荒川正晴

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荒川 正晴あらかわ まさはる
人物情報
生誕 (1955-01-09) 1955年1月9日(69歳)
日本の旗 日本東京都渋谷区
出身校 早稲田大学・同大学院
学問
研究分野 東洋史
研究機関 大阪大学
学位 博士 (文学) 大阪大学
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荒川 正晴(あらかわ まさはる、1955年1月9日[1] - )は、日本の東洋史学者、大阪大学文学研究科名誉教授敦煌トゥルファン出土文書を中心に唐代内陸アジア地域の社会・文化を研究。学位博士 (文学)。東京都渋谷区出身[1]

略歴[編集]

1979年早稲田大学第一文学部東洋史学専攻卒業。1986年同大学院文学研究科東洋史学専攻単位取得満期退学[1]

1996年大阪大学文学部助教授、2001年文学研究科教授[1]。2008年大阪大学により博士 (文学)を授与さる。論文の題は「中央アジアの交通・交易と唐帝国」[2]。2020年定年退任、名誉教授の称号を受ける[3]

著作[編集]

単著[編集]

共著[編集]

  • 『シルクロードと近代日本の邂逅 西域古代資料と日本近代仏教』柴田幹夫共編 勉誠出版 2016

論文[編集]

  • 1983「麹氏高昌国の官制について」『史観』109,pp.29-43.
  • 1986「麹氏高昌国における郡県制の性格をめぐって」『史学雑誌』95(3),pp.37-74.
  • 1988「唐の中央アジア支配と墨離の吐谷渾(上)」『史滴』9,pp.25-48.
  • 1989「唐の中央アジア支配と墨離の吐谷渾(下)」『史滴』10,pp.19-42.
  • 1989「唐河西以西の伝馬坊と長行坊」『東洋学報』70(3-4),pp.35-69.
  • 1990「スタイン将来「蒲昌群文書」の検討-Ast.(G0003)・3.07,08,037号文書の分析を中心にして-」『西北史地』37.
  • 1992「唐の対西域布帛輸送と客商の活動について」『東洋学報』73(3-4),pp.31-63.
  • 1993「中央アジア地域における唐の交通運用について」『東洋史研究』52(2),pp.23-51.
  • 1994「トゥルファン出土漢文文書に見えるulaγについて」『内陸アジア言語の研究』9,pp.1-25.
  • 1994「唐代コータン地域のulaγについて-マザル=ターク出土、ulaγ関係文書の分析を中心にして-」『龍谷史壇』103-104,pp.17-38.
  • 1997「クチャ出土「孔目司文書」攻」『古代文化』49(3),pp.1-18.
  • 1997「唐の州県百姓と過所の発給-唐代過所・公験文書箚記(1)-」『史観』137,pp.4-18.
  • 1997「唐帝国とソグド人の交易活動」『東洋史研究』56(3),pp.171-204.
  • 1998「北朝隋・唐代における「薩寶」の性格をめぐって」『東洋史苑』50-51,pp.164-186.
  • 2000「唐朝の交通システム」『大阪大学大学院文学研究科紀要』40,pp.199-335.
  • 2000「ヤールホト古墓群新出の墓表、墓誌をめぐって」『シルクロード学研究紀要』10,pp.160-170.
  • 2004「唐代前半の胡漢商人と帛練の流通」『唐代史研究』7,pp.17-59.
  • 2008「北朝隋唐初の在俗仏教信徒と五道大神」『中国学の十字路』,pp.509-523.
  • 2008「麹氏高昌国の王権とソグド人」『古代東アジアの社会と文化』,pp.337-362.
  • 2008「遊牧国家とオアシス国家の共生関係-西突厥と麹氏高昌国のケースから-」『東洋史研究』67(2),pp.194-228.
  • 2009「麹氏高昌国の灌漑水利と税役」『西北出土文献研究』7,pp.19-41.
  • 2011「唐の西北軍事支配と敦煌社会」『唐代史研究』14,pp.71-98.

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 略歴 2020, p. 186.
  2. ^ 学位論文書誌データベースによる。NAID 500000453889
  3. ^ 研究室のメンバー(2022.4.18 改訂) 大阪大学大学院 人文学研究科・文学部 東洋史学研究室
  4. ^ 内容説明・目次・著者紹介”. 紀伊國屋書店 (2010年). 2024年3月3日閲覧。

参考文献[編集]

  • 「令和元年度 退職教員略歴・主要業績」『大阪大学大学院文学研究科紀要』第60巻、大阪大学大学院文学研究科、2020年3月、185-226頁、hdl:11094/76055“pp.186-200:荒川正晴教授 略歴・主要業績” 

外部リンク[編集]