裴氏

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裴氏(はいし)とは、中国の中世に於ける著名な門閥貴族の中の一つであり、山西省聞喜県を本貫としている。

概要[編集]

その始祖に擬せられるのは、の始祖である非子の後裔である。非子の支孫は裴(原字は上が非で下が邑の字体)鄉に封ぜられ、よってそれを氏姓とした。の僖王の時、六世の孫である陵が封じられて解邑君となった。そこで、「邑」の部首を除いて「衣」に従い、「裴」を姓とするようになった。

後ち裴氏は支族が三分し、河東燕京西涼等の土地に分かれた。しかしながら、その譜系の源流を考えると、皆な聞喜の裴氏に出ている。故に「天下に二裴なし」という言葉ができた。

裴氏一族は往古より以来、三晋の望族となり、なおかつ中国の歴史上でその名望あきらかな名門貴族となった。裴氏一族は「秦より以来、六朝を経て盛んとなり、に至って全盛を迎えた。五代以後も、なお余勢を存していた。」

裴氏一族は、貴顕となったものが絶えず、正史に立伝或いは附載された者が、600名余を数えた。名を後世に残した者は、1,000名余を下らない。七品以上の官人は、3,000名余に達した。その『裴氏世譜』の統計に拠れば、裴氏一族で歴史上に於いて、嘗て前後して宰相59名、大将軍59名、中書侍郎14名、尚書55名、侍郎44名、常侍11名、御史10名、節度使・観察使・防禦使25名、刺史211名、太守77名、封爵された者では、公爵89名、侯爵33名、伯爵11名、子爵18名、男爵13名、宗室と婚姻を結んだ者が皇后3名、太子妃4名、王妃2名、附馬21名、公主20名等に及び、真に「将相は接武し、公侯の一門たり」と謂うべき様であった。中国の「宰相村」の名は、この状況によって得られたものである。

分布[編集]

中国では、この姓は主に山西省の黄河以東の夏県一帯に分布している。この姓氏は、ベトナムでは人口の約2%を占めている。韓国にもまた分布しているが、但し「裴」字は韓国の漢字では「裵」に作る。ただ、中国語と日本語中では共に異体字扱いをしている。

著名な人物[編集]

族譜[編集]

その中の一支族が、河南省武陟県大虹橋村に分布しており、代以降の族譜が流伝している。

関連項目[編集]

  • 裴鏡民碑
  • - 異体字の一つ。朝鮮で姓として用いられる。

参考文献[編集]

  • 西江輯成点校『裴氏人物著述』(『河東裴氏研究叢書』2、山西人民出版社、2002年)ISBN 7203045374
  • 周征松著『魏晋隋唐間的河東裴氏』(山西教育出版社、2000年)ISBN 7544017486
  • 矢野主税「裴氏研究」(『社会科学論叢』14、1965年)