襄陽区
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| 中華人民共和国 湖北省 襄陽区 | |
| 中心座標 | |
| 簡体字 | 襄阳 |
| 繁体字 | 襄陽 |
|---|---|
| 拼音 | Xiāngyáng |
| カタカナ転記 | シャンヤン |
| 国家 | 中華人民共和国 |
| 省 | 湖北 |
| 地級市 | 襄樊市 |
| 行政級別 | 地級市 |
| 面積 | |
| - 総面積 | 2,306 km² |
| 人口 | |
| - 総人口(2004) | 10.57 万人 |
| 経済 | |
| 電話番号 | 0710 |
| 郵便番号 | 441100 |
| 行政区画代碼 | 420607 |
襄陽区(じょうよう-く)は中華人民共和国湖北省襄樊市に位置する市轄区。古くから交通の要衝等の重要拠点として大きな都市が形成されていた。
[編集] 地理
漢水の中流域に当たり、その南岸にあって、樊城と対峙している。古来より、関中(陝西省)、中原(河北省・河南省)、長江中流域という三つの重要な地域を結ぶ要の位置にあり、また、漢水沿岸の最大の都市として、交通の要衝の位置を占めていた。
[編集] 歴史
後漢末期に荊州の治所が襄陽に定められて以来、この地の政治的、軍事的な重要度は高まり、三国時代には魏・呉・蜀(蜀漢)の重要な係争地の一つとなる。なお、諸葛亮が当初寓居していたのは、襄陽西北郊外の隆中山である。
南宋の時代には、北方の金、元に対する前線基地となり、激しい攻防戦が繰り広げられた。著名な回回砲が用いられたのは、元の南宋に対する、5年間にわたる襄陽攻略戦でのことであった。(最終的には漢水封鎖により襄陽・樊城の連携を断って陥落。)
明末期には李自成率いる反乱軍がここを占領して襄京と改名し、ここで政権樹立を宣言した。この襄陽自体は程なく明軍に奪還されたが、組織はそのまま新本拠地の西安に移り、やがて明朝を滅亡させる事になる。
襄陽の河岸は船舶の停泊には不向きであり、商業は対岸の樊城の方が盛んであった。それに対して、襄陽は政治(行政)・軍事・教育の中心地となっている。
[編集] 関連項目
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