藤原昭
藤原 昭(ふじわら あきら、1944年1月15日 - )は、日本の政治家。元奈良市長(2005年8月 - 2009年7月)。
兵庫県姫路市出身。京都大学工学部建築学科卒業、同大学院工学研究科修士課程修了。畿央大学健康科学部教授、奈良県教育長・企画部長を歴任。
2005年6月22日奈良市議会が、鍵田忠兵衛市長に対する不信任決議案を可決。鍵田市長は6月24日に市議会を解散、自らも辞職した。これに伴う奈良市長・市議会議員選挙が、7月31日に行われ、藤原昭は、自民党・公明党・社民党の推薦、民主党の支持、共産党の支援を受けて、鍵田前市長と、政治団体代表の辻山清を破って初当選した。
| 当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 前歴 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 72,302 | 藤原昭 | 無所属 | 新人 | 自・社・公の推薦、民の支持、共の支援 |
| 65,289 | 鍵田忠兵衛 | 無所属 | 前職 | ||
| 7,600 | 辻山清 | 諸派 | 新人 | 泡沫候補 |
奈良県・奈良市はホテル数が日本一少なく、このままでは平城遷都1300年記念事業での集客に影響が出る事を懸念し、就任翌年には外資系ホテル誘致を計画する。これには奈良市民の中からも異論が噴出し、報道も藤原市長の考えに対して「長期的な観光政策の打ち出しが無い以上は再考すべき」との見解を打ち出す。しかし、余程ホテル誘致に対して執着が有ったのか、奈良商工会議所に「宿泊施設検討委員会」なるものを設けるように指示し、要請は、当初は、「奈良商工会議所」だけで有ったのだが、提出時には、「奈良商工会議所」と「社団法人奈良市観光協会」の連名になっていて、その連名で「ホテルが必要」との意見書をまとめ、提出させる。しかし、この後も各所で異論が噴出するも、強引とも言える手法で、ホテル・バイ・マリオットコートヤードの誘致交渉を行った。しかし、直後に起こった、アメリカ発のサブプライムローン問題で当該ディベロッパーのゼファーが破綻し計画は頓挫する。
その後も、2008年に奈良市内の不動産管理会社が「JR駅前ホテル開発株式会社」を立ち上げて国土交通省の中心市街地活性化計画の一環である、民間都市整備機構の助成金を申請し、60億の支援を決定させる。この決定を受け、藤原市長の下で再度ホテル建設を計画するが、地元企業や地元金融機関からの支援が思う様に集まらず当初の計画の狂いが生じる。そして、2009年3月に計画不履行となり、ホテル計画は再度頓挫し計画実施は事実上不可能となった。
このホテル誘致と共に計画されていたのが、JR奈良駅東側整備計画であった。現在のJR奈良駅2階自由通路より、駅前広場一帯に広がるペレステアンデッキと、その下から県内各所へ発着するバスターミナルを設置する計画である。旧24号線と三条通りの交差点をはじめとして、各所に降り口を設け、事実上、駅前広場を2階建て構造にする予定で有った。しかし、この計画は、旧24号線の拡幅計画の進展が無く、現状の道幅では降り口の設置が難しい事、またデッキ降り口をどの位置にするかで、降り口に接する商店と、そうでない商店とで、利害関係が対立した事、また、ホテル計画も頓挫した事も作用して、デッキの設置計画は不履行となってしまった。しかし、この名残として、現在の2階自由通路からJR奈良駅NKビルへの通路が設置されている。
時を同じくして、2009年7月の市長選挙には立候補をしない旨を表明して一期で引退を宣言した。現在は、自身が奈良県教育長時代に設立に関係した、畿央大学で教鞭を執っている。
引退後すぐ、このホテル建設予定地に、旧国鉄時代に投棄された石炭カスやレンガの破材が埋設されているのがわかり、所有者と奈良市の間でトラブルが噴出し、2011年現在も未解決のままである。また、この事案を調査・追求した奈良市議に、一部の団体から政治的圧力がかかった。
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