薛礼
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薛 礼(せつ れい、? - 197年?)は、中国の後漢時代末期の武将。
[編集] 正史の事跡
| 姓名 | 薛礼 |
|---|---|
| 時代 | 後漢時代 |
| 生没年 | 生年不詳 - 197年(建安2年)? |
| 字・別号 | 〔不詳〕 |
| 出身地 | 〔不詳〕 |
| 職官 | 彭城国相 |
| 爵位・号等 | - |
| 陣営・所属等 | 〔独立勢力〕→劉繇 |
| 家族・一族 | 〔不詳〕 |
彭城国の相であったが、徐州牧の陶謙の圧迫を受けたため、興平1年(194年)には、下邳国の相笮融と共に揚州刺史劉繇を盟主と仰いでいた。薛礼は秣陵城(後の呉の都、建業)を守備していたが、孫策の攻撃に屈し、包囲を突破して逃走した。劉繇も孫策に敗れて豫章へ向かうと、薛礼はこれに従ったが、その途中で劉繇に叛旗を翻した笮融に殺害された。死亡年は、豫章で激しい戦乱が起きた建安2年(197年)と思われる。
[編集] 物語中の薛礼
『三国演義』でも薛礼は劉繇の部将として登場する。牛渚の要塞で孫策に敗北し、劉繇に処刑されそうになった張英を、笮融と共に弁護して助命する。孫策に大敗して劉繇が劉表の下へ逃れると、薛礼は、張英・陳横と共に秣陵に立て篭もる。しかし、攻め寄せてきた孫策の計略によって誘き出されてしまい、伏兵に遭って敗れ、乱戦の中で戦死した。

