手権大会
- 2003年 - 全国地域リーグ決勝大会2003
- 2003年 - 第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会
[編集] 関連項目
- 石原大助 - 元ヴァンフォーレ甲府(甲府クラブ)選手。1994年-2001年、山梨県竜王町(現甲斐市)職員であると同時に同クラブのアマチュア契約選手として、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)やJリーグ2部で活躍した。
[編集] 外部リンク
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