西国三十三箇所
西国三十三箇所(さいごくさんじゅうさんかしょ)または西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)は、近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音霊場の総称[1]。これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れている。
「三十三」とは、「観世音菩薩普門品」(『法華経』)に説かれる、観音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために三十三の霊場を巡拝することを意味し[2]、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。
目次 |
[編集] 成立と歴史
[編集] 伝承
三十三所巡礼の起源については、中山寺(二十四番札所)の縁起である『中山寺来由記』、華厳寺(三十三番札所)の縁起である『谷汲山根元由来記』などに大略次のように記されている。
養老2年(718年)、大和国の長谷寺の開基である徳道上人が62歳のとき、病のために亡くなるが冥土の入口で閻魔大王に会い、生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多いことから、日本にある三十三箇所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳があるので、巡礼によって人々を救うように託宣を受けるとともに起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻された。そしてこの宝印に従って霊場を定めたとされる。上人はこの三十三所巡礼を人々に説くが世間の信用が得られずあまり普及しなかったため、機が熟すのを待つこととし、閻魔大王から授かった宝印を摂津国の中山寺の石櫃に納めた。そして三十三所巡礼は忘れ去られていった[3]。
徳道上人が中山寺に宝印を納めてから約270年後、花山院(安和元年〈968年〉 - 寛弘5年〈1008年〉)が紀州国の那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を授けた。そして中山寺で宝印を探し出し、播磨国書写山圓教寺の性空上人の勧めにより、河内国石川寺(叡福寺)の仏眼上人を先達として三十三所霊場を巡礼したことから、やがて人々に広まっていったという(中山寺の弁光上人を伴ったとする縁起もある)。
[編集] 開創から確立まで
しかしながら、札所寺院のうち、善峯寺(二十番札所)は法皇没後の長元2年(1029年)創建である。また、花山院とともに札所を巡ったとされる仏眼上人は、石川寺の聖徳太子廟の前に忽然と現れたとされる伝説的な僧で、実在が疑問視されている。以上のことから、三十三所巡礼の始祖を徳道上人、中興を花山院とする伝承は史実ではない[4]。
史料上で確認できる三十三所巡礼の初出は、近江国園城寺(三井寺)の僧の伝記を集成した『寺門高僧記』中の「行尊伝」と「覚忠伝」にみられる「観音霊場三十三所巡礼記」である。行尊の巡礼を史実と認めるか否か、異論が存在する[5]が、これに次ぐ覚忠の巡礼は確実に史実と考えられている[6]。両者の巡礼記を比較してみると、三十三所の寺院の組み合わせが一致するものの、順番が相違し、両者とも三室戸寺で巡礼を終えているものの、行尊は一番札所を長谷寺、覚忠は那智山としている[7]。
長谷寺は平安時代初期頃から霊験著しい観音霊場寺院として、特に朝廷から崇敬を寄せられただけでなく、摂関期には藤原道長が参詣するなど、重要な観音霊場であった。こうした長谷寺の位置付けゆえに三十三所の一番となったと見られることから、11世紀末頃(1093年 - 1094年頃)と見られる行尊の巡礼が長谷寺から始まることは自然なことと考えられる[8]。だが、12世紀後半の覚忠の巡礼において、長谷寺から遠く隔たった那智山が第一番となるには大きな変化があったと見なければならず、それには熊野詣の盛行と西国三十三所における熊野那智山の位置という2つの点を見なければならない[9]。前者の例として挙げられるのは、後鳥羽院の13回、後白河院の27回といった参詣であり、こうした盛行に影響されて三十三所の順路が影響を受けて、12世紀後半には那智山を一番札所とするようになったと考えられている[9]。
後者の西国三十三所における熊野那智山の位置付けであるが、熊野那智山には三十三所の開創や巡礼との関係が多数ある。伝説上の開創を裸形とし、奈良時代以前から特別な聖地であった那智山には、三十三所の伝説上の開創である花山院が寛和2年(986年)に参詣をしたことに由来して、多数の伝承が見られる。それらの伝承には、例えば那智滝で花山院が千日滝籠行を行ったとするほか、滝元千手堂の本尊を花山院に結びつけたり、妙法山に庵や墓所があったとするものが見られ、那智山における花山院伝承は非常に重要なのである[9]。また、中世には諸国を廻国遊行する廻国巡礼行者が多数いたが、那智山には三十三所を巡る三十三度行者なる行者に那智山の住僧が多数なっていただけでなく、その往来手形もまた那智山が管掌するところであったと青岸渡寺伝来の史料は伝えている[10]。こうした点から、分かるのは、当初摂関期の観音信仰をもとにしていた三十三所は、院政期に熊野詣の盛行の影響下で熊野那智山を一番札所とするようになり、花山院の伝承の喧伝や三十三度行者の活動を通じて、熊野那智山により広められていったのである[11]。
[編集] 中世三十三所寺院における信仰と巡礼
西国三十三所に算えられる寺院は、第一番の那智山青岸渡寺から第三十三番の谷汲山華厳寺までに番外三か寺を加えて36あり、その組み合わせは『寺門高僧記』以来、変化が無い。これら36の寺院は、規模をもとに4つに分類される[12]。一つ目は権門寺院に相当する有力寺院であり、興福寺南円堂(第九番)や醍醐寺(第十一番)など、6か寺が該当する。これらの寺院のうち、清水寺と石山寺は三十三所に先立つ貴族の観音信仰において対象とされた各寺院の本尊がそのまま三十三所の信仰対象となっているが、他の4か寺では対象となっているのは、寺の本尊ではない堂の本尊であることから、たまたま庶民信仰を集めた堂舎が三十三所に連なったと見られている[13]。
二つ目は地方の有力寺院で、青岸渡寺(第一番)を始めとして24か寺と、数的に全体の3分の2を占め、三十三所の中心的存在である[14]。これらの寺院は多数の子院を従え、数百人、時には千人を越える僧を擁する地方の有力寺院[15]であり、寺院の本尊と三十三所の信仰対象とは多くの場合において一致するが、三十三所巡礼寺院であることは寺の性格全体にとってあまり重要ではなかった[13]。三十三所諸寺院の蔵する中世古文書は数千点に達するが、縁起や勧進状の類を除くと、三十三所に関係する古文書の数はわずかに十数通にすぎず、三十三所寺院であることは各寺院の持つ多様な性格の一つに過ぎなかったのである[15]。
このような位置付けの低さは、各寺院で三十三所を支え、また三十三所巡礼を行ずる担い手の地位によっても説明される。当初、西国三十三所巡礼を行っていたのは山伏や前述の三十三度行者のような廻国巡礼行者、熊野比丘尼、各種の勧進聖、一般の僧侶といった宗教者の集団であって、こうした聖に導かれる形で民衆も巡礼を行っていた[16]。こうした宗教者は、各地で勧進を募っては、集めた願物によって堂舎の造営・修造、燈明料の維持にあたっており、勧進聖としての活動を通じて一山の経済を支えていた[17]。庶民への勧進活動に当たって三十三所寺院であることが大きな効果を持つことから、一山における勧進聖の経済的役割は大きく、寺院側も堂舎の造営・修造にあたって巡礼からの奉加に期待を寄せていた。そのため、室町時代中期(戦国時代)から中世末期にかけて発された、寺院修覆のための勧進状や縁起では三十三所寺院であることが強調されるとともに、勧進状や縁起を携えて勧進を担った聖の拠点たる子院群が一山を支える状況が生み出された[18]。しかしながら、こうした勧進聖の集団の寺院内における地位は低く、あくまで下僧としてもっぱら扱われたために正式の法会や祭礼に参加することはできず[19]、有力とはいえ寺院内の一勢力に過ぎない勧進聖集団にもっぱら支えられていた[13]という事情は、各寺院における三十三所の位置付けを低いものにとどめさせた[20]。
三つ目は京都市中の中小寺院で、六波羅蜜寺(第十七番)ほか4か寺が該当する[14]。これらの寺院は平安時代から盛んになった京都近郊の観音霊場巡礼に由来する寺院である[13]。六波羅蜜寺の他、行願寺(第十九番)、頂法寺(第十八番)は三十三所寺院であるとともに、京都七観音の一角であり、こうした京都近郊の観音巡礼寺院としての性格は清水寺や石山寺にもあてはまる。こうしたことから、三十三所の成立は、京都近郊の観音巡礼を歴史的前提とし[21]、それらと地方の著名な観音信仰寺院との融合によるもであることが分かる[13]。
四つ目の地方の小規模寺院は番外の3か寺が該当する。これら寺院はいずれも小規模な寺院であるが、三十三所巡礼の縁起にまつわる寺院であり、三十三所の隆盛とともに花山院の縁起が広く知れ渡り、参詣者を集めるようになったことで番外に加えられた[21]。
[編集] 近世における庶民化
江戸時代には庶民に観音巡礼が広まり、関東の坂東三十三箇所や秩父三十四箇所と併せて日本百観音と言われるようになった。これにより東国の巡礼者が増え、この上方の観音巡礼が「西国三十三所」と言われるようになり、熊野詣から巡礼を始める人が多かったので第一番が紀伊国那智山の如意輪堂(現・青岸渡寺)に、東国への帰路に着きやすいということで第三十三番が美濃国の華厳寺という現在の巡礼順になったと考えられている。江戸時代初期から「巡礼講」が各地で組まれ団体の巡礼が盛んに行われた。地域などから依頼を受けて三十三所を33回巡礼することで満願となる「三十三度行者」と呼ばれる職業的な巡礼者もいた。これら巡礼講や三十三度行者の満願を供養した石碑である「満願供養塔」は日本各地に残っている。
近年、札所寺院の宗派からの独立が著しい。巡礼者の増加に伴い、各寺院の財政が潤っていることを端的に示している。
[編集] 巡礼
霊場は一般的に「札所」という。かつての巡礼者が本尊である観音菩薩との結縁を願って、氏名や生国を記した木製や銅製の札を寺院の堂に打ち付けていたことに由来する。 札所では参拝の後、写経とお布施として納経料を納め、納経帳に宝印の印影を授かる。写経の代わりに納経札を納める巡礼者もいる。
巡礼の道中に、開基である徳道上人や再興させた花山院のゆかりの寺院が番外霊場として3か所含まれている。そして結願のお礼参りとして、最後に信州の善光寺に参拝し計37か所を巡礼する。また、高野山金剛峯寺の奥の院、比叡山延暦寺の根本中堂、奈良の東大寺の二月堂、大阪の四天王寺を番外霊場に含んでいる場合もあり、お礼参りは善光寺を含め5か所の中から一つを選べばよいとする説もある。
第一番から第三十三番までの巡礼道は約1000kmであり四国八十八箇所の遍路道約1400kmと比較すれば短いが、京都市内をのぞいて札所間の距離が長いため、現在では全行程を歩き巡礼する人はとても少なく、自家用車や公共交通機関を利用する人がほとんどである。1935年3月から1か月間「西国三十三ヶ所札所連合会」が阪急電鉄とタイアップして「観音霊場西国三十三ヶ所阪急沿線出開扉」を開催した。これには33日間で40万人以上が訪れたと言われている。[22]
現在でも鉄道会社やバス会社によって多くの巡礼ツアーが組まれており利用者も多い[23]。
[編集] 西国三十三所札所寺院の一覧
- 山号、寺号、通称・別称の欄は50音順ソート。開扉時期の欄は頻度順ソート。
| 番 |
山号 |
寺号 |
通称・別称 |
札所本尊 |
開扉時期 |
宗旨 |
所在地 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 那智山 | 青岸渡寺 | 那智山寺 | 如意輪観音 | 年3回 | 天台宗 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8 |
| 2 | 紀三井山 | 金剛宝寺 護国院 |
紀三井寺 | 十一面観音 | 50年毎 | 救世観音宗 | 和歌山県和歌山市紀三井寺1201 |
| 3 | 風猛山 | 粉河寺 | - | 千手観音 | 開扉なし | 粉河観音宗 | 和歌山県紀の川市粉河2787 |
| 4 | 槇尾山 | 施福寺 | 槇尾寺 | 千手観音 | 5月1日 - 15日 | 天台宗 | 大阪府和泉市槇尾山町136 |
| 5 | 紫雲山 | 葛井寺 | 藤井寺 | 千手観音 | 毎月18日 | 真言宗御室派 | 大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21 |
| 6 | 壺阪山 | 南法華寺 | 壺阪寺 | 千手観音 | 毎日 | 真言宗 (豊山系単立) |
奈良県高市郡高取町壺阪3 |
| 7 | 東光山 | 龍蓋寺 | 岡寺 | 如意輪観音 | 毎日 | 真言宗豊山派 | 奈良県高市郡明日香村岡806 |
| 番外 | 豊山 | 法起院 | 徳道上人廟 | - | - | 真言宗豊山派 | 奈良県桜井市初瀬776 |
| 8 | 豊山 | 長谷寺 | 初瀬寺 | 十一面観音 | 毎日 | 真言宗豊山派 | 奈良県桜井市初瀬731-1 |
| 9 | - | 興福寺 (南円堂) |
- | 不空羂索観音 | 10月17日 | 法相宗 | 奈良県奈良市登大路町48 |
| 10 | 明星山 | 三室戸寺 | 御室戸寺 | 千手観音 | 不定 | 本山修験宗 | 京都府宇治市菟道滋賀谷21 |
| 11 | 深雪山 | 上醍醐寺 (准胝堂) |
- | 准胝観音 | 5月15日 - 21日 | 真言宗醍醐派 | 京都府京都市伏見区醍醐醍醐山1 |
| 12 | 岩間山 | 正法寺 | 岩間寺 | 千手観音 | 不定 | 真言宗醍醐派 | 滋賀県大津市石山内畑町82 |
| 13 | 石光山 | 石山寺 | - | 如意輪観音 | 33年毎 | 東寺真言宗 | 滋賀県大津市石山寺1-1-1 |
| 14 | 長等山 | 園城寺 観音堂 |
三井寺 | 如意輪観音 | 33年毎 | 天台寺門宗 | 滋賀県大津市園城寺町246 |
| 番外 | 華頂山 | 元慶寺 | - | - | - | 天台宗 | 京都府京都市山科区北花山河原町13 |
| 15 | 新那智山 | 観音寺 | 今熊野観音寺 | 十一面観音 | 9月21日 - 23日 | 真言宗泉涌寺派 | 京都府京都市東山区泉涌寺山内町32 |
| 16 | 音羽山 | 清水寺 | - | 千手観音 | 33年毎 | 北法相宗 | 京都府京都市東山区清水1丁目294 |
| 17 | 補陀洛山 | 六波羅蜜寺 | - | 十一面観音 | 12年毎 | 真言宗智山派 | 京都府京都市東山区五条大和大路上ル東入2丁目轆轤町81-1 |
| 18 | 紫雲山 | 頂法寺 | 六角堂 | 如意輪観音 | 不定 | 天台系単立 | 京都府京都市中京区六角東洞院西入堂之前町248 |
| 19 | 霊麀山 | 行願寺 | 革堂 | 千手観音 | 1月17日 - 18日 | 天台宗 | 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17 |
| 20 | 西山 | 善峯寺 | よしみねさん | 千手観音 | 毎月第2日曜 | 善峯観音宗 (天台系単立) |
京都府京都市西京区大原野小塩町1372 |
| 21 | 菩提山 | 穴太寺 | 穴穂寺 菩提寺 |
聖観音 | 33年毎 | 天台宗 | 京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46 |
| 22 | 補陀洛山 | 總持寺 | - | 千手観音 | 4月15日 - 21日 | 高野山真言宗 | 大阪府茨木市総持寺1-6-1 |
| 23 | 応頂山 | 勝尾寺 | 弥勒寺 | 千手観音 | 毎月18日 | 高野山真言宗 | 大阪府箕面市粟生間谷2914-1 |
| 24 | 紫雲山 | 中山寺 | 中山観音 | 十一面観音 | 毎月18日 | 真言宗中山寺派 | 兵庫県宝塚市中山寺2-11-1 |
| 番外 | 東光山 | 花山院 菩提寺 |
尼寺のお寺 | - | - | 真言宗花山院派 | 兵庫県三田市尼寺352 |
| 25 | 御嶽山 | 清水寺 | 播州清水寺 清水さん |
千手観音 | 毎日 | 天台宗 | 兵庫県加東市平木1194 |
| 26 | 法華山 | 一乗寺 | - | 聖観音 | 不定 | 天台宗 | 兵庫県加西市坂本町821-17 |
| 27 | 書寫山 | 圓教寺 | 西の比叡山 | 如意輪観音 | 1月18日 | 天台宗 | 兵庫県姫路市書写2968 |
| 28 | 成相山 | 成相寺 | 成相さん | 聖観音 | 33年毎 | 真言宗 (古義系単立) |
京都府宮津市成相寺339 |
| 29 | 青葉山 | 松尾寺 | まつのおさん | 馬頭観音 | 不定 | 真言宗醍醐派 | 京都府舞鶴市松尾532 |
| 30 | 厳金山 | 宝厳寺 | 竹生島宝厳寺 | 千手観音 | 60年毎 | 真言宗豊山派 | 滋賀県長浜市早崎町1664-1 |
| 31 | 姨綺耶山 | 長命寺 | - | 千手観音 十一面観音 聖観音 |
不定 | 単立 | 滋賀県近江八幡市長命寺町157 |
| 32 | 繖山 | 観音正寺 | 仏法興隆寺 | 千手観音 | 毎日 | 単立(天台系) | 滋賀県近江八幡市安土町石寺2 |
| 33 | 谷汲山 | 華厳寺 | たにぐみさん | 十一面観音 | 不定 | 天台宗 | 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23 |
[編集] 札所本尊
[編集] 像種
西国三十三所の札所本尊はすべて観音菩薩である。なお、札所本尊と寺院全体の本尊とは異なる場合もある。たとえば、4番施福寺では札所本尊は千手観音であるが、寺本尊は弥勒菩薩であり、21番穴太寺では札所本尊は聖観音であるが、寺本尊は薬師如来である。
観音菩薩(観世音菩薩、観自在菩薩)の像には、一面二臂の聖観音(しょうかんのん)の他に、十一面観音、千手観音など、さまざまな超人間的性質をそなえた変化観音(へんげかんのん)がある。西国三十三所の札所本尊を像種別にみると、以下のとおりで、千手観音像がもっとも多い。
- 千手観音 15か寺
- 十一面観音 7か寺
- 聖観音 4か寺
- 如意輪観音 6か寺
- 馬頭観音 1か寺
- 准胝観音 1か寺
- 不空羂索観音 1か寺
上記の合計は33ではなく35になっている。これは、31番長命寺において千手観音、十一面観音、聖観音の3体を本尊とし、「千手十一面聖観音三尊一体」と称しているためである。
[編集] 札所本尊の秘仏化
西国三十三所の札所本尊は秘仏となっているものが多く、秘仏でないのは6番南法華寺(壺阪寺)の千手観音、7番岡寺(龍蓋寺)の如意輪観音、8番長谷寺の十一面観音、25番播州清水寺の千手観音、32番観音正寺の千手観音の5箇所のみとなっている[24]。これらの秘仏の中には、月1回、年1回など定期的に開扉されるものと、数十年に1回しか開扉されないものとがある。
2008年が西国巡礼の中興者とされる花山院の一千年忌にあたることから、同年から2010年にかけて、西国三十三所の全札所において順次「結縁開帳」が行われている。この「結縁開帳」では、平素厳重な秘仏として公開されなかった札所本尊も開扉されることとなった。
以下は、2008年から2010年にかけての「結縁開帳」にて開扉される札所本尊のうち、前回の公開から半世紀以上を経ているものである。
- 10番三室戸寺(千手観音) - 結縁開帳では2009年10月1日 - 11月30日開扉。前回開扉は1925年。
- 18番頂法寺(如意輪観音) - 結縁開帳では2008年11月8日 - 2009年1月5日、2009年3月3日 - 4月12日開扉。前回開扉は1872年。
- 29番松尾寺(馬頭観音) - 結縁開帳では2008年10月1日から1年間開扉。前回開扉は1931年。
- 31番長命寺(千手観音・十一面観音・聖観音) - 結縁開帳では2009年10月1日 - 10月31日開扉。前回開扉は1948年。
- 33番華厳寺(十一面観音) - 結縁開帳では2009年3月1日 - 3月14日開扉。前回開扉は1955年。
なお、3番粉河寺の本尊千手観音像は絶対の秘仏で、2008年 - 2010年の結縁開帳でも公開の予定はない。粉河寺では、2008年10月1日から10月31日まで「結縁開帳」が行われたが、この際開帳されたのは本堂の本尊ではなく、本堂の隣にある千手堂の千手観音像であった。また、10番三室戸寺の千手観音像、33番華厳寺の十一面観音像などは厳重な秘仏で開扉の日も定められておらず、像の写真も公表されていない。
[編集] 御詠歌
詳細は「ご詠歌」を参照
漢語の経典や声明(しょうみょう)と異なり和歌の賛仏歌として「御詠歌」が多くの宗派・寺院で採用されているが、この「御詠歌」の起源は花山院が西国三十三所の各札所で詠まれた御製の和歌を後世の巡礼者が節をつけて巡礼歌として歌ったものであるとされている[25]。西国三十三所の御詠歌は、宗派にもよるが近畿地方一円で死者を弔うために葬儀から四十九日法要まで親族によって毎夜唱えられたり、お盆の仏事において参加者全員で合唱する習慣などがある。
[編集] 脚注
- ^ 「三十三箇所」「三十三所」の両様の表記があるが、近世以前にはもっぱら「三十三所」と称されていた。また、「西国」は「さいこく」と清音で読む場合もある。
- ^ 三石[2005: 30]
- ^ 西国三十三所札所会 (2007年). “西国三十三所巡礼とは”. 三十三所巡礼の旅. 西国三十三所札所会. 2011年7月1日閲覧。
- ^ 吉井[1990: 15]
- ^ 例えば速水侑は、行尊伝に見られる寺院が行尊が巡礼を行ったと見られる年代には巡礼を集められるほど確立した寺院ではなく、また、行尊の巡礼記も前後の記事とのつながりが不自然であることから、史実と認めない立場をとっている。しかしながら、こうした速水の説には寺院の成立年代の推定の誤りや、そもそも行尊伝における記事の配列の不自然さが史料全体にわたるものであることを見落としている点を指摘する吉井は、行尊伝を確実な史料とし、その三十三所巡礼を史実と判断している[吉井 1990; 1996]。
- ^ 吉井[1996: 51-53]
- ^ 吉井[1996: 53]
- ^ 吉井[1996: 53-54]
- ^ a b c 吉井[1996: 54]
- ^ 吉井[1996: 54-55]
- ^ 吉井[1996: 55]
- ^ 吉井[1996: 48]。以下、三十三所寺院の分類について、吉井[1996]に従う。
- ^ a b c d e 吉井[1996: 50]
- ^ a b 吉井[1996: 48]
- ^ a b 吉井[1996: 58]
- ^ 吉井[1996: 55-57]
- ^ 吉井[1996: 59]
- ^ 吉井[1996: 60]
- ^ 吉井[1996: 58-59、63]
- ^ 吉井[1996: 63]
- ^ a b 吉井[1996: 51]
- ^ 森正人『四国遍路の近現代』創元社
- ^ 京阪宇治バスでは西国三十三箇所の内数箇所と、番外としてツアーにより近隣の寺院数箇所とを組み合わせた巡礼ツアーを定番コースとして開催している。
- ^ 播州清水寺では、根本中堂本尊の十一面観音像は秘仏だが、札所本尊である大講堂の千手観音像は拝観可能である。
- ^ ただし、西国三十三所の御詠歌のほとんどは作者・作期不明であり、現在のように整えられたのは室町時代頃と推定されている。参考文献の和田、1998、pp16 - 22参照。
[編集] 参考文献
- 浅野 清(編)、1990、『西国三十三所霊場寺院の総合的研究』、中央公論美術出版.
- 吉井 敏幸、1990、「西国三十三所の成立と巡礼寺院の庶民化」、浅野 清(編)『西国三十三所霊場寺院の総合的研究』、中央公論美術出版 pp.14-29.
- 西国三十三所札所会(編)、2008、『西国三十三所結縁御開帳公式ガイドブック』、講談社 ISBN 978-4062147477.
- 2008、『西国三十三所観音巡礼の本 - 日本最古の霊場一○○○年の聖域を歩く』、学習研究社〈エソテリカ別冊〉 ISBN 978-4056052138.
- 三石 学、2005、「西国三十三所巡礼」、『国文学 解釈と鑑賞』70巻5号(平成17年5月号)、至文堂、NAID 40006714737 30-38.
- 和田嘉寿男、1998、『御詠歌の旅 西国三十三札所を巡る』、和泉書院 ISBN 4870889242.
- 奈良国立博物館・NHKプラネット近畿(編)、2008、『西国三十三所観音 霊場の祈りと美 - 特別展』、奈良国立博物館.