西口彰事件
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西口彰事件(にしぐちあきらじけん)は1963年10月から1964年1月まで起こった殺人事件。
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[編集] 概要
カトリックの家庭に生まれながら前科4犯の西口彰(にしぐち あきら、1925年12月14日 - 1970年12月11日)が1963年10月に2人を殺害し、その後、1964年1月3日に逮捕されるまで逃亡を続け、大学教授や弁護士などを騙って計5人を殺害し、計80万円を詐取した。熊本では弁護士を装って教戒師・古川泰龍の家に押し入るが、当時11歳の娘が見抜き、通報することにより逮捕につながった。
警察の要職を歴任した高松敬治は「全国の警察は、西口逮捕のために懸命な捜査を続けたが、結果的には全国12万人余の警察官の目は幼い一人の少女の目に及ばなかった」と語った。
西口は殺人5件、詐欺10件、窃盗2件で起訴された。裁判では検察の論告で「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」、地裁の判決文では「悪魔の申し子」と形容された。
1966年に死刑判決が確定。1970年に死刑執行された。
[編集] 最初の殺人から逮捕までの経緯
- 福岡県での二人殺害
- 1963年10月18日、福岡県京都郡苅田町堤の国鉄日豊本線苅田駅西側の山道で専売公社職員が殺害されているのが発見された。同日、田川郡香春町の仲哀峠では運転手が殺害されているのが発見される。
- 目撃者の証言などから詐欺や窃盗で前科4犯だった西口(当時37歳)が浮上。福岡県警は全国指名手配にする。
- 熊本県で逮捕
- 1964年1月2日、西口は弁護士を騙って熊本県玉名市の冤罪事件防止に取り組む教戒師・古川泰龍宅を訪問。しかし、古川の11歳の娘が、指名手配のポスターから西口に気づく。古川は最初は否定していたが、弁護士団体の名前や自身が卒業したとする東大の著名な法学部教授を知らないなど、次第に弁護士としての基礎知識に欠けてることに気づいたため警察に通報。1月3日に逮捕される。
[編集] 影響
戦後の自動車普及と道路整備によって凶悪犯罪が広範囲にまたがっていることが多くなった。また、犯人が遠方まで逃走しやすくなり、各都道府県警の協力が万全では無かったことから事件解決が難しくなった。以上の事情をふまえ、警察庁は「広域重要事件特別捜査要綱」を策定し、警察庁広域重要指定事件を指定して対処することとした。
[編集] 関連作品
- 佐木隆三「復讐するは我にあり」
- 「実録犯罪史シリーズ 恐怖の二十四時間 連続殺人鬼西口彰の最期」CX系、1991年
- なお松竹映画は西口彰を題材にした映画(タイトルは仮題・「国民の目」)を作ろうとした事があるが西口彰の家族より映画化に反対する意見が出され、さらに法務省人権擁護局からも「映画製作は控えて欲しい」との要望書が提出された事を考慮し昭和39年2月16日に正式に映画化断念の発表をしたことがある。