西明寺 (甲良町)

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西明寺
Saimyoji Kora Shiga pref12bs4592.jpg
本堂(国宝)
所在地 滋賀県犬上郡甲良町大字池寺26
位置 北緯35度11分2.3秒 東経136度17分3.4秒 / 北緯35.183972度 東経136.284278度 / 35.183972; 136.284278座標: 北緯35度11分2.3秒 東経136度17分3.4秒 / 北緯35.183972度 東経136.284278度 / 35.183972; 136.284278
山号 龍応山
宗派 天台宗
本尊 薬師如来
創建年 (伝)平安時代初期
開基 (伝)三修上人
札所等 湖東三山
西国薬師四十九霊場第三十二番札所
文化財 本堂、三重塔(国宝)
二天門、薬師如来立像ほか(重要文化財)
本坊庭園(名勝)
公式HP 西明寺
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三重塔

西明寺(さいみょうじ)は滋賀県犬上郡甲良町にある天台宗仏教寺院山号を龍応山(りゅうおうざん)と称する。本尊薬師如来開基は三修上人である。金剛輪寺百済寺とともに「湖東三山」の1つに数えられる。西国薬師四十九霊場第三十二番札所。

歴史[編集]

琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。寺伝によれば平安時代初期、三修上人の創建という。三修上人は、修験道の霊山として知られる伊吹山(滋賀・岐阜の県境にある)の開山上人と伝えられる半ば伝説化した行者である。伝承によれば、琵琶湖の西岸にいた三修上人は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。そこで神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていた。三修上人がその池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで祀ったのが寺のはじまりであるという。寺のある場所の地名を「池寺」というのは、この伝説に基づいている。承和3年(836年)には仁明天皇の勅願寺となり、寺領が寄進され、諸堂が建築されたという。「西明寺」の寺号は前述の紫の光が西の方へさしていたことによる。[1]

上述の承和3年建立を立証する史料はない。しかし、現存する本堂、三重塔は鎌倉時代の本格的な建築であり、この頃にはかなりの規模を有していたものと思われる。[2]

元亀2年(1571年)、比叡山延暦寺の焼き討ちを行った織田信長は、近江国にある比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを命じ、西明寺も信長配下の武士によって焼き討ちの運命にあった。しかし、寺僧の機知により、山門近くの房舎を激しく燃やし、全山焼失のように見せかけたため、山奥に位置する本堂や三重塔は焼失をまぬがれたという。この兵火の後は荒廃していたが、徳川家などの庇護を受けて徐々に復興し、近代に至っている。

境内[編集]

湖東三山の他の2寺と同様、総門は西に面し、そこから長い参道を歩いた先に二天門が建つ。二天門を入ると、正面に本堂、右手に三重塔が建つ。参道の途中左側には池泉鑑賞式の庭園をもつ本坊がある。

  • 二天門(重要文化財) - 桁行(間口)3間、梁間(奥行)2間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語。以下の本文においても同様)。入母屋造、杮(こけら)葺きの八脚門。部材の一つである巻斗に応永14年(1407年)の墨書があり、同年の建立とみられる。[3]
  • 本堂(国宝) - 入母屋造、檜皮葺き。鎌倉時代前期の和様建築。中世天台仏堂の代表作として国宝に指定されている。内陣中央の厨子には本尊薬師如来立像(重要文化財、秘仏)を安置し、左右に日光・月光(がっこう)菩薩像、十二神将像、二天王像(重要文化財)などを安置する。現状は桁行(間口)梁間(奥行)ともに7間とする「七間堂」であるが、解体修理時の調査の結果、建立当初は桁行、梁間ともに5間の「五間堂」であり、南北朝時代に規模を拡張したとみられる。組物間の蟇股(かえるまた)には建立当初のものと南北朝時代の拡張期のものとがあり、後者の方がデザインが複雑になっている。建立当初の柱はその多くが位置を移動して再用されている。組物は出三斗(でみつと)。正面には3間の向拝を付し、内部は奥行7間のうち手前の3間分を外陣、その奥の2間分を内陣、もっとも奥の2間分を後陣および脇室とする。正面は7間の柱間すべてを蔀戸(しとみど)とし、頭貫(かしらぬき)以外の貫を用いず、軸部は内法長押(うちのりなげし)と切目長押[4]で固めるなど、典型的な和様建築の手法になる。[5]
  • 三重塔(国宝) - 本堂の右(南)に建つ。檜皮葺きの和様の三重塔である。様式的に鎌倉時代後期の建築とされる。総高は20.1メートル。逓減率[6]が小さいことと、二重目・三重目の塔身の立ちが低いことが本塔の特色である。相輪は日本の他の木造塔では銅製とすることが多いが、本塔のそれは鉄製である。初層内部には大日如来像を安置し、心柱は初層天井裏から立つ。初層内部は須弥壇と床面を除く全面に極彩色の絵画が描かれているが、現状ではかなり剥落している。絵画の主題は、内部の4本の柱(四天柱)には両界曼荼羅のうち金剛界曼荼羅成身会(じょうじんね)の三十二菩薩(四波羅蜜菩薩、十六大菩薩、八供養菩薩、四摂菩薩)を表し、四方の扉脇の壁面には計8面に法華経曼荼羅図(法華経二十八品(章)の説話の絵画)を表している。このほか、扉には八方天、須弥壇周りの長押には宝相華、牡丹、鳳凰などが描かれている。このうち柱4本と壁8枚は国宝建造物の一部であるとともに、「絵画」としても別途重要文化財に指定されている。[7]
  • 石造宝塔(重要文化財) - 嘉元2年(1304年)の刻銘がある。

文化財[編集]

本堂正面の細部。正面柱間はすべて蔀戸とし、組物は出三斗、中備は蟇股。柱間は切目長押、内法長押、頭貫で固めるなど、典型的な和様の手法がみられる。
国宝
  • 本堂 - 解説は既出
  • 三重塔 - 解説は既出
重要文化財
  • 二天門
  • 石造宝塔
  • 木造薬師如来立像
  • 木造二天王立像
  • 木造釈迦如来立像
  • 木造不動明王及び二童子像
  • 絹本著色十二天像
  • 三重塔初層荘厳画 4本8面
  • 錦幡 5旒(りゅう)
名勝(国指定)
  • 西明寺本坊庭園
滋賀県指定天然記念物
  • 不断桜

脚注[編集]

  1. ^ (白洲、1992)、p.87 - 88
  2. ^ (濵島、1992)、p.92 - 93
  3. ^ (濵島、1992)、p.111 - 112
  4. ^ 貫とは柱内部を貫通する水平材。長押とは柱の外側から打ち付ける水平材。内法長押とは出入口直上の長押、切目長押とは縁に接した長押。
  5. ^ (濵島、1992)、p.93 - 103
  6. ^ 逓減率とは、層塔建築において、屋根および塔身の幅が下層から上層に向かってが小さくなる割合のこと。
  7. ^ (濵島、1992)、p.103 - 111および「新指定の文化財」『月刊文化財』464(第一法規、2002)

参考文献[編集]

  • 井上靖、塚本善隆監修、岡部伊都子、濱中光哲、濱中光永、北角良澄ほか著『古寺巡礼近江6 湖東三山』、淡交社、1980
  • 『日本名建築写真選集 7 西明寺・金剛輪寺』、新潮社、1992
    • 濵島正士「湖東の密教寺院 西明寺と金剛輪寺」
    • 白洲正子「金剛輪寺と西明寺の周辺」
  • 『週刊朝日百科 日本の国宝』80号(西明寺、金剛輪寺ほか)、朝日新聞社、1998
  • 『日本歴史地名大系 滋賀県の地名』、平凡社
  • 『角川日本地名大辞典 滋賀県』、角川書店
  • 『国史大辞典』、吉川弘文館

関連項目[編集]

外部リンク[編集]