藤原淑子
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藤原淑子(ふじわら の よしこ、貞観2年(838年)- 延喜6年5月28日(906年6月22日))は平安時代前期の貴族女性、女官。父は藤原長良。異母兄弟に基経・高子らがいる。
父長良の没後宮廷に出仕し、藤原氏宗の後妻となり、また光孝天皇の皇子源定省(後の宇多天皇)を猶子とした。後に光孝天皇崩御で定省が急遽皇族に復帰・即位した背景にも、淑子の力が大きかったとされる。元慶8年(884年)尚侍、仁和3年(887年)女官では異例の従一位に至る。尚侍として内侍宣を扱い、基経と宮廷の連絡役を務めたほか、宇多天皇のために阿衡事件の収拾にも尽力したと言われている。延喜6年5月28日に69歳で薨去、同月30日正一位を贈られた。