菊池武夫 (ファッションデザイナー)
菊池 武夫(きくち たけお、1939年5月25日 - )は日本のファッションデザイナー。ファッションブランドTAKEOKIKUCHI創設者・初代デザイナーとして知られる。クールビズ推進協議会共同代表。
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略歴 [編集]
生い立ち [編集]
東京都千代田区に12人兄弟の6番目として生まれる。1951年に暁星高等学校を卒業し、文化学院美術科に入学。
デザイナー [編集]
1956年に原のぶ子デザインアカデミーを卒業し、佐藤賢司らと「服飾モダン・グループ」を結成。1968年-1971年まで資生堂でポスターやカタログ・キャンペーンなどのコスチュームデザイン制作のかたわら、1970年に東レの招聘によって、黒人モデルを起用したコレクションを開催。同年カネボウと契約を結ぶ。
ビギ [編集]
さらに同年7月、レディースウェアを手がける株式会社ビギを稲葉賀恵・大楠裕二とともに設立。 劇団四季の舞台、「お気に召すまま」などの舞台衣装をプロデュースする。後にメンズウェアも手掛けるようになり萩原健一主演の伝説的ドラマ「傷だらけの天使」の衣装を担当。爆発的なブームとなる。また、1973年公開のハリウッド映画燃えよドラゴンではブルース・リーが映写室と墓参りのシーンでビギメンズの3Pスーツを着用している。
メンズウェアの大成功によりメンズ部門がビギから独立。1975年株式会社メンズビギを設立。DCブームの火付け役となる。手掛けたブランドは、メンズビギ(MEN'S BIGI)・バルビッシュ(BARBICHE)・ハーフムーン(half moon(レディース))。1978年にはメンズウェアとしては日本人で初めてパリに進出した。
独立 [編集]
しかし、DCブランドブームさなかの1985年に、「ビギ」の社長である大楠裕二と意見が対立し同社から離れ、神戸に本社を持つワールドへ移籍、「TAKEO KIKUCHI」、「モールラック」、「ACEIFA」といったブランドを立ち上げた。2004年に「TAKEO KIKUCHI」から手を引き、後継者に信国太志を指名する。2005年、大人の男性を意識した新ブランドとして「40CARATS&525」を立ち上げた。