西田優香

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獲得メダル
日本の旗 日本
女子 柔道
世界柔道選手権
2010 東京 52kg級
2011 パリ 52kg級
2007 リオデジャネイロ 52kg級
世界団体
2008 東京 52kg級
2011 パリ 52kg級
2007 北京 52kg級
2010 アンタルヤ 52kg級
ワールドマスターズ
2010 水原 52kg級
2011 バクー 52kg級
2012 アルマトイ 52kg級
グランドスラム
2009 リオ 52kg級
2010 モスクワ 52kg級
2010 東京 52kg級
2012 パリ 52kg級
2011 モスクワ 52kg級

西田 優香(にしだ ゆか、1985年12月27日 - )は鹿児島県[1]出身の女子柔道選手。階級は52kg級。身長154cm。得意技は背負投。組み手は左組み。段位は四段。血液型はA型[2]。父親は世界柔道選手権代表経験のある西田孝宏[1]母も日体大柔道部出身の柔道経験者である。

人物[編集]

柔道は5歳の時に始める[2]淑徳中学校に入学後、1年の時には早くも全国中学校柔道大会48kg級で優勝した。2年の時は5位だったが、3年の時には52kg級に階級を上げて2階級制覇を果たした。淑徳高等学校では全国高等学校柔道選手権大会で2連覇を達成した。

淑徳大学に進学後[1]、2004年の世界ジュニアでは優勝を飾った(1976年には父親の西田孝宏も世界ジュニア中量級で優勝しているので、父娘2代で世界ジュニアチャンピオンとなった)。2005年の福岡国際女子柔道選手権大会52kg級で優勝、2007年の全日本選抜柔道体重別選手権大会でも優勝を果たした。

大学卒業後は了徳寺学園職員となった。

同年の世界選手権で銅メダルを獲得し、北京オリンピック代表の最右翼と言われていたが、2008年の代表選考会でまさかの一回戦負けを喫し代表の座を逃した(代表は中村美里)。

2008年の嘉納治五郎杯東京国際柔道大会では決勝で北京オリンピック銅メダリストの中村美里を破り優勝した[3]

2009年に入りグランドスラム・パリは5位タイに終わったがグランドスラム・リオデジャネイロで優勝している。

2010年にはグランドスラム・モスクワで久々の国際大会優勝を果たす。2010年世界選手権では決勝で中村を破り優勝。続くグランドスラム・東京でも決勝で16歳の山本杏を破って優勝を果たした[4]

2011年1月にはワールドマスターズに出場するが、決勝で中村に1本負けして2位に終わる。しかし、2月のグランプリ・デュッセルドルフではオール1本勝ちで優勝を果たす。4月にはアブダビで開催されたアジア選手権に出場して、個人戦と団体戦でともに優勝を飾る。8月の世界選手権では、準決勝までの5試合を背負い投げで全て一本勝ちして順調に勝ち上がるも、決勝では中村相手に先に指導1を取りながら、その後攻め返されて指導2を取られて優勢負けを喫して2連覇はならなかった[5]

2012年1月には ワールドマスターズに出場して、準決勝でアルジェリアのソラヤ・ハダドに小内刈で一本勝ちすると、決勝でも中村に延長戦において背負投で一本勝ちを果たして今大会初優勝を飾った[6]

2月にはグランドスラム・パリに出場して、決勝でモンゴルのムンフバータル・ブンドゥマーから合技で一本勝ちして優勝を果たした[7]

4月には北朝鮮の安琴愛と対戦するためにあえてアジア柔道選手権大会に出場するが、安が出場しなかったために対戦はならなかったものの、3試合オール一本勝ちで優勝を果たした[8]

5月の体重別では、決勝で中村に延長戦に入ってから横四方固で一本負けを喫して、オリンピック代表には選出されなかった[9]

2013年4月の体重別では決勝でコマツの橋本優貴に横四方固で敗れた。 その後左肘の手術を行うために戦線離脱した。

約1年ぶりの復帰戦となった2014年4月の体重別では、決勝で中村を有効で破り5年ぶり3度目の優勝を飾った[10]。11月の講道館杯では決勝で帝京大学3年の志々目愛を合技で破って優勝を飾った[11]。1年9ヶ月ぶりの国際大会出場となったグランプリ・青島では、準決勝でルーマニアのアンドレア・キトゥに反則の対象となる倒れこみの脇固めを仕掛けられたことにより反則勝ちとなるが、決勝は負傷により棄権した[12]

IJF世界ランキングは24ポイント獲得で127位(14/11/17現在)。

戦績[編集]

(48kg級での成績)

(これ以降は全て52kg級での成績)

脚注[編集]

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外部リンク[編集]