裸の島

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1929年尾三地区地図。地図中央下の小島が宿彌島。そこから左上が三原市、右上が尾道市中心部。

裸の島』(はだかのしま)は、1960年に公開された新藤兼人監督による日本映画。台詞無しが特徴といわれる。

経営危機にあった近代映画協会の解散記念作品にと、キャスト2人・スタッフ11人、500万円の低予算で製作された。1961年モスクワ国際映画祭グランプリを始め、数々の国際映画祭で受賞、世界60カ国以上で上映された。興行的に成功、近代映画協会は解散を免れた。

あらすじ[編集]

瀬戸内海に家族4人(夫婦と男の子2人)が住む電気・ガス・水道がない周囲約500メートルの小島(広島県三原市にある宿彌島(すくねじま))があった。島には平地はほとんど無く、島の頂上辺りのわずかな平地に小屋を建て、ヤギやアヒルと共に住んでいる。島の斜面に春はムギ、夏はサツマイモを植え、生活の糧としていた。長男は小学2年生、次男は未就学であるが、両親を助け家事を手伝っている。夫婦の日課は、隣島まで小舟を漕いで、飲料と畑の作物のための水を汲みに行くことだった。隣島より桶に入れて櫓漕ぎ舟で運んだ水を、島の急斜面を天秤棒を担いで運び上げるのである。時には妻が誤って水をこぼしてしまうが、夫は容赦なく妻を平手打ちにする、それほど厳しい生活が毎日繰り返される。このように農業には条件の悪い土地であるが、夫婦所有の土地ではなく、地代として農作物を納めている。

ある日、子供たちが鯛を釣り上げた。家族4人が揃って笑顔を見せる。妻はよそ行きの衣装に着替え、家族全員で巡航船に乗って尾道の市街へ行き、鯛を売って普段では手に入らない日用品を買ったり、また外食を楽しむこともできた。

ある日、長男が高熱をだした。父が医者を探し、島まで連れてきたが、間に合わなかった。葬儀は僧侶と通学先の担任の先生と同級生が来て、遺体は島に埋葬された。

葬儀が終わり、家族にはまた日常の生活が繰り返される。しかし畑の作物に水をやっている時、妻は突然桶の水をぶちまけ、狂ったように作物を引き抜き始める。そして大地に突っ伏して号泣するのである。夫は妻の心情を思いやり、ただ見ているだけであった。ほどなく妻は落ち着きを取り戻し、水やりを再開した。この家族にはこの土地で生きてゆくほかなく、今日も明日もこの小島で生活してゆくのであった。

キャスト[編集]

  • トヨ(妻):乙羽信子
  • 千太(夫):殿山泰司
  • 太郎(長男):田中伸二
  • 次郎(次男):堀本正紀
  • 協力出演
尾道放送劇団・千葉雅子
笹島小学校生徒
鷲浦安楽寺住職

スタッフ[編集]

ロケ地[編集]

  • 宿彌島 - 一時自給自足の男性が30年ほど住んでいたことがあったが、基本的に無人島。乙羽信子が亡くなった際には遺骨の一部が散骨された。のちに地権者の財産管理をめぐる問題で島の競売が決まり、「裸の島」のゆかり土地として残したいという意向から新藤監督の次男が募金を呼びかけて約300万円を集めたが、2014年2月にアパート賃貸業者が約800万円で落札[1]。落札者との交渉の結果、新藤サイドが買い取り同年4月に三原市に寄贈の予定[2]
  • 2011年に、同作のファンであるハリウッド俳優のベニチオ・デル・トロが、島を訪問。デルトロは、過去にも米放映用ドキュメンタリーで新藤にインタビューした事がある。

脚注[編集]

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  1. ^ 新藤監督次男、「裸の島」ロケ地落札できず産経新聞、2014.2.14
  2. ^ ロケ地「裸の島」買い取りに合意 新藤監督の次男ら、広島共同通信、2014/03/17

外部リンク[編集]