蕭万長

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中華民国の旗 中華民国台湾)の政治家
蕭 万長
蕭 萬長
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蕭万長
生年月日 1939年1月3日(75歳)
出生地 日本の旗大日本帝国台湾台南州嘉義市
所属政党 中国国民党

中華民国の旗 第12代副総統
任期 2008年5月20日 - 2012年5月20日
総統 馬英九

任期 1997年9月1日 - 2000年5月20日
総統 李登輝
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蕭 万長
職業: 政治家
各種表記
繁体字 蕭 萬長
簡体字 萧 万长
拼音 Xiāo Wàncháng
注音符号 ㄒㄧㄠ ㄨㄢˋ ㄔㄤˊ
和名表記: しょう ばんちょう
発音転記: シアオ・ワンチャン
ラテン字 Hsiao Wan-chang
英語名 Vincent Siew
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蕭 万長(しょう ばんちょう、1939年1月3日 - )は、中華民国台湾)の政治家。第12代中華民国副総統を務めた。

経歴[編集]

日本統治下の台湾嘉義市生まれ。国立政治大学外交研究所修士を経て、外交官として1966年から1972年まで駐クアラルンプール領事館に勤務。その後は経済部に転じ、経済部国際貿易局長、行政院経済建設委員会副主任委員などを務めた。

1990年李登輝総統のもとで本省人として初めて経済部長となり、第1回・第2回APEC首脳会議(1993年、1994年)には李登輝総統の代理として出席。1997年から3年間、連戦の後継として行政院長を務め、アジア通貨危機台湾大地震などの対応に追われたほか、中国との経済交流を規制する「戒急用忍」政策を行った。

2000年総統選では、連戦総統候補とともに副総統候補として立候補したが、民進党陳水扁呂秀蓮ペアに敗北、宋楚瑜張昭雄ペアにも及ばす第三位に甘んじる結果となった。

国民党が下野している間は、党副主席や中華経済研究院董事長を務めた。2003年には、SARSの流行によって経済活動が深刻な打撃を受けた際、陳水扁総統の招請を受けて総統経済顧問小委員会の幹事長を約半年間引き受けている。また、EUの例を参考に「両岸共同市場」を提唱し、この理念は2005年連戦国民党主席(当時)と胡錦濤中国共産党総書記の会談における合意事項に盛り込まれた(なお、この合意自体は当時の陳水扁政権に激しく批判された)。

2008年総統選馬英九総統候補とのペアで当選した。翌4月、中国海南省で開かれた博鰲アジアフォーラムに出席、胡錦涛中国共産党総書記と会談した。副総統就任前で、肩書きは「両岸共同市場基金会董事長」であったが、過去最高位の中台対話として注目され、政権交代による両岸関係の新時代を内外に印象づけた。パウエル米元国務長官ら要人との会見も実現している。

2008年5月、副総統に就任した。厳しい経済情勢の中、「台湾経済再興の設計士」「経済のベテラン」として期待された手腕が試されている。

2011年6月、馬英九総統から、2012年中華民国総統選挙の中国国民党副総統候補に指名されず、副総統の退任が決まる。(副総統候補は、呉敦義行政院長)。

2012年5月、副総統を退任。馬総統から、中正勲章を授与される[1]

日本との関連[編集]

2006年に来日したが、その際に日本の衆議院議員愛知和男らと秋保温泉を訪れたところ、旅館関係者に李登輝と間違われてしまい、台湾の一部メディアによって「李登輝が極秘に日本を訪問していた」と報じられることとなった。

2008年6月には、日本メディアのインタビューで、対中政策について「台湾は行政の重点を国防の安全に置くようにし、さらに多額の予算を計上するだろう。台湾は常に中国からの脅威にさらされているため、両岸関係の上でいかにして相互連動を保持するかが、台湾の生存と発展にとり重大な問題となる」と指摘。対日政策では「今後、台日両国の新世代の政治家は交流を深め、協力を強化していくべきである」「もし双方が、自由貿易協定(FTA)および経済連携協定(EPA)を締結できたならば、両国の経済発展により役立つものとなるであろう」との考えを示した。

脚注[編集]

外部リンク[編集]

 中華民国の旗中華民国
先代:
郭婉容
経建会主任
1993年2月 - 1994年12月
次代:
徐立徳
先代:
連戦
行政院長
1997年 - 2000年
次代:
唐飛
先代:
呂秀蓮
中華民国副総統
第12代
2008年 - 2012年
次代:
呉敦義