西園寺しょう子

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西園寺 鏱子(さいおんじ しょうし、文永8年(1271年) - 興国3年5月7日1342年6月10日))は、鎌倉時代の女性。京極派の歌人。伏見天皇の中宮。従一位太政大臣西園寺実兼の長女。母は内大臣中院通成の娘、顕子。女院号は永福門院(えいふくもんいん または ようふくもんいん)。法名は真如源。

弘安11年(1288年)4月27日、従三位正応元年(1288年)6月2日、前年に即位した伏見天皇のもとに入内、同月8日女御、さらに同年8月20日には中宮となった。実子は生まれなかったが、典侍五辻経子が生んだ東宮胤仁(のちの後伏見天皇)を猶子とし、手許で育てた。永仁6年(1298年)8月21日、伏見天皇の退位にともない院号宣下をうけた。正和5年(1291年)6月23日に出家し、真如源と号する。興国3年(1342年)5月7日、72歳で薨去した。

伏見天皇の東宮時代から京極為兼が仕えていたことから、歌を京極為兼に師事し、為兼や伏見天皇を中心とする京極派の歌人として『玉葉和歌集』『風雅和歌集』等に多くの歌を残している。

参考文献[編集]

  • 岩佐美代子『永福門院 飛翔する南北朝女性歌人』、笠間書院、2000年